第63話 ひなた
スマートフォンをテーブルに置くとハヤテが横から覗き込んできた。
「ご主人、今からくるんすか?」
「おう。居住エリアに通して、そこで処置する。」
「あ、じゃあ、ちょっと片付けるっすか?」
「そうだな、リビングにベッドを準備するから、スペース開けてくれるか?」
「りょうかいっす!」
ハヤテはソファやローテーブルを手早くどけていく。コストを支払い、空いたスペースにベッドを手早く設置する。
その辺に寝ていた猫又は不満げに鳴いた後、特等席であるリンドヴルムの膝上へ避難した。
「わらわは席を外した方がよいかの?」
「いや、いてくれ。ひかりにはもう隠す気はないんだ。」
「ふむ。お主の方針ならば、わらわは座っておる。」
ユキが俺を見た。
「ご主人様、そろそろ行きましょう。」
「そうだな。」
「簡単に準備だけ済ませます。」
エリクサーは一旦シノに預けておいた。外へ持って出るのも不安だしな。
ユキがリビングの床に視線を落とした。ユキが指先を空きスペースに向けて、魔力を集めていく。蒼い光の線が、床の上に軌跡を残し始めた。円、見たことのない文字の紋様、同心円、放射状の線。5分ほどで、直径2メートル近い魔法陣が居住エリアの床に定着した。
「こちらが、居住エリア側の転移陣です。」
「てことは、これで弟さんを移送できるってことか。タクシーかと思ってたから、助かる。」
「はい。病院に到着してから、弟さんの病室で対となる魔法陣を描きます。描いた瞬間に、この陣と繋がって開通します。」
「病院までは普通に行く形か。」
「はい。」
「分かった。じゃあ、タクシーで行くか。」
左手でスマホを出して、タクシーアプリで適当に手配した。祖父母宅の前に10分後で、配車確定、と。
――
ユキと転移陣で祖父母宅に移り、玄関から外に出た。手配したタクシーが、ちょうど門の前に停まったところだった。運転手に病院の名前を告げて、後部座席に並んで座った。
30分ほどで病院に着いた。会計を済ませて、俺とユキは小児科病棟の廊下に入る。看護師が1人、遠くで台車を押していたが、特にこちらに視線を向ける人はいなかった。
ひかりの弟の病室。個室だ。静かにノックしてからドアを開けた。
「遥さん、ユキさん。」
ひかりが椅子から立ち上がった。
ベッドでは弟が眠っていた。小さい。小学校中学年くらいの身体が、大人用の病院のベッドでは余計に細く見えた。呼吸は浅くて、規則的だった。顔色は紙のように白い。
「……遥さん、ありがとうございます。」
「……礼は最後な。」
「はい。」
ユキがベッド脇にしゃがみ込んだ。
「空月様、失礼いたします。」
ユキの蒼い瞳が、病室の床を見渡した。ベッドの下、窓際、ドアの内側。最終的に、ベッドの横の床を指で示した。
「ここに、対の陣を描きます。」
「陣、ですか?」
「あぁ、俺のダンジョンまで転移する。驚くだろうけど、安全に移動できるし、早く治療できる。」
ユキが指先を床に置いた。ほんの少し集中するようにして、魔力を指先に溜める。床の上を、指がすっと走った。蒼い光の線が、フローリングの上に軌跡を残していく。5分ほどで、居住エリアと同じような魔法陣が床に広がった。最後にユキが魔法陣の中心に指を落とすと、蒼い光が一瞬強く脈打った。居住エリアの陣と繋がった合図だ。
「開通しました。」
「すごい……。」
ひかりが口を開けたまま魔法陣を見ていた。
「これで、ダンジョンに行けるんですか?」
「そうだ。一瞬で、居住エリア、あー普段俺たちが生活している場所に着く。」
俺はベッドに近付いて、弟の顔を見た。
「さて、そろそろ行くか。弟君、動かしても大丈夫か?」
「はい、意識は戻りませんけど、安定しているみたいなので。」
「抱えますね。」
ユキが弟を抱え上げた。ユキの腕はほっそりとしているが、人、それも子供を抱える程度なら造作もない。
「ひかり、病室のドアに鍵はあるか?」
「内側から鍵はかけられます。看護師さんは定期巡回が2時間後なので、その前に戻さなきゃですけど。」
「2時間あれば十分だな。鍵かけといてくれ。」
ひかりがドアの内鍵をかけた。
ユキが魔法陣の中心に立った。俺とひかりも、その横に立った。
「行きます。」
蒼い光が足元から上がった。
――
居住エリアのリビングに光が収束した。
ユキに抱えられた弟。俺。ひかり。
ひかりが周囲を見渡した。口が半開きになっている。石造りの壁、大型ソファ、カーペット、暖色の間接照明、大型テーブル、壁面のモニタ。ダンジョンの中にしては、あまりにも普通の住空間だった。
