第一話 今日からあなたは、私の保護下に入ります
「ステラ。今日からあなたは、私の保護下に入ります」
公爵令嬢ロザリー・ド・モンフォールは、処刑場の石畳の上で、静かにそう告げた。
火刑台の前に座り込んでいた少女は、びくりと肩を震わせる。
銀の髪は煤に汚れ、裸足の指先は泥にまみれていた。
かつて聖女と呼ばれながら、今は魔女として焼かれようとしていた娘。
それが、ステラだった。
「……なぜ、私を」
掠れた声に、ロザリーは扇を開く。
「あなたを焼いたところで、この国の病も飢えも消えはしないわ。教会の面子を守るために聖女を失うなど、あまりにも愚かです」
周囲の神官たちがざわめいた。
けれどロザリーは、視線ひとつ動かさない。
グランヴェール王国において、聖女の存在は絶対的だった。
疫病を鎮め、傷を癒やし、飢えた土地に恵みをもたらす。
その力は本来、王家と教会が共に守るべきものだ。
にもかかわらず、教会はステラを切り捨てた。
奇跡が思うように発現しない。
神託に従わない。
異端の瞳をしている。
そんな理由を並べ立て、聖女を魔女へと貶めたのだ。
「それに、私にもあなたが必要なの」
ステラが怯えたように顔を上げる。
ロザリーは、あえて淡々と続けた。
「私は善人ではないわ。あなたの力を、この国のために使わせてもらう。けれど、その代わり、あなたの命と立場は私が守ります」
それは取引だった。
綺麗事ではない。
けれど、火刑台に縛られたまま、神の名で殺されるよりは、ずっとましな未来のはずだった。
ステラの目から、涙がこぼれ落ちる。
「……ロザリー様」
その声は、祈りに似ていた。
ロザリーは差し出された手を取らなかった。
代わりに、自分の侍女へ外套を渡させる。
「泣くのは後になさい。今、あなたが見せるべきなのは涙ではなく、生き延びる意志よ」
冷たい言い方だと、自分でも思った。
けれど、貴族も神官も民衆も見ている。
この場でステラが哀れな被害者のままでは、また誰かが彼女を魔女に戻す。
だからロザリーは背筋を伸ばし、王都中に聞かせるつもりで告げた。
「この娘は、モンフォール公爵家が預かります。以後、彼女に手を出す者は、我が家への侮辱と見なします」
処刑場は静まり返った。
その沈黙の中で、ロザリーは確かに感じていた。
自分の名が、この瞬間から変わることを。
冷たいだけの公爵令嬢ではない。
魔女と呼ばれた聖女を救った令嬢。
教会の過ちを止めた女。
そしていつか、アルベール殿下も知るだろう。
自分こそが、王太子の隣に立つにふさわしい女なのだと。
ステラは何も知らなかった。
王宮での礼の仕方も、食器の扱いも、扇の陰に隠された嘲笑の意味も。
貴族たちがどれほど残酷に人を値踏みするかも知らない。
だからロザリーは、厳しく教えた。
「背筋を伸ばしなさい。俯けば、彼らはあなたを哀れな見世物として扱うわ」
「声は震わせない。あなたは裁かれるためにここにいるのではなく、認めさせるためにここにいるのよ」
「泣くなら部屋で泣きなさい。人前の涙は、使い方を誤れば弱点になる」
ステラは何度も失敗した。
歩き方を間違え、言葉に詰まり、貴族たちの含み笑いに怯えて肩を縮めた。
そのたびに、ロザリーは容赦なく指摘した。
けれど、誰かが陰でステラを魔女と嘲れば、ロザリーは必ずその場で扇を閉じた。
「その魔女に命を救われる日が来ても、同じ口が利けるといいわね」
そう言われた貴族は、顔色を失って引き下がる。
ステラにとってロザリーは、冷たく、厳しく、けれど唯一、自分の前に立ってくれる人だった。
「すべて、ロザリー様のおかげです」
ある夜、ステラはそう言って深く頭を下げた。
最高級の絹のドレスを纏い、銀の髪を美しく結い上げた彼女は、もう火刑台の前で震えていた少女ではない。
儚く、清らかで、触れれば消えてしまいそうな美しさを持つ聖女。
