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リネアの選択  作者: とたか


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85 限界

 翌日以降から、学院生の配置は変動的になった。

 リネアを含めて回復の恩寵を持つ者たちは、神殿の避難者対応と並行して幕営地の軽傷者の治療にもあたっていた。


 討伐は進んでいる。

 星蝕も観測されてもすぐに収束に向けての対応が取られていた。

 それでも、前線から戻る兵士の中には怪我人が混じる。


 浅い裂傷。

 魔力障害による痺れ。

 疲労の蓄積。


「助かる」


 軍医が短く礼を言う。

 リネアは頷き、恩寵を使うたびに積み重なる胸の痛みは無視して、次の患者へ手を伸ばした。

 今日はミカも近くにいて、恩寵を使う学院生たちの補助にまわっていた。

 肩に触れられると、干渉の恩寵が微かに流れ込み、魔力回路が綺麗に整うのを感じる。


「ミカ、ありがとう」

「貸し一つね」


 リネアを見る表情は、呆れを越して諦めの色がある。

 日が進むごとに、リネアの対価は目に見える形になっていく。

 学院生の中にも疲れの出ている者はいるが、その中でもひときわ顔色が悪い。

 天幕へ戻れば、倒れ込むように寝台へ沈む。

 朝、目が覚めて、いつもの夢を見たのかも覚えていないほど消耗していた。


 リネアは意識して恩寵を抑えてはいた。

 必要最低限。

 治療の線を見極める。

 それでも、これほど連続して恩寵を使うこと自体が初めてだった。

 体の奥で痛みが、癒える暇なく日ごとに増していく。


 長引く災厄に住民たちの不安は高まり、ミカは神殿へ呼ばれる日が増えた。

 隙間を縫うように、クロウも来るが、リネアが一人で過ごす時間は長くなっていた。


「休めているか」


 クロウにそう聞かれても、リネアは笑って頷いた。

 心配させたくはなかった。

 対価のことは絶対に隠さなくてはいけない。


 ただ、会話の内容はほとんど頭に入らない。

 目の前のクロウがどんな顔をしているのかも。





 翌朝の集合時間になっても、リネアは治療区域の天幕へ現れなかった。


 クロウは違和感を覚えて、寝台の並ぶ天幕の奥へと足を向けた。

 中に入ると、リネアは背を向けたまま床の上で跪いている。


「リネア?」


 声をかけると、肩がビクリと跳ねた。


「……あ、ごめんね。すぐ行く」


 声はいつもより上擦っていてやけに明るい。

 それでも、動きがない。


 クロウが一歩近づこうとしたときだった。


「遅刻だよ、リネア」


 横をすり抜けて、ミカが明るい調子のまま、リネアの腕を掴む。

 軽く引き上げるそのわずかな間で、分からないように恩寵を発動させた。


 治しているわけではない。

 感覚を一時的に遠ざけ、動けるようにしただけだ。

 リネアの体がふっと軽くなったように立ち上がる。


「ほら、行くよ」

「うん……」


 顔をあげたリネアの笑顔は、青白いのに不自然なほど自然だった。


 クロウは眉を寄せる。

 何かがおかしい。

 けれど、それを言葉にする前に――


「クロウ殿!すぐこちらへ!」


 何度目にもなる呼び声に、クロウは舌打ちを飲み込む。


「……あとで」


 リネアに視線を残したまま、その場を離れるしかなかった。





「それ、痛み消したんじゃないよ。忘れさせてるだけだから」


 横を歩きながら呆れるミカに、リネアは曖昧に笑う。


「大丈夫」

「全然、信用できない」


 押し込むように馬車に乗せられて、そのまま神殿へ連れていかれる。


「今日は神殿じゃなかったはずだけど……」

「手が足りないから、回してもらった」


 また、怪我人が出たのかもしれない。

 リネアは、一拍おいてから覚悟を決めた顔で頷いた。


 馬車が神殿に着くと並んで中へ入る。

 ミカの歩調はいつもより、ゆったりとしていた。


「それで、誰を治療すれば?」


 リネアが尋ねると、ミカは溜め息を大きく吐いた。


「怪我人はいないよ」

「え?」

「真面目にやりすぎ」


 あっさりと言う。


「だから、サボってれば?」


 指差す神殿の奥では、子どもたちが静かに遊んでいた。