視線が大型高背椅子で止まった。紫の長髪に捻じれた2対の角。鱗の尻尾が椅子の横に流れている。ひかりの肩が、びくっと跳ねた。本能的に何かを感じ取った反応だった。リンドヴルムは本から顔を上げ、紫の瞳をひかりに一度向け、小さく頷いてから、また本に視線を戻した。
「これが、ダンジョンの中……?」
「居住エリアだ。眷属たちと俺が住んでる場所。あとで全員紹介する。今は弟さんが先だ。」
「は、はい……。」
ひかりはまだ現実を飲み込み切れていないようだが、先に進めることにする。
「ここで処置をするぞ。」
シーツの白いベッドが整えられていた。枕と毛布もきっちり。ハヤテがその脇でぱたぱた翼を動かしながら待っていた。
「ひかりさん、久しぶりっす! ハヤテっす!」
「あ……! 翠嶺洞で、遥さんと一緒にわたしを助けてくれた……!」
「っす! 改めまして、鷹獣人のハヤテっす。」
「は、はい……あの時は、本当にありがとうございました……!あれ、鷹獣人?ってなんですか?」
「気にしないでほしいっす! ご主人の友達は自分の友達っすから!鷹獣人については、説明が難しいっすね~。ここにいるのは、ご主人以外みんな人間じゃないっすよ!」
ハヤテが軽く挨拶して、シノを振り返った。シノはソファから立ち上がって、柔らかい笑みを浮かべていた。
「初めまして、ひかりちゃん。九尾のシノよ。」
「……九尾。」
ひかりが目を丸くして、琥珀色の尾3本を見た。
「とは言っても今は尻尾3本だけどね、あはは。まぁ、自己紹介は後でゆっくりしましょう。今は君の弟くんを。」
「は、はい!」
ユキが弟をベッドに寝かせた。
俺はポーチからエリクサーの瓶を取り出した。左手で持って、ひかりに見せた。
「これがエリクサーだ。まあ俺も初めて見たんだけど。」
ひかりの目が黄金色の液体に吸い寄せられた。口元が震えた。
「これが……。」
「ああ。シノ、これって飲ませればいいんだよな?」
「うん、それであってるはずだよ。」
「よし、ユキ、頼んでいいか。」
ユキが瓶を受け取った。コルクを細い指で抜いた。ぽん、と小さい音がした。黄金色の液体が揺れる。
ユキが弟の顎を優しく支えて、瓶の口を唇に当てた。左手で瓶を少しずつ傾ける。同時に、右手を弟の喉に軽く当てる。魔力が流れ込む気配。弟の喉が、ゆっくりと動いた。嚥下。ほんの一口、黄金色の液体が吸い込まれた。
ユキが続ける。2口目、3口目。弟の胸が、少し高く上下するようになった。頬に、紙のような白さに代わって、薄く血色が戻ってきた。
4口目で、弟の瞼がぴくりと動いた。
「……あ。」
ひかりが息を呑んだ。膝が震えて、ベッドの横に崩れるように座り込んだ。弟の手を、両手で握った。
弟の睫毛が、ふるりと揺れた。
ゆっくりと、瞼が開いた。黒い瞳が、天井を見て、壁を見て、最後にひかりの顔で止まった。
「……お、ねえちゃん?」
小さい、かすれた声だった。
ひかりが口を両手で覆って、肩を震わせた。
「ひなた、ひなた、……ひなたっ!」
「お、ねえちゃん、なに、泣いて……ここ、どこ?」
「……安全なところだよ。大丈夫。」
ユキがそっとソファから離れた。ユキが俺の方を見上げて、頷いた。
「もう大丈夫でしょう。予想通り、魔力の豊富なダンジョンで治療したことで、心臓が適応したようです。」
「……治ったのか。」
「はい。エリクサーは想定以上に効きました。今後の再発もありません。」
「そうか。」
力が、ちょっと抜けた。
ひかりは弟の手を離さなかった。顔をくしゃくしゃにして、声を出して泣いていた。弟が「おねえちゃん、泣かないで」と何度も繰り返していた。ひかりは笑いながら涙を流していた。
俺は左手で頬を掻いた。
「……ユキ、ハヤテ、シノ、ちょっと席外そうか。」
「はい。」
3人を連れて、リビングの隅まで下がった。ベッドの方は、姉弟の時間にしてやりたかった。
ハヤテがひそひそ声で言った。
「ご主人、弟さん、めちゃくちゃ顔色良くなったっすね。」
「……エリクサー、本当にすごいな。」
シノが尾を1本ふわりと揺らした。
「これで、君の肩の荷、一つ下りたね。」
「そうだな。」
「……君、自分の腕もエリクサーで治さないとね。」
「だな。」
「魔石、思ったより高く売れたし。その気になれば、もう1つすぐ交換できるよ。どうする?」
「うーん……ダンジョンの方も、そろそろ色々手を入れたいからなぁ。」