ロザリーは満足げに微笑む。
「当然よ。あなたはもう、あの日の魔女ではない。私があなたを、聖女に戻してあげたのだから」
その言葉に、ステラは少しだけ目を伏せた。
けれどすぐに、従順な笑みを浮かべる。
「はい。ロザリー様」
その返事を聞くたびに、ロザリーの胸は静かに満たされた。
見ていなさい、と彼女は思う。
私をただの気位の高い令嬢だと笑っていた者たち。
女は美しく、従順に、王子に選ばれるのを待つだけでよいと言った者たち。
私は違う。
自分の手で価値を見出し、自分の手で磨き、自分の手で王宮に認めさせてみせる。
そうすれば、きっとアルベール殿下も気づくはずだ。
幼い頃から慕い続けてきた第一王子。
いつも穏やかで、公平で、誰に対しても優しい人。
けれどその優しさは、ロザリーだけに向けられたものではなかった。
だからこそ、彼女は欲しかった。
ただ美しい令嬢としてではない。
ただ公爵家の娘としてでもない。
この国に必要な女として、アルベールの隣に立ちたかった。
その機会は、隣国との国境紛争で傷ついた兵士たちの慰問の場で訪れた。
王都郊外に設けられた治療用の天幕には、呻き声が満ちていた。
包帯は血に染まり、薬師たちは疲れ切った顔で走り回っている。
ロザリーはそこへ、ステラを伴って現れた。
もちろん、慈善だけが目的ではない。
聖女の奇跡を民と兵士たちの前で示す。
それを王太子アルベールに見届けてもらう。
ステラの復権と、ロザリー自身の功績。
その二つを同時に王宮へ刻みつけるための舞台。
「ステラ、落ち着いて。あなたは今から、この国の希望になるのよ」
「はい、ロザリー様」
ステラは震えていた。
けれど逃げなかった。
ロザリーはその背中を見て、満足する。
自分が磨き上げた少女は、確かに美しくなった。
誰もが目を奪われるほどに。
「ロザリー」
背後から声がかかる。
振り返れば、アルベール王太子が近衛騎士を伴って立っていた。
「殿下。お越しいただき、光栄です」
ロザリーは優雅に膝を折る。
アルベールの視線が、ステラへ向いた。
「彼女が、君の保護している聖女か」
「はい。まだ未熟ではございますが、必ずこの国のために尽くす存在となりましょう」
ロザリーはそう言って、ステラへ目配せをすると、ステラは静かに頷き、瀕死の兵士の傍らへ膝をつく。
若い兵士だった。
腹部の傷は深く、すでに意識も朦朧としている。
「……痛みますか?」
ステラが、兵士の手にそっと触れた。
その声は、天幕の喧騒の中でも不思議と澄んで響いた。
兵士は答えられない。
けれどステラは、まるでその痛みを自分のもののように眉を寄せた。
「どうか、もう苦しまないで」
一粒の涙が、ステラの頬を伝う。
その瞬間、眩い光が天幕を満たした。
誰かが息を呑む。
次の瞬間、兵士の傷は跡形もなく消え、青白かった頬に赤みが戻っていた。
「奇跡だ……」
誰かが呟く。
その声はすぐに、天幕中へ広がっていく。
「聖女様……!」
「やはり本物の聖女だったのだ」
「神はまだ、この国を見捨てていない」
ロザリーはそっと息を吐いた。
成功だ。
これでステラは、ただの魔女の生き残りではなくなる。
そして、彼女を救い、導いた自分の名もまた、王宮に深く刻まれる。
「君は、素晴らしい女性を見出したのだな」
アルベールが言った。
ロザリーの胸が、かすかに熱を帯びる。
ようやく、見てもらえた。
幼い頃から隣に立ちたいと願ってきた人に、自分の働きを認めてもらえた。
「恐れ入ります、殿下。彼女は必ず、グランヴェール王国の光となるでしょう」
ロザリーは優雅に微笑む。
その時、アルベールの視線が自分ではなく、背後のステラに注がれていることに、ロザリーはまだ気づかなかった。
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