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化粧室で時間を潰し、あのイケメンくんをどうやって追い払おうかと思案するが、良い案がちっとも出て来ない。
桂くんに迎えに来てもらおうかとも思ったが、年末までの金曜は付き合いで埋まってしまったと言っていた気がする。とすれば、今日も職場での忘年会か。あるいは友人たちとの飲み会か。
桂くんの会社はこの居酒屋からも近くて案外近くで飲んでいそうな気もするが、わざわざ呼び出す訳にはいかない。私が助けてを求めれば、恋人だろうが同僚だろうが友人だろうが、全て置いて来てくれるであろう桂くんは最終手段だ。出来れば召喚したくない。
コートは置いてきてしまったが、バッグは持ってきている。寒さを我慢してこのまま帰るのも手かと思うけど、残したイケメンくんのせいで空気悪くなっちゃうかなぁ…
とりあえず誰かの近くに避難しよう。舞先輩の隣に、座布団持ってって無理にでも座ってやる。
決意してトイレの扉を開くと、すぐそこの壁に背中を預けて笑うイケメンくんが居た。
…最悪だ。
絶対、逃げられないように待ってたんだよ、もう…
「気分でも悪くなった?」
「イイエ」
「中々戻らないから心配したよ。行こっか」
嫌です。心底嫌です。
が、勝手に手を引かれて歩き出しては逃げようがない。これは本気で面倒臭いぞ。
「あ!電話!」
バッグの中で震え出した携帯を慌てて取って、私は笑顔で彼に謝った後に通話ボタンを押した。
「なになに?どしたの?」
「うん、あいちゃん、今大丈夫?」
「うん。あ、紘くんちょっと待って」
一度携帯を離して、私はイケメンくんに首を傾げて愛らしく見えるよう笑って見せた。
「先戻ってて下さい」
それだけ言うと、贅沢な広さの化粧室に戻った。
助かった!素晴らしいタイミングだよ紘くん!
「どうかしたの?」
「うん!今ね、友達に騙されて合コンに来ちゃったんだけどね、やたらしつこい男がいて」
「え?!なにソレ!大丈夫なの?!俺、迎えに行こうか?」
その過保護な言葉に私は小さく笑う。
年齢が一つしか変わらないせいか、紘くんとは一般的な姉と弟という関係が成り立たない。学校も一緒になった事はないし(盲目な父親のせいだ)二人揃って甘やかされて育った感がある。
紘くんと私は友達、いや、親友みたいなものだ。
「大丈夫だよ。桂くんの職場近いし、何かあったら桂くん呼ぶから。それよりどうしたの?」
「絶対飲んじゃ駄目だからね……あのね、母さんのプレゼントなんだけど」
「ああ!そっか。もう直ぐだね」
声を潜めた紘くん。きっと自室で、近くに母さんは居ないのだろうけど思わず小声になってしまうのだ。何と言うか、あの母親なら何でも御見通し。全ての会話を聞かれているような気がする。
勘が鋭い、なんてもんじゃない。事務パートとか平凡な仕事やってないで、刑事か探偵にでもなれば良いのにと思うほど。
「あいちゃん買物行く時間ある?俺、ちょっと無理そうなんだけど、桂くんは平日の夕方か日曜なら時間作れるって言っててさ。大兄は今年も時間が空きそうにないって」
母の誕生日はクリスマス前の23日で、毎年、兄弟でプレゼントを選んでいる。警察官の大くんは年末が死ぬほど忙しいらしく、母の誕生日だけは何とか帰ってくるが、四人でプレゼントを選びに行けたのは大くんが高校卒業するまでだった。
今年は受験生の紘くんも大変そうだ。
「そっか。じゃあ、今年は桂くんと二人で選んでくるよ」
「うん、ごめん。宜しく」
「じゃあね、おやすみ」
「何かあったら直ぐ電話してよ?父さんと飛んでくから。おやすみ」
本当はもう少し時間を稼ぎたかったが、嘘がつけない紘くんがこの通話を母親に見付かってわたふたする図が見えたので速攻で切った。
しかし、いいタイミングで電話をくれたものである。
彼氏から電話、これだ。これで牽制して早目に帰るしかない。
決意して戻った私を、あっさりと捕獲したイケメンくんは、うんざりするような笑顔で、あいちゃんフリーなんだってね、と言いやがった。
誰だ、と辺りを見回すと、戸津田がにやりと笑って見ている。間違いない。犯人はお前だー!と少年探偵並に指を突き付けてやりたかったが、それをしても彼女が堪えるとは思えなかった。
うん、そうだけど?とか笑顔で言うんだ。
「さっきの電話、弟なんでしょ?仲良いんだってね」
名前を聞いていて、それを誰かに聞いたのだろうか。目敏い。いや、耳聡い?
