対峙 2
「・・・今イチ話がよく見えません。誰か説明してくれませんか?何がどうなっているんです?」
私は知らず知らずに眉をひそめて、誰ともなしに言った。
広いベッドルームは多分、それだけで20畳近くあるとは思うのだけれど、壁沿いとはいえ真ん中に大きなキングサイズのベッドがあるものだから、大人5人がいると狭く感じる。
おまけに、私以外は皆男性。
人口密度が高くって、それだけでもう、ストレス溜まりそう。
個人的にはかなり耐えられない様な沈黙が続いた。沈黙って、長く感じるよね・・・。
しばらくして、碧さんが、真正面を向いたまま低い声で言った。
「・・・俺は、事件当時あの場にいた。」
私は彼をじっと見つめた。私の隣で拓也も、彼をじっと見つめた。
碧さんは私達二人を瞳だけでチラッと見ると、すぐに視線を正面に戻した。険しい顔でじっとしている。
そして床を眺める様に一瞬俯き、再び顔をあげ、私達を見ずに、でもハッキリと言った。
「ごめん。」
「・・・・。」
ごめん、とは、私達を騙していた事に対する謝罪だろうか?
「憧れの兄貴分が、学校ではどうしようもない不良だ、という事は耳にしていた。そんな事は正直どうでもよかったが、彼が酷い苛めをしている、という事が信じられなかった。・・・あの日は、彼に会いに行った。」
鋭い眼差し。でもその瞳は誰の事も見ていない。多分、過去の自分を見ている。
彼の顔がほんのわずかに俯いた。
降ろしている前髪が、さらっと落ちてその瞳を隠し、横顔からの表情が見えなくなった。
「噂どおりかもしれないとは思った。だが俺の姿を見たら、いつも通り笑ってくれるんじゃないか、と思った。だとすれば、その笑顔が本当の彼で、いつかそんな苛めもやめるんじゃないか、と思った。俺に、公正や正義、人に対する思いやりを教えてくれたのは、彼だったから。俺は彼に、人生の全てを依存していた。子供だから、理想の人間には理想通りでいてほしかったんだろう。」
ここからでは表情が伺えない。声色も変わらない。淡々と話す。
綺麗なシルエット。見てられない。
「私服じゃ摘みだされると思って、あいつの昔の学ランまで失敬した。部屋に出入り自由だったから、何がどこにあるかなんて全部知っていた。それで、ぶかぶかの学ランを着て、放課後、校内をうろついていた。」
私はその話の内容に驚きながらも、ぶかぶかの制服をきた小学生が、校内を歩く姿を想像した。
4月の半ば、新入生だと思われたのかもしれない。よっぽど小さな中学一年生。
切なく、なる。
母子家庭だった碧さん。
隣に住む、父子家庭だった中野光治。
二人には、両家族には、どんな繋がりがあったのだろう。ひょっとしたら親同志は大した付き合いが無かったのかもしれない。あるいは男女の付き合いがあったのかもしれない。わからない。
けれど子供同士、きっとお互いに無くてはならない存在だったのだろうな、と思う。碧さんの口から語られる中野光治は、愛しくて、最大の信頼を寄せる兄貴分。心の拠り所。
もしかしたら中野も、そんな碧さん無くては日々を乗り切れなかったのかもしれないな、と思った。
「そして俺が見たのは、二人の口論や罵り合い。・・・噂どおりの事実を突き付けられて、いたたまれなくなった俺は、その場を後にした。」
ふっと顔を上げる碧さん。その時見えた眼差しは、強いながらも何の感情も映していなかった。
ドキっとする。
綺麗な瞳に長い睫毛が影を落とす。それが底冷えする輝きを放っている。
いつもは甘いルックスが、まるで刃のように鋭く尖った空気をまとっていた。
対する河島健は、喉の奥でクッと笑った。
「なんだそれは。ではなんの問題も無いだろう。その後、葉山は中野を刺した。僕と葛原はそれを見た。そしておしまい。」
「・・・でも、中野は死んでいなかった。」
碧さんは、相手の目を見据えて断言をした。まるで、見たかの様に。
「トドメを刺したのはお前だ。河野健一。」
「だから何でそうなる?」
「葉山が中野を刺した後、お前と葛原は教師を呼びに別行動を取った。そして一人になったお前は、中野に近づきトドメを刺したんだよ。」
鋭い視線が、相手を捕らえて離さない。
逃げ出したくなるぐらいの迫力あるオーラで、一歩一歩、ゆっくり相手に近づいて行く。
「この子に一部始終を目撃されている。それに気付いたお前は、以来、彼女を監視し続けている。」
碧さんは顎で私を示した。私はその乱暴な仕草に少しビックリした。
