4.美人襲来
モッツァレラとトマトのサラダをもごもごと咀嚼し、私は小さく息を吐き出した。
ざわざわではなく、がやがやと騒がしい有名チェーンの居酒屋は、年末のこの時期は地獄の慌ただしさである。
料理がまだだ、飲み物は、と騒ぎ立てる客を上手いこと躱し慣れた様子で頭を下げる店員。中々堂に入ったものだ。
それらをぼんやりと眺めながら、私は殊更に無関心を貫いていた。
「あいちゃん飲まないの?」
軽い声音と、酒と煙草の匂いに雑じるメンズ物の香水。私はこっそりと、それら全てに眉を寄せる。
カラーリングとパーマで痛んだ茶色が揺れながら私の視界を掠めた。覗き込む顔は今時の甘い顔立ちのイケメンで、メンズ雑誌の読者モデルをしていると自慢げに話していた。
だが、この程度のイケメンくんなら兄弟で見慣れている。身内自慢になってしまうが、このイケメンくんよりうちのイケメンたちのがレベルが高いし。
更に言えば、あの我が儘王子のが恐ろしいくらいに男前で美人で。はっきり言って格が違う。
まあ、ともかく。こんなタラシの笑顔を向けられても、何とも思わないというか。むしろ女の子の笑顔を寄越せとか思ってしまう。
私はそっけなく口を開いた。
「未成年だから」
「ほとんどそうでしょ」
ちっ面倒臭い、と心中で口汚く罵って、私はぐいと烏龍茶を煽った。
こんな事なら先輩に釣られるんじゃなかった…後悔先に立たず。
「こまっちゃん、忘年会行くよね?」
「んぐ?」
食堂で夕食を食べていた私の前に座った戸津田が唐突にそう言った。
大きめのジャガ芋を目一杯頬張っていたものだから、直ぐには返事が出来ずもごもごと咀嚼する間、彼女は話しを続けている。
「舞先輩のグループと、うちのグループ。一緒に忘年会しようって言ってるんだけど、当然出るでしょ」
「ふぁふぁい!」
私は思わず立ち上がった。
舞先輩は健康的な美人だ。少し長めのショートカットに健康的な肌。引き締まった身体が美しい。
うちの大学にはサークルというものがない。軽音サークル、ではなく吹奏楽部。演劇サークルは近隣の大学生が集まって活動している。他所の女子大もこうなのか知らないけど、うちの大学は文化系で人数もあまり多くないからサークルも無いらしい。
なので、陸上をやっていた舞先輩は、一番近い大学の運動系サークルに参加していて、同じ学部でも滅多に顔を会わさない。凄く気さくで朗らかな性格らしい先輩は見掛ければ声を掛けてくれるが、それも週に一度あるかないかの頻度。
そんな先輩と飲み会だなんて。行かない理由が見付からない!
「やろうやろう!何処でやんの?あ、木村さんに頼んで、ここでやるってのは?!」
「ここじゃアルコールなんて持ち込めないでしょ?駅前の居酒屋にしようと思ってる」
「アルコール要らない…」
「あんたはね!」
アルコールが入るのか…私が呑めないのは良いんだけど、酔った人間を介抱する羽目になるのが嫌なんだよね。…アルコール臭いんだもん。下手をすると、その匂いだけで酔いそうになる。
でも、舞先輩とゆっくり話せる機会なんてそうそうない。
私は小さく口を尖らせてから行く、と告げた。
うきうきと来てみれば、確かにそこに舞先輩は居た。居たのだが、余計な者もわらわらと居た。
「わー鳥谷久しぶりー!」
「よー戸津田」
戸津田と親しげに挨拶を交わしたのは、今現在、私の隣を陣取って親しげにしているイケメンくんだ。どうやら高校の同級生で、合コンのセッティングをしたのも二人らしい。
こんにゃろう。騙したな!と横目で戸津田を睨んだが、にたりと笑って見せただけ。
私の背をぽんと叩いて、いい加減彼氏くらいつくりなよと囁いた。
余計なお世話だ!
