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リネアの選択  作者: とたか


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84 消耗

「学院生はこちらへ。次は街の神殿へ案内する」


 再び兵士を伴って馬車に乗り、街の中心の神殿へ向かう。

 リネアは窓の外から目を離せなかった。

 少し前まで、人が笑い、音楽が流れていたはずの場所。

 それがこうも簡単に沈黙するのかと、胸の奥が冷えていく。


「……見すぎない方がいいんじゃない」

「え?」


 隣でミカが小さく言う。


「全部抱えそうな顔してる」


 冗談のようでいて静かな声音に、リネアは曖昧に頷いた。





 神殿の石造りの建物は無傷に近い。

 疲れた顔、怯えた目。

 入口には避難してきた人々が溢れている。

 神殿の中に入ると、絶えず人の声で満ちていた。


 祈りの言葉。

 子どもの泣き声。

 疲れ切った大人の低い会話。


 案内役の兵士が神官へと声をかける。


「学院生の中に、干渉の恩寵を持つ神官見習いがいます」


 出迎えた地方神官は安堵したように頷いた。


「それは助かります。避難者の不安が強く――」


 言いながら受け取った名簿に目を落とす。


「……ミカ・“エルヴェイン”?」


 それまで柔らかかった声音が、わずかに冷たくなる。

 リネアはそれを見て、小さく息を呑む。

 見覚えのある空気だった。

 ミカは何も気づかなかったように一礼する。


「神官見習いとして、避難者の精神安定にあたります」


 公の場に立つ時の声音。

 軽さは消え、整えられた言葉だけが残る。

 神官は切り替えるように短く頷いた。


「では、こちらへ」


 それでも声が少し硬い。

 こんな時でさえ、出自で線が引かれることに、リネアは暗い気持ちになった。

 視線に気づいたのか、離れ際に、ミカが振り返る。


「温存、ちゃんとしなよ」


 いつもの軽さで言うのに、目だけが真剣だった。


「……分かってる」


 それだけ聞いてミカは人の波の中へ消えていった。


 リネアは与えられた一角で、他の学院生と共に避難者の治療にあたる。


 擦り傷や打撲に、軽い発熱。

 命に関わるものではない。

 それでも、不安に押されるように人は次々と列を作った。


 手をかざす。

 呼吸を整える。

 恩寵を流す。


 丁寧に魔力回路を通した、最低限の回復。

 それでも痛みがやわらいだ安堵の笑みが返ってくる。


「ありがとうございます」


 何度も言われる言葉に、リネアは笑って頷いた。

 まだ、大丈夫。

 少しずつ胸に鈍い痛みや熱が灯る感覚はある。

 けれど、耐えられないほどではない。


 だから続けられる。

 続けられるなら、やるべきだと思った。





 陽が傾き始めたころ、神殿での役割を終えてリネアたちは幕営地へ戻っていった。

 昼間と同じ道のはずなのに、帰りはやけに遠く感じる。

 足を進めるたびに靴底に伝わる感触が鈍く、踏みしめているはずの地面との距離がわずかにずれているような、妙な違和感が残っていた。


「……初日からこれか」


 誰かの呟きに、それに応じる声は上がらない。

 言葉を返す余裕がないというより、口に出したところで何も変わらないと分かっているような、そんな沈黙だった。


 疲れているのは体だけじゃない。

 頭の奥に、ずっと何かが引っかかっている。

 神殿で見た光景が、まだ離れない。


 泣き出した子供の声。

 それを宥める大人の震えた手。

 “痛み”よりも“恐怖”に支配された顔。


 軽傷ばかりだった。

 それでも― ―精神的に削られるものがあった。


 リネアは歩きながら、無意識に自分の手を握った。

 力は入る。指も動く。ただ、いつもよりわずかに反応が遅い。

 それでも、まだ大丈夫だ。


 天幕が見えてきたところで、ミカが足を緩めた。


「リネア」


