動揺
私の頭の中はすっかりフリーズしてしまった。
秀真が上手い事切り上げてくれたのだと思う。どれくらい時間が立ったのかは分からない。
外に出たら、もう辺りは暗くなっていた。
「藤田さんが目撃者って事?」
マンションの敷地から出た瞬間、私は拓也に食ってかかった。
拓也も少し動揺はしているものの、私よりは落ち着いている。
「いや、ちょっと待てよ。だって年が合わないだろう?あの人っていくつ?」
「今年28って・・・あ、そうか。」
「目撃者は二人とも、同級生の筈だぞ?藤田さんは15年前、13歳?中一だろう?」
そうか。そうだよね。
と私が納得しかかった時、隣で秀真がボソッと言った。
「・・・でも、年齢を誤魔化しているって事はない?二つぐらい、平気じゃない?」
詳細を知らないのに、私達の会話を聞いていただけで、妙に的を得た事を言ってくる。
「・・・あり得る・・・。」
拓也が呟いた。唇を軽く噛みながら、また親指で擦っている。
私は思いつくままに言った。
「でも名前が全然違うよ?下の名前!ケンイチ?と祐介、じゃ。」
「・・・・・。」
三人で黙りこみながら歩いた。
今となっては年齢も不詳の藤田さん。もし彼が母親姓を名乗ってあの場にいた、なんて過去を持つのだとしたら、年齢や名前を偽ることぐらい、何だかとても簡単な様な気がする。
・・・でも、日本の社会で、そんな事出来るのかな?
大学だって、碧さんや純さんと一緒だったハズ。
「偽名で生活、出来るのかな?」
「スパイかよ。」
「じゃあ、・・・芸名?」
「芸能人かよ。言い直しただけじゃん。それならせめて通称名、ぐらいにしとけよ。」
拓也の相変わらずの切れ味鋭い突っ込みに、私は凹みそうになりながらふと、何か引っかかるものを感じた。
「・・・ね、拓也、その人の名前って・・・。」
「ん?コウノケンイチ?」
「・・・どう言う字、書くの?」
「知らない。誰に聞けばいいの?」
コウノケンイチ。コウノケンイチ。芸名かな?芸能人かよ。
台詞が、頭の中でこだました。
・・・ちょっと待って?
・・・まさかまさかまさか・・・。
とんでもない考えが思い浮かんだ。それが一気に、私の頭の中を支配した。
私は立ち止った。鞄の中を引っかきまわす。
少し先でそれに気付いた拓也と秀真が振り返った。私はそんな二人に構う事なく、電話をかけた。
コールが鳴る。
程なく、音声案内が出た。電源が切られているか、電波の届かない所。
もう一度かける。
音声案内が出る。
頭に血が上ってきた。胸がドキドキする!!
「・・・どうしたの、姉ちゃん?」
「綾?」
「奈緒と連絡がつかない!!」
私が叫ぶと、二人は仰天したように私を見つめた。
私のテンパりぶりに驚いているようだった。秀真が近づいて、聞く。
「え?何?」
「奈緒の携帯に電話してるのに、電源が切られてる!!どうしよう!!」
「何よ?それがどうしたんだよ?」
拓也はその場に立ち止まったまま、眉をひそめてこっちを見ている。
私は秀真に覗きこまれながら、携帯に耳を当て続け、叫び続けた。
「だってだって変なの!!藤田さんは何度も私の側にいるし、奈緒のマネージャーやる意味分かんないし、目撃者かもしれないのに、奈緒はあの俳優とデートしている!!」
「何言ってんだよ?わかんねーよ。落ち着いて話せよ。聞くから。」
拓也はやっとこっちに向き直り、私に近づいて来て、両肩を掴んできた。
私はそんな彼の丸っこい瞳を見つめながら、叫んだ。
「あの人の名前!!私の思い違い?考えすぎ?ねえあの人なんで、わざわざ調べてまで奈緒に近づいたの?」
