表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リネアの選択  作者: とたか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/99

89 希望

 随行派遣の休養日に入ってから、リネアはほとんど部屋を出ていなかった。

 体の奥に残った対価の重さは、数日では抜けきらず、ふとした拍子に鈍い痛みとして浮かび上がる。

 誰かと顔を合わせる余裕もなく、ただ静かな場所に身を置いていた。


 窓の外では、いつも通り学院の時間が流れているはずだった。

 訓練の掛け声や、生徒たちの笑い声。

 けれどそれらは遠く、ここには届かない。

 同じ場所にいるのに、少しだけ切り離されているような感覚があった。


 ベッドの上には本や資料が広げられている。


 星蝕の観測記録。

 古い神話。

 聖女にまつわる伝承。


 最近は、その二つを並行して読んでいた。


 聖女に関する記述は、どれも曖昧だった。

 奇跡。祈り。神の祝福。

 どれも比喩ばかりで肝心の“仕組み”には触れていない。

 まるで、核心だけを意図的にぼかしているかのようだった。


 ため息をつきながらページを閉じる。


 そのとき、視線が机の端へ向いた。

 包み紙にくるまれたままの一冊の本。


 春暁祭の日に買った古書だった。


 あの日、内容も確かめずに手に取った本。

 持ち帰ってからも、開くことなく、そのままにしていた。


 ――開いてしまえば、あの日の感情までほどけてしまう気がして。

 曖昧に蓋をしていたものが、形を持ってしまうのが怖かった。


 しばらく眺めたあと、リネアは指先を伸ばした。


 しばらく眺めたあと、リネアはそっと包みを解いた。

 紙の音が、小さく部屋に響く。


 現れたのは、想像以上に古い装丁だった。

 擦り切れた表紙には、かすかに聖女らしき人物の絵が残っている。


 少し躊躇いがちにページをめくる。


 そこに書かれていたのは、前代の聖女についての記録だった。

 彼女の周囲にいた人々が残した手記の抜粋。

 記録としての体裁を保とうとした、珍しい本だった。





 ――前代の聖女が現れたのは、今から二百年前。


 幼い頃から強い恩寵を持ち、人格者で気高い少女だったとある。


 聖女と認められたのは、大星蝕の際。

 それまでどんな恩寵でも浄化できなかった災厄を、彼女だけが終わらせた。


 力は――過去の聖女と同様に時間干渉だった。

 対価はない。神からの特別な贈り物。


 力の発現以降、彼女は神殿に所属し、各地で小さな星蝕が起きれば浄化して回った。

 平和の象徴として讃えられ、やがて有力貴族と結婚し、穏やかな生涯を終えたと記されている。


 そこまで読んで、リネアはページをめくる手を止めた。


 幸福な結末。

 けれど、どこか空白が多い。


 結婚相手の記録はぼやけていて、現在に繋がる家門もはっきりしない。

 子どもに関する記述も、一切なかった。


 違和感はある。

 けれど、それ以上の情報はどこにも書かれていなかった。





 リネアが何度も読み返したのは、別の部分だった。


 ――聖女の力が発現した瞬間。


 記録によれば、そのときも大星蝕が起きていた。


 聖女はもともと戦闘系の恩寵を持ち、前線で戦っていたという。

 だが、歪みはあまりにも大きく、どんな力も通じなかった。


 仲間は次々と倒れ、戦線は崩れる。

 彼女自身もまた、退路を失い、絶望の中にいた。


 その絶望の中で――力が変質した。

 記録にはこうある。


 “浄化というより、元に戻っていくようであった”

 “世界の歪みが、なかったことにされたように見えた”


 そして、次の一文が目を引いた。


 “生ある者は元に戻ったが、すでに死した者は戻らなかった”


 ページを持つ指が強くなる。

 死は、戻せない。

 時間の理の外にある。


 聖女は万能だと語られるものばかりだった。

 こんな記述は初めてだった。


 リネアの脳裏に、夢の光景が浮かぶ。


 崩れる学院。

 叫び声。

 白い光。


 倒れていた者はいた。

 傷を負っていた者も。


 けれど――


「……クロウ」


 唇から小さく名前が漏れる。

 あの夢で、命を失っていたのは一人だけだった。

 もし聖女の力が、記録通りのものなら。


 死ななければ、戻せる。


 胸の奥に、細い光が差した気がした。

 絶望ではなく、希望。


 初めて、夢の意味が少し変わる。

 大星蝕が起こっても、救えるかもしれない。





 最後のページを閉じかけた時、指先に違和感が触れた。

 巻末の隅に、かすれた刻印がある。

 インクはほとんど残っていないその印にリネアは見覚えがあった。


 守夜祭の日。

 神殿でミカと一緒に見た、資料室の本に押されたものとよく似ている。


「……どうして」


 ただの古書ではないのかもしれない。


 リネアは本を抱え直す。

 希望を見つけたと言うには、まだ根拠が足りない。

 でも、わすわかな手がかりは確かにここにある。


 神殿の、非公開の記録。


 そこに触れられる可能性がある人物が、一人だけ浮かぶ。


 ミカ。


 以前のように頼れるかどうかは分からない。

 それでも、もう少しだけ知りたい。

 希望を、希望のままで終わらせたくない。


 リネアはそっと本を閉じた。


 胸の奥に灯った光はまだ小さく、頼りないほどにか細い。

 それでも、確かに前を向いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