「あー、じゃ、腕は後回しにするの?」
「……ああ。エリクサーなんかすぐに手に入るくらい、立派なダンジョンにする方が面白そうだろ。」
シノの尾が、俺の左手の甲を2回、軽く叩いた。
ユキが静かに付け加えた。
「私は早く治してほしいですが、止めはしません。」
「……わるい。」
ひかりが、こちらを振り返った。弟を抱きしめたまま、頭を下げた。
「遥さん、ユキさん、ハヤテさん、シノさん、本当に、本当に、ありがとうございます。ひなた、ほら、ご挨拶して。」
弟がひかりの腕から顔を出した。大きな目が俺を捉えて、少し首を傾げた。
「おねえちゃんの、お友達?」
「あー、えっと……。」
俺はしゃがんでひなたくんと視線を合わせる。
「そうだぞ、いつも仲良くしてもらってるんだ。」
「あ、お兄ちゃん、右手、どうしたの?」
小さい指が、俺の右袖を指した。
「お兄ちゃんバカだからなーちょっとケガしたんだ。」
「そっか。」
弟は、それだけ言って、またひかりの腕に顔を埋めた。
俺は左手で頭を掻いた。
「遥さん。」
「うん?」
「わたし、絶対、今回のこと恩返ししますから。」
「……あんまり気負わなくていいんだぞ。」
「いいえ、これはもう決めたことなんです!」
「そうか。あー、そうだな。いまダンジョンをどんどん良くしようとしててな。ひかりにも、是非手伝ってもらいたいんだ。」
ユキがその横で、同じようにひかりを見ていた。
「ひかりさん。」
「はい、ユキさん。」
「ご主人様の横の場所は、一つでも多い方がいいのです。私たち眷属もご主人様を1人にさせたくありません。ですので、ひかりさんが隣に立つ決意をしてくださることは、私にとっても喜ばしいことです。」
ひかりが、ユキを見た。少しぽかんとして、それからまた笑った。
「ユキさん、ありがとうございます。」
「いえ。」
ユキの声は、いつもより柔らかかった。
――
ひなたを病院に戻したのは、その日の夕方だった。
ユキがひなたをもう一度抱えて、居住エリアから病室へ転移した。ひかりも一緒に戻った。「退院までは病院の通常プロセスで」と申し送りをした。
ひなたは「また行きたい」と言っていたが、ひかりが「今度ね」とはぐらかしていた。
転移陣は消し込んだので、俺とユキはひかりに見送られて、普通にタクシーで病院を後にした。
看護師の巡回の時間には、ひなたはベッドで普通に眠っていて、顔色は見違えるほどよく、呼吸も深かった。検査で「原因が分からないまま治った」と騒がれる未来は見えたが、それは医師たちの仕事だ。
居住エリアに戻ると、皆思い思いに寛いでいるようだった。
「お疲れ様でした、ご主人様。」
「ああ、ユキも色々とありがとう。」
「本日は、もうお休みになられた方がよいかと思います。まだ怪我をして間もないですので。」
「そうだな、そうするよ。」
ハヤテがキッチンから戻ってきて、マグカップを両手で持ってきた。湯気が立っている。
「ご主人、ミルクティーっす! 調べて作ってみたっすよ。」
「お、さんきゅ。」
左手で受け取って、一口飲んだ。甘い。砂糖入ってる。ハヤテが覗き込んでいる。
「……うまい。」
「よかったっす!」
ハヤテが翼をぱたぱたさせた。嬉しそうだった。
シノがソファの反対側に座って尋ねた。
「君、明日からしばらく休むでしょ?」
「そうだな、ちょっと休んで、ダンジョンの方をそろそろ拡充したいなって。」
「そっか。あんまり無理しないでよね。」
「ああ。」
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貯金残高:36,200,000円 / ダンジョン蓄積魔力:1,200
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2 / 【魔力操作】Lv.2 / 【マナバースト】Lv.3
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)/ シノ(九尾)/ 猫又(下位妖獣)/ コムギ(土精)
【ダンジョン構成】
入口 → 物資補給エリア → 宿泊エリア(1泊5,000円/管理:シノの式神「コンシェルさん」&猫又)→ 食堂エリア(管理:コムギ)→ 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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