再び恋をすること
秋が始まるころ、空の色が変わった。
冷たい風が頬をかすめるたびに、
世界の輪郭が少しずつ戻ってくるように感じた。
夏の終わりとともに、僕の中の時間も再び動き出していた。
九月の大学院入試のあと、
彼女と一緒にご飯を食べに行った。
試験の疲れと安堵が入り混じって、
会話はどこかゆるやかだった。
彼女の笑い声は穏やかで、
まるで冷たい風をやわらげるようだった。
そのとき初めて、僕は誰かと並んで食事をすることの
温度を思い出した。
箸を持つ指先、湯気の向こうで揺れる髪、
そうした些細なものが、
妙に鮮明に見えた。
彼女は、僕と同じ哲学を学んでいた。
考え方が近いというより、
むしろ少し遠い場所にいる人だった。
だからこそ、話すたびに
僕の中に小さな空白が生まれる。
その空白に、言葉や沈黙が静かに溶けていく感じがした。
それから何度か顔を合わせるうちに、
少しずつ会話が増えていった。
研究室の帰り道で立ち話をしたり、
カフェで他愛もない話をしたり。
そのどれもが、僕にとっては
“生きている”という感覚の再現のようだった。
十月の終わり、
夕方の光が早く沈むようになっていた。
その頃から、彼女と話す時間が長くなった。
講義の後に立ち止まって、
「寒くなりましたね」と言い合うだけでも、
なぜか心が柔らかくなった。
彼女の声は、空気を丸くするような響きを持っていた。
感情を大きく動かすというよりも、
静かに沈んでいく水面のような声。
その響きを聞くたびに、
胸の奥がほんの少しだけ暖かくなった。
僕はもう、人を好きになることはないと思っていた。
誰かを想うことは、
また傷つくことの始まりだと知っていたから。
けれど、彼女と過ごす時間の中で、
その考えが少しずつ崩れていった。
恋というより、
生きることそのものに似た感覚だった。
ある日の帰り道、
彼女と駅まで歩きながら、
夜風に混じる金木犀の香りを感じた。
「いい匂いですね」と言うと、
彼女は少し笑って「秋の匂いですね」と答えた。
その一言で、
季節というものが確かに存在していることを思い出した。
それからというもの、
彼女の言葉や仕草が、
日常のあらゆる場所に影を落とすようになった。
スマホの通知音に心が動き、
メッセージの句読点の数に意味を探した。
誰かを想うということが、
こんなにも繊細な作業だったのかと驚いた。
十月の終わり、
大学の帰りに空を見上げると、
夕暮れが群青色に沈みかけていた。
その空の下で、
僕は彼女の名前を心の中で呼んでいた。
それは声にならなかったが、
確かに息として世界に触れた気がした。
彼女と話すとき、
僕は少しだけ優しくなれた。
誰かを理解しようとすることは、
自分の傷をなぞることでもあった。
けれど、その痛みがある限り、
まだ人を信じられる気がした。
夜、机に向かって勉強していると、
不意に彼女の笑い声を思い出すことがあった。
ノートの上の文字がぼやけ、
心臓の鼓動が静かに早まる。
理性ではなく、
ただ“生きている身体”が反応していた。
そのとき僕は、
“好きになる”という感情が
理屈ではなく、
存在そのものの運動なのだと感じた。
理解よりも先に、
身体が彼女の方を向いてしまう。
それはまるで、
光に向かって伸びる植物のようだった。
十月が終わる頃、
彼女と交わす会話のひとつひとつが、
自分の中で少しずつ輪郭を持ち始めた。
まだ恋とは呼べない。
けれど、
あの日以来止まっていた“時間”が、
ようやく歩き始めたように思えた。
⸻
その頃、僕はまだ知らなかった。
愛が再び僕を生かすと同時に、
再び壊していくものだということを。




