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リリベルがこれからマティアス氏のアトリエに行くと言うと、ユノゴー氏も一緒に付いて行きたいと頼んできた。
リリベルは構わなかったので差し入れを持つと、ユノゴー氏を連れて侯爵家の敷地にある別館のアトリエに向かう。
アトリエをノックすると返事がない。恐らく寝ているか作品に没頭しているのだろう。
もし寝ていたら出直そうと、今度は大きな声で「マティアス氏!リリベルです。おられますか?」とノックと一緒に呼んでみる。
すると「リリベル嬢、入って来てくださーい」と返事が返ってきた。良かった起きているようだ。
リリベルはユノゴー氏を連れてアトリエ内に入る。マティアス氏はちょうどデッサン中だったようでキャンバスに向かいながら、
「済みませんリリベル嬢、少しお待ち下さい」と言う。
リリベルは「マティアス氏、製作中にこちらこそ申し訳ありません」と言って、差し入れを抱えアトリエのソファに向かおうとユノゴー氏を見ると、ユノゴー氏が目に涙を溜めて、
「アンリ!アンリ・マティアス!」と呼んだ。
マティアス氏もハッとこちらを振り返り、
「ビクトル!ビクトル・ユノゴー!」と叫んで歩み寄り、二人で抱き合って泣き始めた。
一体何が起こったの?リリベルは唖然としばらくその様子を見守った。
マティアス氏もユノゴー氏も二人は侯爵家のご出身で、かつて王太子殿下の側近候補だったそうだ。
学院でも王太子殿下の側に侍っていたそうだが、姉のララベルに懸想してしまい姉の退場と共に彼らも失脚してしまったそうだ。
婚約者にも見限られ実家にも居場所が無くなりかけていた。
しかし彼らは貴族社会には向かなかったが、本来、別の趣味があった。マティアス氏は絵を描くこと。ユノゴー氏は文章や詩を書く事が好きだった。
お互い趣味だった事を本業として頑張ろうと決意して実家を出て、がむしゃらに作品を作り上げていた時に声を掛けてくれたのが筆頭侯爵家だったのだ。
リリベルはその話を聞いて、
「姉が…その姉のララベルが済みません…」と何とも居たたまれない気持ちになって彼らにお詫びをした。
まさか姉の被害を被っていた人達だったなんて…。それを筆頭侯爵家が尻拭い的な感じで拾ったのだろうか!?
「リリベル嬢、謝らないで下さい。僕達はむしろ感謝しているんです」
「そうです。リリベル嬢。あなたの前で見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません。でもお互いにあれから苦労して成功したのが嬉しくてつい」とお二人はそう言った。
それからお茶を飲みながら話をする。
「元々、僕達は貴族社会に向かなかったんです。でもあの時は僕もアンリも好きな事ができなかった」
「そう王太子殿下と同じ年に産まれたからね。親の期待も圧力も凄くて」
「今では悪いことしたと思っているけど、当時は好きでもない女性を婚約者にされて反発していた時にララベル嬢が現れたんだ」
「そうだ。こんな美しい人は初めて会ったと思ったよ。だから余計に周囲が見えなくなって道を外したんだな」
「うん。自業自得なんだよ。でもそれが糧となって今では作品に活かせるようになった」
「そうお互いに好きなことして生活できているしね」
「それにリリベル嬢、今は君が助けてくれるのが何より嬉しいよ」
「えっ姉が迷惑かけたことに比べたら私は何も…」
「そんな事はない!それにララベル嬢に迷惑を掛けたのは多分、僕達の方だ。僕達がララベル嬢に必要以上に構わなければ、彼女も退学することなんて無かったかもしれない」
いや…姉はあれで成功体験だったと思いますよ。
「姉は大丈夫です。今では外交官夫人になって生き生きしているし、先日は子爵にも陞爵されていましたから」と言うと、
「ララベル嬢も幸せなんだな。それは良かったよ」とお二人ともそう言って下さった。
それから舞台のパンフレットの表紙画をマティアス氏は快く引き受けて下さった。
「僕がビクトルの作品と共演できるなんて、こんな嬉しいことはないよ」と言って。
ただお二人とも側近を外れたもう一人が気になると言っていた。公爵令息だった彼はどうしているのだろうかと「ザカライアス」と二人は呟いていた。




