2-3
「全てお前が招いた厄介事ではないか。わしは知らん」
きっぱりと言い放ったその人を、私は見たことがある。画面の中と新聞で、だけど。
村越恭一郎。公表している年齢も実年齢も知らないけれど、一見するに七十は越えているだろう。
日本有数の財閥である村越グループの会長。食品から玩具、サービス業まで手広く手掛けていることもあり、小学生も高学年になれば知っているくらいの大企業だ。
小柄な身体から溢れるのは、身を引いてしまうほどの威厳。
彼が、木村さんの兄弟ギリアさんだというのだから驚いた。まさか、こんな大物とは。
その大物に気圧されるよりなにより、私は大層な衝撃を受けていた。木村さんがあらましを説明している間、私の頭はそれでいっぱいになっていて、口に出さないようにするのに必死である。
ギリアさんの冷ややかな言葉に、木村さんがやっぱり?とへらりと笑った瞬間、私は叫んだ。
「美女じゃない!」
心からの叫びに、ラグラスは呆れたように息を吐いた。
「お前は…」
「小松ちゃんはどこまでいっても小松ちゃんね」
「だって!なんで?!どんなタイプの美女がくるか、楽しみにしてたのに!何でおじいちゃんなの?!綺麗なおばあちゃんなら良かったのに!」
「スターチス…」
「やめて、そんな目で見ないであげて。この子は本当に美女が好きなのよ」
「変わってるんですね」
「あ、なんか秘書さんにしみじみと言われると、なんだかとっても悲しくなるよ?」
「それは失礼しました」
薄く笑った彼は微塵も悪いだなんて思っていないだろう。別に変わってると言われた程度で傷付いたりしないが、淡々としみじみと言われたものだから、ああ、やっぱり変わってんのかな?と自覚させられてしまうというか。
この機械的な口調がよくないのだ、きっと。
「わしがこの姿なのはな、嬢ちゃん」
「はい?」
ギリアさんに視線をやって、私は呆気に取られた。
「こんなんじゃ威厳とかないでしょ?」
「うっわぁあ!そっちのがイイ!」
ギリアさんはそれはそれは妖艶な金髪美女へと姿を変えていたのだ。口角のきゅっと上がった薄い唇といい、ぱちりとした水色の目元にあるほくろといい、これぞ「ザ!美女!」というお顔!次のボンドガールは、怪盗アニメのゲストヒロインは貴女に決定です!あ、怪盗アニメはフジコちゃんとキャラが被っちゃうから駄目か。清楚な子じゃないと。
「身体は老人のままなのか」
ふむ、と興味深そうにギリアさんを眺めるラグラスに、彼女?はうっとりするような笑みを浮かべた。ううう美しい!
「面白いでしょ」
「面白くないわよ。変えるなら全身変えなさい、気持ち悪い」
「会長のコレを御覧になって、動じないこちらの王子様も変わっていらっしゃるんですね」
「しみじみと言うな」
「え、ちょっとギリアさん?!」
食い入るように美女を見詰めていたのだが、瞬きする間に元の老人に戻ってしまった。
な、なんと勿体なーい!
