忘れ得ぬ記憶②
ここは宇宙だろうか……遠くに無数の星のような小さな光が瞬いて見える。だが、私が知っている宇宙とは少し違うようだ。
ふと、ずっと遠くに視線を向ける。
そこには、暖かな、まばゆい光があることに気がついた。
その光は、ゆっくり私に近づいてくるようである。それとも近づきつつあるのは私の方か。
「そうか……あれが魂の泉なのね……」
私はなんとなくそう悟った。
人は生まれるとき魂の泉から命を分けてもらい、死を迎えれば魂の泉へと帰る。そこにはすべての命が一体となって、過去に生きた人・未来を生きる人、そのすべての記憶が刻まれているという。死して肉体を失ったあとは、やがて自我を溶かし、個を失って、すべての魂と溶けあい一つに還るのだ。
幼いころからそう教えられてきた。
怖くはない。むしろ例えようのない安堵感と優しさ、深い慈愛に包まれていくように感じる。
しかしそうなれば、私はもう二度と、愛する夫に自分の本当の想いを伝えることはできない。強い後悔の気持ちが、私をこの場に留まらせている。
だが、それでも少しずつ、自我が薄れていくのを感じていた。残された時間は、もうあまりないのだろう……。
そのときだった。
「何かお困りでいらっしゃいますか?」
どこからともなく、そう声をかけられた。
声がした方を振り返ればそこに、いつの間にか人影があった。涼やかで凜とした瞳の、少女のようにも見える女性だ。
そして、どこか自分に似ているような気もした。
「あなたは亡くなられているのでしょう。それなのに、魂の泉へ行くことを拒んでいらっしゃるように見えて……何かお困りなのではと、差し出がましくも声をかけてしまいました」
女性は丁寧な口調で、そう言った。
しばらくこの場所にいるけれど、ここで誰かに会ったのは初めてである。
見れば女性は少し様子が違って見えた。
何が違うというのだろう? 服装はあまり馴染みのないものだったが、そんなことではない。言葉にしがたいが……。私は、はたと思い至り女性に尋ねる。
「あなたも亡くなっているのよね?」
すると女性は苦笑しながら答えた。
「私は今のところまだ亡くなっておりません。ここに来れば母の魂に会えるのではと期待して、ときどきのぞいているのです。ですが母は私に用がないのか、一度会えたきり会えずにいるのですが」
私は驚いて彼女を見つめた。
「あなた、生きているの? 生きたままで、ここへ来られるの?」
「はい。物心がついたころより私は、魂の泉をのぞくことがどういうわけか得意なのです。そして、稀に魂の泉へと向かうこの場所も、のぞけることがあるのです」
淡々と答える彼女に、私はほっとしたような、泣きたいような気持ちになって、いつしか自分に起きた話をしていた。
幸せな人生を全うしたつもりでいたのに、亡くなったあとで夫の本当の気持ちを知ったこと。
自分の気持ちを伝えてこなかった後悔。
その未練を断ち切れず今もまだこの場所に留まっていること。
そして、もう時間がないのだということ……。
彼女は黙って私の話を聞いてくれた。そして私がすべて話し終えたあとで、静かに言った。
「そのような事情でありましたか。これは気休めにしかならないかもしれませんが、もしいつかこの場所で……あるいは縁あって、現世であなた様の夫という方とお会いする機会がございましたら、あなた様のお気持ちを私が伝えたいと存じます」
それは限りなく不可能に近いことだと思った。だが、誰かに私の気持ちをさらけ出したことで、私は落ち着きを取り戻し満足しつつあった。そうだ、どのみち彼がいつの日か、その生をまっとうし魂の泉へ戻る日が来れば、私の想いも知ってもらえることになるだろう……。
今更彼に自分の気持ちを伝えたいなどというのは、私の私欲に過ぎないのだ。
私は彼女に向き直り、そして微笑んだ。
「ありがとう、そう言ってもらえて気持ちが安らぎました。ではもし、彼に会うことがあれば、お伝えください。あなたがいてくれたおかげで、私の人生は幸せに満ちた価値あるものであったと。私はあなたを――」
しだいに声がかすれ、涙声となった私は、絞り出すように続けた。
「あなたを、魂をかけて愛しておりました」
彼女は微笑み返し、答えてくれた。
「承知いたしました。それでは、あなた様と、あなた様の大切な御方の名前も、お聞かせいただけますか?」
私は、自分の名前と最愛の人の名前を伝えた。
それから、もう一度お礼を言って、彼女に別れを告げた。
振り返ればすぐそこに、慈愛そのものである魂の泉の温かい光があった。
いよいよ還る時が来たのだ。
私はまばゆい光と深い慈しみの中で目を閉じた。
だが、ふと気配を感じた気がして、もう一度目を開ける。
目線の高さに、先ほどには無かったはずの男性の胸元があった。
魂が、震えた。
この胸元には見覚えがある。
目が潤む感覚を思い出す。
ゆっくりと目を上げる……。だが目の前にいる人物が誰であるかなど、顔を上げるよりも前にわかっていた。
「あなた……」
見上げれば、そこに
逢いたかったあの
美しい笑顔があった