 そのままミカは離れていってしまう。


 残されたリネアは戸惑いながらも、子どもたちの輪の側へ腰を下ろす。

 小さな手が袖を引く。

 絵本を読んで、とせがまれた。

 ページをめくる声だけが穏やかに響く。


 恩寵も使わない時間。

 体の奥に留まっていた痛みが、遅れて輪郭を持ち始める。

 リネアは気づかれないように息を整えた。


 神殿の窓から、弱い光が差し込む。

 遠くで、戦場の音がかすかに響いていた。

 それでも、この場所だけは不思議なほど静かだった。





 夜の幕営地は、火の明かりだけが揺れていた。

 遠くでは治療用の天幕から低い呻き声が漏れ、兵士たちの足音が絶えない。

 空気は乾き、疲労の匂いが混じっている。


 クロウは天幕の外で立ち止まったまま、しばらく動けなかった。


 リネアの様子がおかしい。


 それは今日だけではない。

 ここ数日、少しずつ積み重なってきた違和感だった。


 会話が遅れる。

 返事はするのに、目の焦点が合わないときがある。

 そして――ミカが近くにいる時だけ、どこか楽になったようにも見える。


(……何か、されているのか)


 神殿。干渉の恩寵。


 考えたくはない。

 だが、考えずにもいられなかった。


「クロウ?」


 足音に振り向くと、ミカがひらりと片手を上げていた。


 神殿から戻ってきたばかりなのだろう。

 演習服の裾には薄く埃がついている。


「エルヴェイン」


 呼び方に、自然と硬さが混じった。


「……聞きたいことがある」


「なに?」

「お前の恩寵だ」


 空気がわずかに止まった。


「リネアに、何をしている」


 真正面からの問いだった。

 ミカは数秒、黙ってから息を吐く。


「逆だよ」


「逆?」

「そう。感謝してほしいくらい」


 冗談めいた言い方なのに、目は笑っていない。

 クロウは一歩だけ距離を詰めた。


「神殿は何を考えている」


 軍務参謀卿家の嫡男としてではない。

 リネアの星約、友人としての問いだった。


「神殿?」


 ミカが可笑しそうに目を丸くする。


「俺、悪いけど、あんまり信心深くないんだよね」


 そう言って、クロウを真っ直ぐに見据えて笑う。

 いつもより軽さがない強い視線だった。


「リネアのそばにいるのは、個人的な理由」


 その言葉に、クロウの表情がわずかに動く。


「……個人的な?」

「ノクエル伯爵家様が心配するような話じゃないよ」


 柔らかい声だった。

 けれど線は、はっきり引かれていた。


 政治でも思惑でもない。

 だから立ち入るな、と。


 クロウは理解できずに眉を寄せて沈黙した。

 だが、嘘をついているようにも見えない。


 そして何より、ミカには学院では見せないような不機嫌さが滲んでいた。


「……お前は何を知っている」


 クロウの問いに、目を伏せる。


(ほんとに、何も分かってない)


 ミカは内心で舌打ちする。


 あれだけ近くにいて、毎日見ていて。

 それでも気づけないのか。


 クロウ・ノクエルは、別に嫌なやつじゃない。

 真面目で、冷静で、誠実で。

 リネアを軽く扱っているわけでもない。

 それなのに、今はどこか腹立たしく感じる。


 少しだけ声を低く落とす。


「さあ?でも、もっとよく見たほうがいいんじゃない」


 クロウが顔を上げる。


「何を」

「いろいろ」


 ミカは曖昧なまま、笑う。

 自分でもなぜこんな言い方をしてしまうのか分からなかった。


「じゃ、俺もう寝る」

「待て」

「無理。これ以上話すと怒られる」


 誰に、とは言わない。

 軽い足取りでそのまま、立ち止まることなく離れていく。


 乾いた風が吹く。答えは何も得られていない。

 それなのに、胸の中には妙な重さだけが残った。


 星約になってから、リネアのことはそれなりに理解しているつもりだった。

 本当にそうなのか?


 クロウは彼女がいる天幕の方へ目をやる。

 今はどんな夢を見て、眠っているのだろうか。


 対等でいたいと思うなら、まず知らなければいけないことがあるのかもしれない。

 それを誰も教えてはくれない。

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