「もっと!もっと美女のままで!」
私の切実な願いに、ギリアさんはうっ、と小さく呻いた後に頬を引き攣らせた。
「ここまでくると変態だぞ?」
「失礼な!私は単純に、鑑賞するならご老体より美女のがイイと言っているだけです!皆そうなんです!さあ、お戻りなさい」
「普通、それを思っても口にはしないけどね…」
「流石スターチスのお気に入りだな」
「あ、なにそれちょっとどういう意味?!」
木村さんは心外だわ!と叫んだが、こっちだって心外だ!私はただ、美人が好きなだけなんだから!木村さんみたく、自分の欲に目が眩んで星の運命を変えたりしない。私はただただ、美人を眺めたいだけなんだから。どこに、なんの被害を生むというのか。
「私欲の塊な木村さんと一緒にされると困ります」
「うわ。それ、キツイ一言だわ」
「事実だからな」
「お前はもっと思慮深く行動してくれ」
「私をすぐ頼るのも控えて下さい」
「なんなのよ!この集中砲火!」
「自業自得」
木村さん以外の四人の声が綺麗に重なり、それに木村さんはがっくりと肩を落としてうなだれた。
少しは反省するといいと思う。
「さあ、もう十分過ぎていますよ。お帰り下さい」
分厚い手帳をばたん、と閉じて敏腕秘書は微笑んだ。出ていけ、と無言の圧力を掛けてくる。
「ええー何も解決してないじゃない。この子預かってよ~」
「直ぐに人を頼るなと言うただろう。早く帰さんと政府に嬢ちゃんと星の存在を知られるぞ」
「だから匿って、って言ってるじゃない」
「たまにはこういう事に頭を使え。妙な発明ばかりしおって」
「現代では商売に出来ないような物ばかりで、当社の利益になりませんので、研究費を削減させて頂きたいと思っていたんですよね、会長」
「そうだなぁ」
「ぎりああー」
うーん。大人の会話が始まってしまった。十分だからと追い出されしまうかと思ったんだけど。
「面倒そうだな」
「ラグラスが帰れば済む話なんだけど?」
ちらりと見上げると、彼はくつりと黒い笑みを浮かべてこちらに顔を寄せてくる。
「お前が着いてくるのならな」
「無理。明日も講義あるもん」
「ならば帰らん」
近付く美貌を両手で押し退けながら嘆息した。
……話にならない。
夕方の公園で、いやだ!まだ遊ぶんだ!と駄々をこねる子供みたいだ。大きな子供を持ったような気になるよ。
「木村さん、私帰っても良い?」
「ちょっと待ってよぉ。研究費のことはナシよ!泣くからね!」
「勝手に泣け」
「どうぞ、私の居ない所でごゆっくりと」
「覚えてなさいよ幸司くん…」
ぽんやりとして見える木村さんがぎろりと敏腕秘書を睨み付けた。全然迫力はないけどね。
厳つい警備員さんが護る正面入口を出ると、辺りにはすっかり闇が広がっていた。快適な空間に居た私には寒風吹きすさぶ外気が痛いくらいだ。
さ、寒い。
ぶるりと肩を震わせると、その肩をぐいと引かれた。
「何?」
「寒いのだろう」
そうだけど…
背の高いラグラスに肩を抱かれれば、私の身体は彼の腕にすっぽりと収まってしまう。ほんと、ただのバカップル…
へ、へこむわぁ。ちょっとは自重して欲しいのだけど、何度言っても聞いてくれないし。自分がこんな恥ずかしい目に会うとは思ってもいなかった。
「あい?」
「え?」
聞き慣れた声が唐突に名を呼んで私は固まった。
まままままさか!そんな馬鹿な!こんな所に居るはずがない!
ギギギギ、と。
油を注しなさいと言われそうな音を立てて(いる感じで)声のした方向を見遣った。
「桂くん!」
「こんな所で何してんだ」
「桂くんこそ!職場この辺じゃないでしょ」
「取引先だよ」
かっちりとコートを着込んだ桂くんは怪訝そうにこちらを見ている。そりゃそうだろう。こんな大企業のビルには似つかわしくない三人。そのうえ見たことのないような美人に肩を抱かれている私、だ。
「それで?」
「うぃ?」
「そちらは?」
にこりと。
桂くんは営業スマイルを作った。
あわわわ。
「寮の管理人さんで木村さん」
「いや、そっちの」
「お前こそなんだ」
あからさまにむっとした様子のラグラスは、ぎろりとキツイ視線を桂くんに注いでいる。
受けて立つ、とばかりに口元だけ笑顔のまま、けれど眼だけが笑っていない桂くん。怖い!怖いよ!
「えーとね!ラグラスといってね、木村さんの知り合い?なんだけど」
「どういう関係だ」
二人の声が綺麗に重なった。ラグラスの声は翻訳機を通しているのだが、どんな作りになっているのだろうか。木村さんの翻訳機って凄いなぁ…へへへ。
「ねぇ小松ちゃん」
「え、はい?木村さんって天才ですねぇ」
「いやそうなんだけど…こちらの方って…」
「はい、小松家次男、小松桂斗です」
「…は?」
一触即発的な睨み合いを続けていたラグラスが、呆気に取られて私を見下ろしていた。