「あの人って誰だよ!」
「河島健!!」
事情を知らない秀真はキョトンとしている。
だけど拓也は、それを聞いた途端、眉間のしわが更に深くなった。
「・・・カワシマ・・・タケル・・・?」
「あの人、芸名なの?本名なの?」
「知らない。お前、知ってるか?」
「知らない。ちょっと待って。ググる。」
秀真がすぐに携帯を取りだした。操作する。
私は拓也の目を見て話し続けたけど、実際に見ているのは、頭の中の記憶だった。
「あの人と初めて会ったのは、夏に同窓会で帰郷した時だった。その後、私は会っていない。
でもそれがきっかけで、奈緒はスカウトされたんだよ?しかも半ば強引に。
そしてその彼との仕事で、奈緒のお世話係を買って出たのがが藤田さんだし、
奈緒は、河島健に初詣、誘われたって言ってたのよ。」
「あった。・・・ビンゴ。本名、河野健一。」
すっかり、日が暮れた。
私達は、誰も動かなかった。
私はなんだか、自分が沼の中に足を取られている様な気がした。
何かが、足に絡まっている。複雑すぎて、動かす事が出来ない。
だけど、どこかを見つければ、それは簡単にほどけていくんだ。
どこか一つの絡まりをほどけば。それは、どこ?
「・・・同姓同名・・・?」
「・・・まあ、どこにでもいそうな名前では、あるよな・・・。」
秀真と拓也が呟いているのが聞こえてくるけど、私の頭には殆んど入ってこない。
「河野健一と藤田祐介はつながりがあるってことか?兄弟?」
「藤田祐介って?」
「・・・あの藤田代議士の息子だよ。」
「?藤田違いとか?」
「あの親父の話しっぷりがそんな感じだったかよ?いかにもありゃ、ビンゴだろ。」
二人の会話をよそに、私は携帯を再び開いた。
今まで一度も使っていなかった番号。使えなかった番号。使いたかった番号。でも、使いたくなかった番号。
「姉ちゃん?誰に電話するの?」
「私、碧さんに電話する!」
「え?」
「だって藤田さんの番号知らないし、奈緒と連絡がつかない!この人に聞くしかないでしょ!」
「ちょっと待てよ、綾!」
拓也が私の手首を勢いよく掴んだ。
綺麗な茶色い瞳が間近に迫っている。
珍しく、わずかな動揺と苛立ちが見てとれた。
「河野健一と藤田さんが繋がっているとして、それとつるんでいる塚本さんだってどんな奴かわかんねーだろ、今となっちゃ。」
「だから何よ?」
私は拓也の丸い瞳を見返した。
一瞬、その瞳がゆらっと揺れたのが見えた。腕を掴んでいる手に力が入る。拓也がギュっと眉根を寄せた。
「お前が見た殺人の現場、犯人の可能性がある人間が4人いて、内一人が死亡、残り二人がつるんでいるって事だろ?どっから見てもヤバいだろ、考えろよ。」
「そんなの関係無いっ。」
私は力任せに拓也の腕をふりほどいた。拓也の台詞を聞いた秀真は息を飲んでいた。
「奈緒が戻ればそれでいいのっ。無事ならいいのっ。あの人達が何をしたいかなんて関係ないっ。拓也だって、あの人は悪い人じゃないって言ってたじゃないっ!」
「そんな前の、気休めで言った台詞を持ち出すなよっ。状況がぜんっぜん違うだろうがっ!」
「違わないっ!」
私の叫びに、拓也は一瞬言葉を飲んだ。私はそこにたたみかける様に言った。
「奈緒しかいらないっ!他はどうだっていい!碧さんなら助けてくれるっ。15年前の事を忘れろって言うなら忘れるっ。取引でも下心でも、何でもいいのっ。今解決できるのは彼しかいないでしょっ!!」
そして私は、通話ボタンを押した。
奈緒を見つけなきゃ!!危険かどうかなんて、全然わかんないけど、わかんないけど、
神様!!