 呼ばれて顔を上げると、すぐ近くまで距離を詰めてきている。


「少し整えようか?」


 魔力の流れの調整と、疲労の認識の軽減。

 けれどリネアは首を振った。


「大丈夫。ミカもたくさん使ってたでしょ」

「まあね」


 あっさりと認める。

 その視線は一瞬だけリネアの呼吸の浅さを見ていた。


「……倒れないでよ」


 ミカはさらに何かを言いかけて、やめる。

 踏み込んでも拒まれると分かっているのか、それとも今はその必要がないと判断したのか、そのどちらとも取れる間だった。

 深追いしないその距離の取り方に、リネアは少しだけほっとした。





 リネアが自分の天幕へ向かおうとした、そのとき。

 腕に触れる感触に足を止める。

 引かれるというより、進もうとした動きを軽く制されたような感覚だった。


 驚いて振り返るとクロウがいた。

 戻ってきてすぐなのだろう、息が少しだけ上がっている。


「少し、いいか」

「うん」


 少しだけ人の流れから外れ、天幕の陰へ移動する。

 風が強く、布がはためく音が耳に残る。

 その音が、会話の間を埋めるように続いていた。


「……今日は、悪かった」


 開口一番に、視線を落としたまま言う。


「ほとんど側にいなかった」


 声は抑えているが、明確な苛立ちが混じっている。

 リネアは少しだけ目を丸くして、それから緩く首を振った。


「気にしてないよ。クロウも大変だったでしょ」


 クロウは今日一日、ほとんどを作戦本部に呼ばれて過ごしていたらしい。

 他の学院生とは違い、求められている役割や責任が明らかに重い。


「……それでも、一人にはさせたくなかった」


 眉を寄せて俯くその姿が、なぜかいつもより年相応に幼く見えた。

 星約としての責任としての言葉に聞こえるのに、それだけではない響きが混ざっている。


「私、大丈夫だよ」


 リネアはいつも通りに笑ってみせる。

 クロウの視線がわずかに細くなる。


「……顔色が良くない」

「そんなことないよ」


 けれど、リネアの顔にはいつもより血の気が無い。

 クロウはわずかに上げた手が、頬に触れようとして――止まる。

 指先が空を切った。


「クロウ?」

「いや、」


 宙に浮いてからまた戻された手に、リネアは首をかしげた。

 クロウはそれ以上言わない。


 代わりに、クロウは目視で状態を確かめる。

 リネアはその視線から逃げるように、街の方へ目を向けた。


「神殿の人たちは、軽い怪我だった。

 でも、すごく不安そうで」


 少し間があく。

 泣き出した子どもの顔が浮かぶ。


「早く、元の生活に戻してあげたいね」


 外壁の向こうを見ながら、そこにあるはずの音や人の気配を思い浮かべる。

 その言葉に、クロウは小さく頷いた。


「ああ」


 同じ方向を見ている、短い返事。

 けれど、考えていることは少し違う。


「……軍からは継続して、作戦本部に入って欲しいと言われている」

「そうなんだ」

「……だから」


 一瞬、言葉を選ぶ。


「離れる時間が増えるかもしれない」


 はっきりと、先に伝えておくように言う。

 リネアは少しだけ柔らかく目を細めて、それから頷いた。


「うん。お互い、頑張ろう」


 クロウが次の言葉を選びかけたとき、


「クロウ殿!少しよろしいですか!」


 遠くから声が飛ぶのと同時に、兵士が慌てて走ってくる。

 クロウは目を伏せて、短く息を吐いた。


 分かっている。

 優先すべきものは。

 それでも、足が少しだけ止まる。


「無理するなよ」


 クロウは踵を返して、振り返る。


 視線が合う。

 もう一度、何か言いたげにほんの一瞬だけ。


 そして三度目は、振り返らなかった。


 クロウはそのまま士官の元へ向かっていく。

 それから、リネアも天幕へ向かって歩き出した。

 足取りは、やはり少しだけ重かった。

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