第48話:『母の香り』と『壊れ始めた英雄』
教会と寺院の本隊です。
前橋市へと進軍し続けていた彼らが、ついに舞人たちの前へと現われたのです。
教会と寺院の中心的な部隊だけあって、構成人数の多さは類をみません。
歌い子が3万人ずつほどで、龍人が2000人ずつほどの規模でした。
軍隊のような規則正しき体裁で、彼らは石畳の道路に整列しています。
ある意味では負なる者よりも、威圧的な存在だったかもしれません。
《ローブを纏う教会側》と《法衣を纏う寺院側》と、舞人は直接の対面をします。
異端者たちが壁にならないように、彼らは登場してきたからです。
でもこれほどに多種多様な軍勢を1つの戦場で扱うとなると当然統率者が必要になりますが、教会では枢機卿、寺院では老師がその役割を担っているようでした。
彼らがどんな存在なのかを簡単に説明すると、まず教会の代表的な宗派から枢機卿が、寺院の代表的な宗派から老師が、それぞれ6人ずつ選ばれます。
枢機卿は、教会の最高地位者である教皇を補佐することが仕事で――、
老師は、寺院の最高地位者である天人を補佐することが仕事のようでした。
今回のような場合の教皇と天人は、安全なところから戦場を眺めるのが役割ですし、枢機卿や老師たちが各宗教の軍勢を最前線で率いているのでしょうか。
舞人にとっても彼らは顔見知りですし、彼らにとっても舞人は顔見知りです。
そしてそんな枢機卿のうちの1人をみて、舞人は左手の白刀を落としました。
「……。……。……。……兄貴……」
負なる者を浄化した弓。
それを持っていたのは、ほかでもない舞人にとっての血縁者の青年でした。
枢機卿とは、教会の中でも代表的と認められる宗派の中でも選ばれた者だけが成れる地位だといいましたが、舞人の兄が所属をしていたのは聖国教会です。
聖国教会とは、教会の中心地である東京都の全域を1つの宗派で収め、そのほかにも現在の山形県のように各地方に支部を持つ、最大最高の教会宗派でした。
だから実質は舞人の兄こそが、教会内で「2番目の存在」なのかもしれません。
しかし仮にも2人は兄弟です。
本来ならば舞人も、彼と匹敵する地位になっていた可能性はあったのでしょう。
舞人は生まれた時から寺院と深い付き合いなので、「老師」かもしれませんが。
でも知っての通りに舞人は、教会や寺院の存在のあり方に反旗を翻しました。
だからそのような未来は、閉ざされてしまったというわけです。
とはいえもしもそんな未来が実現をしたらしたらで、それはとても不都合な真実でしょう。兄と弟という存在が、教会と寺院の最上の地位に座るのですから。
でもその点を取り立てて問題にする人は、少なくともこの場にはいません。
枢機卿や老師は舞人がその地位になることを、むしろ歓迎していましたから。
舞人は実の兄と、何か「とても大切な出来事」を経験したような気がしました。
でもそれも思い出せません。記憶のピースが欠落してしまっているからです。
胸の中から湧き出てくるのは、理由のわからない「恐怖」でした。
恐怖を抱いた理由を思い浮かべられないからこそ、余計に恐怖が加速します。
「久しぶりだな、舞人」
「……」
「お前ならこんな状況の中でも、平然と生き残っていると思っていたよ」
皮肉たっぷりにこんな事をいわれ、いったいなんていい返せばいいのでしょう。
視線の向け合いに負けた舞人は、淡々と瞳を逸らしました。
そして右側へとたゆたった舞人の瞳の瞳孔が、とても大きく開かれます。
「……りの……」
「久しぶりだね、まーくん」
恋心や愛情という感情ではなく、純粋な喜びでした。
たった1人の異性の幼馴染との再会に、舞人は純粋な喜びを感じたのです。
天変地異でも起きない限り2人は、会うことが許されない立場でしたから。
舞人は寺院にとっての反逆者で、彼女は寺院の最高地位の天人ですし。
密会なんかをしたら舞人はどうあれ、彼女に大きな迷惑をかけるでしょう。
幼馴染との再会する中で舞人はなぜか頭痛を覚えましたが、今は無視します。
再会を出来て嬉しいという気持ちが、異常なまでに強かったからです。
もともと彼女は天人になる定めとして、生まれた少女でした。
両親どうこうではなく、彼女は「神の子」として生まれたからです。
育ての親はいますが彼女を生んだのは、皇神となっていました。
しかし舞人の宗教嫌いは、幼い頃からの伝統芸です。
教会と寺院という組織に対し、この頃から喧嘩を売っていました。
「えぇ。それはありえないよ、りの。だって『神様』なんて存在が本当にいるはずがないもん。もしも百歩譲って『神様』がいたとしても、こんな国に大切な娘をあげちゃうようなやつは、『神様』とは呼べないよ。だから君は『神様』から生まれた子供ではないね。あいつらにとって都合がいいように利用されているだけだよ」
幼いからこそ舞人は余計に容赦なく、突いてはいけないところを突きました。
面と向かってこんなことをいわれれば祈梨ちゃんだって、瞳を伏せます。
触れてはいけないことに触れてしまったとは、幼い舞人だって気付きました。
そもそも祈梨ちゃんは――、
『もしも私の笑顔をみて笑ってくれる人がいるなら、ずっと笑顔でいたいの』
と考えて、いつもにこにこしていた子だから、余計にだったかもしれません。
恥ずかしい思い出でした。幼い頃の自分を呪い殺しそうになります。
でもだからこそ舞人は今の彼女に、幼馴染としての言葉をかけようとしました。
でもいざ舞人が声帯を振るわせようとした時でしょうか?
悠然と石畳の道路を歩く、たった1人の歩行音が、両耳を震わせてきたのは。
宗教関係者と異端者たちを合わせて7万人近くもいるのに、誰も歩行をするという行為を行っていないせいで、その足音は通常時の何千倍と目立ちました。ただ歩いているだけなのに、太鼓の音でも鳴らしているような引力があったのです。
しかもその張本人の足音はなんとも悠々として、焦りや重圧を感じていません。
でもだからこそ余計に彼の足音は、こんな状況では目立ちました。
ただ足音を聞いただけで舞人は、悪寒によって心臓が支配されます。
この特徴的な足の鳴らし方を、誰よりも舞人は知っていたからです。
……うそだろと思った舞人が、ゆっくりと首元を右側へと回していくと――、
「……。……。……。……大湊。どうしてお前がこんなところにいる……」
この場にはいるはずのない青年の姿が瞳を襲ったので、舞人の声は掠れました。
「……。……。……。……お前のことだけは、ぼくが殺したはずだろ……?」
舞人の表情からごっそりと感情が抜け落ちたのが、全てを示唆したでしょう。
何が現実で何がうそなのか、ここにきてとうとう舞人はわからなくなります。
この国の暗部に巣食っていて、天国になる可能性を秘めていたこの国のことさえも地獄へと陥れた彼のことは、間違いなく舞人がこの手で殺したはずでした。
生きた彼を殺した時の感覚が、舞人の左手にははっきりと残っていましたから。
彫刻のような冷めた顔色をする今の舞人がみせたのは、紛うことなき恐怖です。
「ついに気が狂ったか星宮? 死者はこの世界にはいないはずだが?」
舞人の中に眠っていた決して触れてはいけない一線を、彼は断ち切りました。
彼のことを生かせば「自分の全て」が壊されてしまうと、本能が警告します。
殺してやると思った時には、すでに白刀を手にして、踏み込んでいました。