私に対する碧さんの態度も、今までとは想像もつかないくらいそっけない。それに先程から河島健の前では、私を殆んど見ようともしない。
拒絶されているようで、胸が痛んだ。
「たいそうなストーリーだな。深夜ドラマにもなりゃしない。」
河島は口の端だけあげると肩をすくめて言った。
「彼女に見られたのは、現場にいた君じゃないのか?塚本君。」
皮肉っぽく碧さんを眺める。わざとらしく憐みを込めて、相手を挑発している。
「全幅の信頼を寄せる兄貴さんが、目の前で、言葉にも出来ない様な陰湿で激しい、哀れな苛めを行った。裏切られた君は傷心と怒りのあまり、彼にトドメを刺してしまった。一人になった時にね。可哀そうに。」
芝居がかった台詞。けれども、碧さんは彼の挑発には乗らなかった。
さらに低い、低い声で、相手を激しく睨みつけながら、まるで今すぐ爆発する爆弾を抱えている様な危うさを含む口調で言った。
「刺したのは俺ではない。葉山でも、葛原でもない。お前だ。」
一触即発。
男性二人の押し問答と睨みあい。二人とも身長があるハンサム達だがら、どうしたって殺気がビシバシ飛び出ている。
き、緊張してきた。ドラマや映画でもこんなシーン、たいして好きでもないのに。
目の前で生身の人間がガチで繰り広げると、耐えられないよ、ドキドキして疲れる。
この後、どうなるの?
「困ったね、日下部さん。」
河島健が、碧さんを睨んだまま口を開いた。
て、え?今、私の名前を言った?
「君はどうするの?」
マジ?私にふった?私に聞くの?ちょっとまってよ、どうするのって、私が決める事?!
シーンとなった。
隣の拓也に囁く。
「・・わ、私、発言を求められている?」
「明らかにね。」
おっと困ったどうしよう?どうするの?ってどうしよう?
私、自分が見た人物が誰かも分かって無いのに。
おまけに碧さん、学ランまで着てた、なんて言ったら八方塞がりじゃないですか。私が見たあの人達、二人とも制服を着ていました。
・・・ただ、お互いの体格にそれほど差は無かったような・・・。
でも、当時6歳の私には、みんな大人のお兄さんに見えたし。雨降ってたし。目、悪いし。
ダメだ、コレを言うのは今はやめよう。泥沼だわ。
・・・そうだ、奈緒。
「・・・なんで、奈緒に近づいたんですか?」
「・・・え?かわいいからだよ?」
河島健が少しビックリした様に言って、その後くすり、と笑った。
「君が今聞きたいのは、そこかい?」
「私を好き、って言っておいて?」
「いいね、その台詞。女性の香りがする。」
あほか。寒っ。
「好きなアイドルがいても、他の子とデートぐらいはするだろう?」
・・・私をアイドル扱い?
冗談も休み休み言って下さい、と言いますか、そんな冗談、休んでも言わないで下さい。あんな酷い写真を手元に持っていてアイドルなわけないじゃないですか。趣味、おかしいんですか?
・・・なんて台詞、あんまりにも私が可哀そう過ぎて言えないぃぃぃ・・・。
「・・・珍しいじゃないか。観ていても手は出さない、がモットーじゃなかったのか?」
今までのやり取りをずっと、腕を組んだまま黙って聞いていた藤田さんが口を開いた。
河島は軽く肩をすくめる。
「観賞って事かい?そうだね、眺めるのは好きだね。」
「何故田中奈緒に手を出した?」
「かわいいから、って言ってるだろう。」
「いい加減にしろ。」
いい加減にしろ。そんな、威圧的、というか能動的な藤田さんの台詞も、初めて聞いた。
でも、言葉とは裏腹に相変わらず、すごく落ち着いている。
そして河島健も、相変わらずニコニコ、というかもはやニヤニヤしている。
私は段々、芸能事務所での騒動の時の様に、腹が立ってきた。あったまくる。普段は滅多にこんな事にはならないのに。
そう思ったら、一気に怒りが湧いてきた。
自分でも新発見よ。私って一度火がつくと、再燃しやすいタイプなのね。まるで炭火女だわ。ムカついてきた。
本気で頭にきた。
「昨日、あの子と出かけたよ。君の事も沢山話していたよ。だからすごく楽しかった。」
「・・・奈緒にはもう、近付かないで。」
怒りのあまりとても低い声が出たのだけれど、それがわずかに震えている。
けれども河島健は、そんな私を意に介さずあっさりと言った。
「そうはいかないよ。ビジネスの話もあるんだし。あのCMだけで終わらせるのはもったいないだろ。」
・・・何の話?
「君に、友人の将来のチャンスを潰す、資格なんてあるのかい?」
・・・キレた。