5-2 TS娘と命の値段
僕と、ハジメと、死んだもう一人の幼なじみの女の子。
三人だけで暮らした、短かったけれど僕にとっては一番幸せだったあの頃。
僕たち三人が出会ったのは、サセボステーションからは少し離れた農場のある孤児院だ。
というより、僕たちはそこで物心ついたときから兄弟みたいに暮らしてきた。
もうすっかり忘れかけていたけれど。
ハロワのワーカーになって稼げるようになったら、いつか必ずあの孤児院に恩返ししよう、なんてハジメと話していたんだったか。
孤児院を出たあと、当時の三人暮らしでは一つだけ、ちょっぴり不満なことがあった。
ハジメともう一人の女の子が、ちょっといい雰囲気だったのである。
ハジメのほうはどう思っていたのかよくわからないが、あの子はずっと、ハジメのことが好きだったのだと思う。
あの頃の僕とハジメは貧しいなりに生活を支えていくので精一杯、いつも仕事のあとは疲れてぐったりしているだけだったのに。
あの子はそんな厳しい生活の中でも、恋をする人間らしい心をしっかりと保っていた。
ハジメと二人でお出かけしたときに、いかに彼が優しくて、いかに楽しかったか。
そんな話を毎度僕に聞かせてきたのだが、リアクションに困ったのをよく覚えている。
だからせめてもの協力として、僕はちょくちょく一人で住みかから離れたりと、ハジメと彼女が二人きりになれるように気を遣っていたのだが。
彼女が僕と一緒に誘拐され、殺されたとき。
少なくとも彼女も、僕と同じく誘拐犯どもに何度も犯されたあとだったはずだ。
彼女は誘拐される前、一度でもハジメに抱いてもらえていたのだろうか?
そうであればいいな、とも思う。
そうでなければいいな、とも思う。
どちらにしても彼女はもう帰ってこない。
どちらにしても、幸せな死にかたではなかった。
最近になってあの頃のことを思い出すと、また一つ不満なことが増えてしまっている。
もう10年も前のことだから、仕方がないことなのかもしれないが。
思い出の中の景色が、霞がかったようにぼやけてしまうのだ。
あの幼なじみだった女の子の顔を、もう僕はきちんと思い出せなくなってしまっている。
笑った顔も、死に顔も、ぼやけて霞んで。
どうしてだろう。
ハジメの顔だけは、今も昔もこんなに鮮明に思い浮かべることができるのに。
◇-◇-◇-◇-◇
剣を収めてからも、ハジメの表情はまだ固かった。
乱れた衣服を整えた例の女の子に、ずっと冷たい視線を向け続けている。
顔の大きな傷痕も相まって、威圧感がすごい。
もしかすると、彼女がつけている体を売る証の赤い首輪が気になるのだろうか?
確かに体を売る方もそれを買った私も誉められたものではないが、よくある話だし、そんなに厳しい顔をしなくてもいいだろうに。
「……それよりハルさん、ステーションからまっすぐここまで来たんだよな? 今日ここに来るまでにハチに何匹会った?」
言いながらハジメは体の向きをかえ、ようやく女の子への厳しい視線を外してくれた。
私と向かいあったとたん、急にいつもの優しげな表情に戻ってくれたから、逆にびっくりしてしまう。
私に怒っているわけではないのかな?
「……ハチだけなら8匹。一匹は逃げられたけど」
バツが悪い心地のまま上目遣いでそう言うと、ハジメは真面目な話の最中だというのにどうしてか柔らかい笑顔のまま、だけど少しだけ眉間にシワを寄せる。
「こっちは7匹だ。……ハチにしちゃあ多すぎないか? 俺たちだけで最低14匹も殺してることになるぞ」
ハジメは私に体ごと向き合って、不自然なほどに女の子を自分の視界に入れようとしない。
私だけを見てくれているようで不快ではないのだが、明らかに何か思うところがあるのが透けていて居心地が悪くなる。
ただ、ハジメが口にしていることは確かに少しおかしかった。
同じエリアで短時間にハチ14匹と遭遇なんて、巨大な巣でも無ければ考えにくいのだ。
「一旦引き上げて報告したほうが良さそうだね。……ねえ、あなたもそれで構わない?」
「は、はい。何かあったんですか?」
私が赤い首輪の女の子にそう話を振っても、やっぱりハジメはそちらに一度も目を向けず、私のほうに優しげな表情を向け続けるだけだった。
三人でステーションに戻る最中も、ハジメは女の子と一度も口を聞かなかった。
なんでそこまで冷たく……と言いたい気持ちにもなるけれど、確かに私だって、同じようにハジメに寄生する女の子を見てしまったら、多少は厳しい目でも見てしまうかもしれない。
いずれにせよ彼女はもう帰したほうがいいだろう。
これ以上ハジメを嫌な気分にさせたくはないし、ハチが多すぎる件での報告にも彼女は全く必要ない。
「じゃあ、あなたはここまででいいよ。報酬は……待たせるのも悪いし、これでどうかな」
もう細かく考えるのも面倒で、私は今日の報酬の見込み額の半分以上、400円を財布から取り出して彼女に渡した。
本当なら、さすがにもっと少ない額でいいのだろうけど、ハジメの前で揉めるのだけはごめんだ。
なにせハジメはこちらに見向きもしないまま、さっさとしろとばかりに腕を組んで私を待っている。
太ももとお腹にちょっと触っただけで400円。オカヤマにいたころなら、同じ金額で胸だって好きなだけ触らせてくれるお店もあったのだが。
そう考えると、さすがにため息が出そうにはなってしまう。
「い、良いんですかこんなに……! あ、あの、じゃあその、ハルさんちょっとだけこちらによろしいですか?」
予想外に高額の分け前を受け取った女の子は、ぱあっと明るい表情になって私の手をとった。
そのまま引っ張られるようにして、私はステーションのすみっこのほう、人の視線に晒されない場所へ連れ込まれる。
ちょっとこれは良くない。
ハジメが私を待っているので、何か言いたいことがあるなら早くして欲しいのだが……。
だけどほとんど腕を組むようにして引っ張ってくるものだから、私の腕に柔らかい彼女の胸が当たっていて、とてもではないが私からははね除けることができなかった。
ハジメを気にしてキョロキョロしている私の正面に回りこんで、彼女は私の頬を両手で挟んだ。
平凡な顔立ちではあるけれど、これだけ近くで見つめあってしまうと、さすがにどきどきしてしまう。
どうしたの、と私が尋ねる前に、彼女はゆっくりとその目を閉じた。
そしてそのまま、彼女の顔が私に近づいてきて。
唇が、触れ合う。
「また今日のお礼、させて下さい。明日も、今日お声がけした場所で待ってます」
その艶やかな声と、唇に残る柔らかい感触に、私はただ首を縦に振ることしかできなかった。