「そうですね。うちの兄弟イケメン揃いで」
「そうなんだぁ。会ってみたいな」
俺ほどじゃないんでしょと余裕綽綽な彼の笑顔にカチンと来たが、大人な私は引き攣った笑みを帰すだけにした。
写メでも見せてやろうか。
イケメンくん左隣に座らされた私のは、彼の右隣に居る戸津田を睨んでみたが、こちらを見ようともしない。
「小松ちゃん、飲んでる?」
「舞せんぱぁあい!飲んでませんよ!」
舞先輩が私の左隣に移動してきて、私にグラスを掲げてきた。ほんのりと染まった頬が可愛くて、私はへらりと表情を崩す。
「飲めーー」
「飲めないんです!」
「なにおこらぁ」
私の酒が飲めないのかぁ!とお約束な絡み酒な先輩が可愛くて、私はへらへらと相好を崩しっぱなし。
そこに調度店員さんが飲み物を運んできたので、私はトイレに行く前に頼んでいたオレンジジュースを受け取った。新人さんらしい彼女は、一々グラスと色を確認してこちらはフレッシュマンゴーで…えっと、梅酒の…いえ、とたどたどしい。それが何だか微笑ましくて私はグラスを掲げて機嫌よく先輩に笑いかけた。
「飲みますよ?ほら」
「ただのオレンジジュースで偉そうに!」
ケラケラと楽しそうに笑い出した先輩に見せるようにごくごく、と喉を鳴らして飲み…
うおおおい!
「だ、大丈夫?!」
「こ、これ、アル、コール…」
思い切り噎せて、私は切れ切れに主張した。この前ラグラスが飲んでいたような恐ろしい程のアルコール度数ではないにしろ、アルコールに滅法弱い私にとってはこれだけでも頭がぼーっとする。
缶チューハイほどのアルコールも入ってないだろうに。
「え?あいちゃん飲んだの?!」
遠くで聞こえたのは、中学から一緒の友人、香奈の声だ。私がアルコールに弱いのを知っている。
わたふたしていた新人さんが、わああごめんなさい!と叫んでいるようだが、過ぎた事はどうしようもない。普通のオレンジジュースより色が少し薄いな、と思ったんだ、とか今更言ったって。
「そんなに弱いんだ?大丈夫?」
「だいじょうぶじゃない」
既に舌っ足らずな自分にうんざりして、テーブルに左頬を預けた。ひんやりして気持ち良い。
覗き込むようにこちらを見詰めるイケメンくんは、可愛いねぇ、とにんまりと笑った。
だからね、君よりイケメンを見慣れてるんだって。これで落としましたと言わんばかりの笑顔を向けられても、どきりともしないんだって。
ああ、眠いなぁ。
「小松ちゃん」
心配そうな舞先輩の声にへらりと笑う。どうしてそちらを向いて倒れ込まなかったんだ。ちょっと頭を起こすだけの動作が酷く億劫で、私はふぁいと間の抜けた声を上げる。
「あいちゃん、送って行こうか?」
いらない!送り狼、どころか、その辺のホテルに連れ込まれるに決まってるんだから。
「まい、せんぱ」
「ん?何?帰る?」
言ってないわぁ!
叫びたいのに唇を動かすのも億劫で、瞼がゆっくりとスローモーションのように降りてくるのが分かった。意識は意外とクリアなのに、身体は酷く重い。
完全に閉じた視界で、がやがやとした喧騒だけが身体を揺するが、それすらも心地よく感じられるからアルコールとは恐ろしいものだ。
うとうとと睡眠を欲しがる身体に喝を入れてやりたいがそれすらも無理。
「あいちゃん」
耳障りだ、と眉を寄せる事が出来たが、声には出来なかった。気配が近付く。
「触るな、退け」
「な…」
「それは俺のものだ」
その聞き慣れた美声に、私は勢いよく身体を起こした。
怠惰を貪りたいと主張する身体は、先程までと違い案外あっさりと指令を飲んでくれたが、これは危機感の違いだろうか。
ここに居てはいけない男。
絶世の美人が、絶対零度の高圧的な空気を垂れ流し、こちらを見下ろして居た。