ヨヲセが拾った「声」
重たい瞼を開けてみれば、薄暗い天井の壁紙がおぼろげに視界に入る。
「今は……昼かしら夜かしら」ヒネは、自分の記憶をたぐる。遅い時間に湯殿へ行ったのは昨晩のことだったかと、ヒネは小さく混乱する。
宇宙船へ意識のまま訪れて、帰ってきてからというもの、ヒネは、ほぼ丸一日を寝床で過ごしている。
寝床の中で、ふとヨヲセの顔が浮かんだ。
「意識体で移動すると、ヨヲセはどのくらい寝込むことになりますか?」
ヒネは、宇宙船への侵入経路を教わる際、ヨヲセと交わした会話を思い出した。
「一晩寝れば回復するだろ」と返してきたヨヲセの、きょとんとした顔が忘れられない。自分は丸一日、こんなにも辛い思いをするのに、一晩寝ただけで回復してしまうヨヲセが少し憎らしい。
ようやく、今が夕刻過ぎだと理解して、同時にひどい空腹を感じた。
ヒネは次に、カダの気配が近くにあることを読み取った。スベラギの塔に帰って来たのだと察し、少しだけ心が軽くなったように感じる。
ひどく重いままの身体を横向きの体勢にかえた。
「カダ様に策謀の件を伺うべきだろうか……」憂鬱ではあるが、ナウラとの約束もある。いずれにしても、自分自身がうやむやのうちに忘れることなどできないとわかっている。
重い身体をなんとか起こし、寝床から這い出るようにして、ヒネは身支度を整えはじめた。「まずは食事に行こう、そしてカダ様の様子をうかがって、面会が叶う状態かどうかはそこで判断すればいい」ヒネは寝巻から着替えながら、これからの計画を立てた。
食堂へ行けば、変わらない喧噪がそこにあった。しかし、たちこめる食欲を誘う香りはいつものままだが、普段なら3から5種類あるはずの献立が、今日は2種類のみとなっていた。『大雨のせいで食料の供給が滞る事態が予想されるため――』というお詫びの文章が献立表に張られている。
ヒネは体力回復と食べやすさを天秤にかけ、結局は食べやすさを優先して、粥のような汁物中心の膳を頼むことにした。
膳を受け取って、どの席に座るかと見渡したところで、向こうの席にヨヲセが座っていることに気がついた。宇宙船へ行った報告もしたかったので、迷わずヨヲセの座る席まで行く。ヨヲセは一人で食事をしていた。
しかし、いつもなら夢中で食べ進めているはずのヨヲセが、今日は様子がおかしい。膳を半分ほど残した状態で、手を後頭部にやって首を傾げながら難しい顔をしている。
「ヨヲセ、お隣よろしいですか?」
ヒネがヨヲセに声をかける。いつもならヨヲセの向かいに座るのだが、長卓の向こうまで回り込むのが面倒だったのだ。ヨヲセは顔を上げ、ヒネに気がつくと相好を崩した。
「ヒネ、大丈夫か? 体調が悪いと聞いたけど」
ヒネを気遣ってくれたヨヲセの服装は、今日も左官職人のものだ。いったい、どこから聞いたのだろうと思ってヒネは苦笑する。
「昨日、宇宙船まで意識だけで行ったのです。ヨヲセのおかげで無事に行けました、ありがとうございます」
ヨヲセは目を丸くする。
「本当に行ったのか? というか、ヒネも意識だけで行けるのか。たいしたもんだな……」
少しだけ口を尖らせたヨヲセに、ヒネは宇宙船の中でのことを話そうとした。しかし、ヨヲセの顔色が悪いように感じて、いったん話題を変える。
「ヨヲセは今日も左官の職務ですか? 顔色が悪いようですが、お疲れが溜まっているのではありませんか?」
するとヨヲセは、視線をずらして再び後頭部に手をやった。
「いや、体調が悪いわけじゃないんだ。なんかさ、朝から声がするんだよ」
「声?」
ヒネはヨヲセの顔をのぞき込む。
「ああ、だけど声は確かに聴こえるんだけど、うまく言葉にできんのだ。どこから発している声かも、よくわからん。タケ……タデ……ん? タデ……んあ~、なんだ」
ヨヲセはそう言って、聴こえるという“声”を、なんとか“音”にしようと試みている。
ヒネはじれったくなった。そして、ヨヲセの“声”の切れ端を聞いているうちに、自分も胸騒ぎのような“ざわつき”を覚える。
「タデ……カナ……カネ……キ……」
「ああもう、じれったい!」そう思ったヒネは立ち上がり、ヨヲセの両頬に自分の両手を添えた。ヨヲセは仰天し、目を見開いて、ヒネを見上げる。ヒネは構わずヨヲセの顔に自身の顔を近づけて、そのまま額と額をくっつけた。ヨヲセは息をするのも忘れて、目を見開いたまま身をこわばらせる。
だが次の瞬間、固まったのはヒネの方だった。とたんに顔が青ざめる。
「ヒネ?」
少し頬を赤らめたヨヲセがヒネの名前を呼ぶと、ヒネははっとしたように額を離し、食事の膳もそのままに駆けだした。
「ヒネ!?」
背中で、名を呼ぶヨヲセの声を聞いたが、ヒネは振り返ることなく食堂を出た。
昇降機はいつも混んでいる。特に食事時は、乗り込むだけでもかなり待たされる。
案の定、昇降機の前まで来てみれば、いつも通りの長蛇の列である。
一瞬ヒネは躊躇したが、意を決して階段に向かった。食堂は地上6階、目指すべき場所は地上18階。通常でも12階分を階段であがるのは辛い。それに加えて今は、昨日の“宇宙船侵入”の影響で、さらに辛い。
「なんだか最近、ひどく身体が重い気がするのだが」
らせん状になった階段で、すれ違った男性が、隣を一緒に下っていく男性に話しかける声が耳に入る。
「そなたもか。実は、私もなのだ。食べすぎなのであろうか」
そう言って男性が笑う声を聞き、ヒネの胸騒ぎは急速に暴れだす。階段の壁に取り付けられた小窓から、降りしきる雨が見える。
――早く、早く、行かなくては。
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