第1話:目覚めと勘違い
静寂を、チリッ――という微かな電子音が破った。
透明な円筒――培養槽のようなものの中で、視界が開けた。
……温かい。ここは……どこだ?
濁った意識の底で、視界がゆっくりと焦点を結ぶ。最初に目に飛び込んできたのは、ドーム状の天井。そして、複雑で幻想的な幾何学模様の、青白い回路状のもの。
それは僕の知る現代の技術を遥かに凌駕する、超高度テクノロジーの回路のように見えた。
ここはどこだ? それとあれは……魔法陣? ……買い物帰りだったような……それから……どうなったんだっけ?
混濁した意識の中、途切れた記憶を辿ろうとしたその時、光を背に自分を見下ろす「存在」に気づいた。
「……目覚められましたか。プロト・ワン」
鈴を転がすような、皮膚の内側まで染み込んでくるような透明感のある声。
そこにいたのは、透き通るような白銀の髪、月光を宿した白金の瞳、そして――人間よりも少し長く尖った耳を持つ、絶世の美女だった。
エルフ……?
混乱した脳が、必死に現状を定義しようと回路を繋ぐ。不透明な薬液、見た事もない装置、目の前の幻想的な種族。
かつて嗜んでいた21世紀初頭のエンタメ作品――その定番のシチュエーションが、鮮やかな色彩を伴って脳裏に蘇る。
なるほど。そういう事か……!
僕は一つの結論を得た。
「……まさか……異世界か?」
口にした瞬間、自分でも少しだけ笑いそうになった。
いや、待て。
異世界転生?
本当に?
名前も、昨日まで何をしていたのかも思い出せない。なのに、こういう場面にぴったりの娯楽知識だけは出てくる。
何とも都合の悪い記憶喪失だ。
本当は、知らない場所で目を覚ました事が怖かった。
だから、知っている物語に当てはめてみる。今は、その方が少しだけ息がしやすい。
……異世界転生、って事でいいのか?
ポッドの中で上体を起こす。
ふと、自分を包んでいたこの「透明な円筒」に既視感を覚えた。
見た事がある。
そうだ、未だにリメイク作品が制作される、全世界で人気のバトルアニメの敵が治療するメディカルマシーンに似ている!
……いや、異世界だから治癒の魔法槽ってところか。
ささやかな発見に満足しかけた直後、さらなる事実が飛び込んできた。
僕の知る定番では「不自然な光」であったり、都合よく置いてある「小物」であったり、これが女性なら物理法則を無視した「髪の毛」が重要な部位を隠してくれる。
しかし、そんな都合の良い物は実際にはありえない。
だが、今の状況では情報が大渋滞だ。
そう。
全裸なのである。
僕は慌てて下半身を隠す為、流れるように膝を抱える体勢に移行した。
うっすらと青白く光るスライム状の溶液に濡れたまま、しかしてその表情には、羞恥心よりも、長年憧れたシチュエーションに身を置く事への奇妙な高揚感があった。
そして、努めて冷静に、落ち着きを取り戻すべく尋ねる。
「私は異世界転生し、何らかの危機を救う為、この世界に召喚された……という理解で、よろしいでしょうか?」
全裸のまま、精一杯の決め顔。
これなら記憶喪失という設定も、きっと備わっているであろうチート能力でカバーできるはずだ。
だが、銀髪の美女は、その言葉に不思議そうに瞳を曇らせた。
「異世界転生……?」
彼女は小さく首を傾げると、次の瞬間、静かにその場に跪き、床に両手をついて深く頭を垂れた。
「いいえ、プロト・ワン。私達は、貴方様に救いを求める者ではございません」
彼女の声には、勇者への期待ではなく、もっと根源的で絶対的な「畏敬」が含まれていた。
「貴方様こそが、私達エイリスの、そしてこの世界の全てを創造された女神の主……」
周囲の影から、同様の耳を持つ美形の人々が次々と現れ、全裸の僕を囲むように一斉に平伏していく。
「至高の礼をもって、お迎えいたします。私達の――『プロト・ワン』よ」
……は?
自分に向けられた信仰にも似た熱い視線の渦中で、僕は固まった。
(普通、こういう時は『勇者様、魔王を倒してください』だろ? なんで僕、いきなり神様扱いされてるんだ……!?)




