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「ねえ、アイ?」
「はい」
今の私は、恍惚とした表情をしているに違いない。
だって。
女神のように美しい人が目の前にいて。そして私の両手を取って小首を傾げているのだ。こちらを窺うようなその表情たるや!
世の男性諸君。女に騙されるなら、こういう美女になさい。少なくとも、一時期のワイドショーを賑わせた女たちに騙されるよりよっぽどいい。っていうか、騙されて本望だ!
「わたくしね、あの子が心配なの」
「はい、分かります。我が儘で子供で、とっても自己中心的ですもんね。お姉さんが心配するのも良く分かります」
「まあ、理解してくれて嬉しいわ」
背後に居るラグラスから、更に不機嫌オーラが噴き出したが、まあそれはどうでもいい。
「だからねアイ、お願い」
「はい」
お姉さんの綺麗な顔がずいと寄ってきた。視覚的に文句の付けられない美貌にすべすべの肌、嗅覚に訴えるのはクラクラするような花の香。
ああ、堕落してゆく。お姉さんの望みなら、なんでも叶えてあげたい!
「早くラグラスの子を産んで欲しいの」
「はい!……って、ええ?!」
至極当然とばかりに言い放った彼女に私は硬直した。
「国の為に身を引け、とか」
「わたくしはあの子の幸せを願っているのよ。ねえ、お願い」
うわわわわ。
甘ったるい語尾に媚びた上目使い。
完璧だ!完璧過ぎる!これぞ男を転がすフジコちゃんだ!
私だって、他の事なら何でも聞いてあげたい。だが、子供を、なんてのはそう簡単に叶えてあげられない。
「だって、あの子はアイを愛しているのよ?他の人に子供を産んでだなんて言えないでしょう?」
「う、あ、はい」
「駄目?」
「ううううう」
寄せられた眉に揺れる双眸。何と蠱惑的な。
「後継ぎだというのに勝手に国を出て。イイギリに嫁いだわたくしには、何の連絡も寄越さず」
彼女はちらりとラグラスを見上げた。
彼はきっと視線を反らしているに違いない。
「スターチス様に手を貸して頂いたんでしょうけど、国を出て逃げられるとでも思っていたのかしら」
「姉上…」
「貴方が継がず、誰が国を継ぐというのですか」
小さく嘆息した後、彼女は首を振った。
「わたくしにはそのうち連絡してくるでしょうと待っていたというのに、一向に連絡はない。久しぶりにお父様のお見舞いに行けば貴方は戻っているどころか、誰にも紹介せず結婚相手を決めたという。スターチス様から聞いたわたくしがどれだけ…どれだけ…」
ぐっと唇を噛んで俯く。
そうですよね、こんな我が儘ぼっちゃんでも心配しますよね。分かります。分かりますよ!
「腹立たしかったと思っているのですか!」
「ふえぇ?」
「結婚するのは良いのです!早く後継ぎを産んで頂きなさい!ですが、いつまでも国に戻らぬとはどういうつもりですか!貴方、わたくしとお腹の子に、どれだけの負担を掛ければ済むのです!」
物凄い剣幕で矢継ぎ早に言った彼女に、私は呆気に取られた。
何と言うか…物凄い威圧感です。迫力が違います。怖いです。美人を怒らせると本当に怖いんですね。
ちらり、と振り返ってラグラスを見遣ると、綺麗な顔を引き攣らせて、恐怖に耐えているようだった。
「…申し訳ありません」
「そう思うのなら、今すぐ彼女を連れて国にお帰りなさい!」
いけない!このままでは、全力でこの美人姉弟に落とされてしまう!
「おおお、お姉様」
「なあに?」
「私、学生なんです」
「がくせいとは何ですの?」
「えーと、言わば見習いのような者です。親の庇護下にありまして、親の許可無しには結婚も出来ません。私、後三年は学生なので、結婚は出来ないんです」
「まあ…面倒なのねぇ」
「はい。私も貴女の妹になれるなら喜んでと言いたいんですよ?お姉様のお願いを叶えられないのは心苦しいんですが、今の私に子供を産むなんて、無理、なんです」
分かってもらえただろうか。
お姉様は、ん、と唇を尖らせた後、にっこりと慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「このままこちらに残れば、何の問題もありませんわ。今すぐにでも国に行きましょう。陛下も喜ぶわ」
「大アリですよーーーー!」
駄目だ!この姉にしてこの弟有り!人の言う事なんてどうでも良いのだ。我が儘で自己中心的な生き物なのだ!誰だ、教育係!出てこぉい!
「姉上。今日のところはお帰り頂けませんでしょうか」
「いやです」
うわぁ。そんなに笑顔できっぱりと即答しなくても。
ラグラスは盛大に嘆息を落とした後、お願いしますと丁寧に頭を下げた。
「ラグラス」
その態度にも揺るぎそうにないお姉様。長い睫毛をしばたかせ、冗談めいた笑みを消した。
「お父様は、そう長くありません」
持って数年でしょう、と。
実の娘が口にするには酷い現実だというのに、彼女は淡々と言葉を続けた。
「貴方はただの言い伝えだと思っているかも知れませんが、わたくしはそうは思えないのです。貴方の中に、彼の方は眠っているのだと、確信しています」
「その…勝手な運命とやらが、国を背負う者として当然という義務が、私には受け入れる事が出来ません。姉上、どうか分かって下さい。私は私の決めた運命を進みたい」
「なりません」
彼の真摯な言葉にも姉は心動かされなかったらしい。きっぱりと首を振って、握ったままになっている私の両手に、きゅっと力を込めた。
「貴方が逃げても…どうにも、ならぬのですよ。血とは、国を負う者とは、そういう…定めなのです」
そっと伏せられた悲しみに曇る青に私は喉を鳴らした。えもいわれぬ色を称えているのだが、ここでそれを口にする事は出来ない。
私は空気を読んだ!
「グロリオーサ様」
刺すような空気の中、声を上げたのは美少女ちゃんだった。
椅子からすっと腰を上げると、お姉様の横で優雅に膝を折って美人を見上げる。
「わたくしなら今すぐにでも、御子を産んで差し上げられます」
わ…将を射んと欲すればまず馬を射よというやつですね!強かだなぁ、この子。
「そうですね。この子が貴女を愛せば、それが一番だったのですけど。この子は貴女を愛さなかった」
その言葉に美少女は整った美貌を歪めた。
「わたくしは!アベル様を御慕いしております!この者はそうではございません!でしたら、わたくしを…わたくしをお召し下さいませ!」
それは叫びのようだった。
彼女は、本当にラグラスを愛しているのだ。
……何で私がここに居るのだろう。どうして彼は、面倒な私を諦めてくれないのだろうか。
それが彼の意地だというなら綺麗に無視してみせるが、本気で私を欲しいと思ってくれているらしいから困ったものだ。美少女が投げた悲痛な言葉に、流石のお姉様も口を噤んでしまう。
「リオ」
凍えるような空気を破ったのは、柔らかな男性の声だった。