女の子に囲まれる合コンなら喜んで参加するが、残念ながらそうはいかない。大概はこうして好みでもない男に標的とされるのだ。
さっきから、俺モテるんだぜオーラをぎらぎらさせて、人の肩とか手とかにちょいちょいと触ってくる。じわじわ寄ってくるのであからさまに距離を取るが、それも無視して寄ってくるのだ。
あーもう面倒臭い!
「あいちゃん、ほんと可愛いよね」
「そうですか?私よりあっち居る菜々ちゃんのが可愛いですよ。私としては舞先輩みたいな美人も良いと思いますけど?」
「っは!面白いなぁ、あいちゃん」
こういう場で他の女の子を褒めるなんてのは、計算高い女がやりそうなものだ。言わなくてもご存知の通り私は心底そう思っていて、菜々ちゃんと舞先輩が同じグループで座って談笑しているその場に行きたくて仕方ない。それを分かっているから、彼は笑い出したのだ。
何度かあちらに行きたいと言ったのだが、彼女たちとはいつでも話しが出来るだろうと言って離してくれなかった。菜々ちゃんは同じ学部で大概一緒に行動しているから良いとしても、先輩とはあんまり話し出来ないから言ってるんだってば!
私はいい加減頭にきて立ち上がった。
「どこ行くの?」
「トイレ!」
鋭く言い放つと彼はケラケラと笑って手を離した。
こんな事ならラグラスの所に行っておけば良かった。
「ぼうねんかいとは何だ?」
「一々言い方が可愛いね、ラグラス」
きょとんと首を傾げる彼は小動物のように可愛らしい。形はでっかくて綺麗な男だというのに、物凄く純粋な生き物だと認識させられてしまう。
セージさんが煎れてくれたお茶をのんびりとすすりながら、私は左手で握ったフォークをくるりと回した。
嵐のような一日から三日経った土曜日。今日はバイトが夕方からで、木村さんと一緒にビオラへと来た。この世界がどうとか言っても、もう仕方ない気がする。ちょっと開き直った。
「日本ではもうすぐ一年が終わるの。今年一年お疲れ様っていう飲み会だよ」
「飲み会とは?」
「規模の小さいパーティみたいなものかな」
ラグラスにとってのパーティがどんな規模だか分からないけど、やっぱり王族なのだから誕生日パーティでも国を挙げてのお祭りなんだろうか。ささやかなパーティなんて、ラグラスには想像出来ないんだろうな。
「仲の良い友達とお酒飲んで、食べて、騒ぐ!それが飲み会!」
「お前…」
「あ、私は飲まないよ!食べて騒ぐだけ」
じっとりとねめつける彼に私は首を振った。一口も飲んでないのにあの醜態(というほどでは無いと思うけど…)を曝した私がそれに参加するのが信じられない、馬鹿かと言いたげな表情。
「だって!舞先輩が参加する飲み会なんて滅多にないもん!行きたいもん!」
鼻息荒く主張する私に、彼はまた女か、と嘆息した。
何その浮気性の彼氏を持った彼女みたいな台詞は!失敬だな!
「だから、参加するの!」
「飲むな」
「分かってるよ」
「分かっておらん」
ラグラスは唐突に唇を重ねてきた。微かに触れて離れると、憮然とした表情をしている。
その顔はこっちがしたい。
「セクハラ」
「お前は俺のものだ」
違うと言ってやりたかったし脈絡がないとも言ってやりたかったが、妙に機嫌の悪いお坊ちゃまに反論するのは気が引けた。これ以上機嫌が悪くなると危険だ。うん。
「アイ」
「ん?」
彼は名を呼んだ後、暫く無言で考え込んだ。そうして結局、憮然とした表情のまま、羽目を外すなよと釘を刺したのだった。