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リネアの選択  作者: とたか


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35 集落へ

 集落に着いたのは、日が傾き始めたころだった。


 王立軍が一度掃討に入った後だ。星蝕はすでに鎮静化している。

 だが、森の奥に取りこぼしがいる可能性がある以上、放置はできない。


「川の水が、少し濁ってる気がするんです」


 集落の代表の老人が不安そうに言う。

 住民の多くは一時的に退避していて、残っているのは代表者と数名の世話役だけだった。


「匂いは?」


 クロウがすぐに問う。


「今はまだ、特には。ただ、森に近い水場のあたりで小さな影を何度か」


 教官が頷く。


「小型獣型は攻撃性は低いが水辺に溜まれば、瘴気汚染が広がる可能性がある」


 今のところ人的被害はないが、長引けば生活が破綻する。

 小隊に課せられたのは明日から四日以内の魔物の掃討。


 初日は集落内の家屋を借り、簡易的な拠点とすることになった。

 荷を整理してから室内を確認し、簡単な打ち合わせを済ませる。


 明日は朝から森の外縁でのヨルンの観測を優先し、調査を開始。

 今回の魔物の数は少ないが、小さく動きは俊敏だ。

 おおよその魔物の位置が掴めたら、魔術を使って広域の包囲網を敷くことになった。





 部屋は男女別に割り振られた。

 集落の家屋は簡素だったが、掃除は行き届いて清潔感がある。

 リネアとエマの二人で使うには十分すぎる広さだった。


「星蝕って空がひび割れるみたいに起こるって言うけど。……その気配はなかったね」


 寝具を整えながらエマが言う。

 集落は人気がないだけで、もう空も民家も普通に見えた。


「うん……エマは星蝕を見たことはある?」

「ない。でも汚染された跡地は見たことがある。

 水が腐って植物が枯れて、酷かったよ」


 星蝕が観測されると、やがてひび割れた空から溢れ出すように魔物と瘴気が発生すると言われている。

 魔物は人を襲って家屋を壊し、そして瘴気は土地を枯らす。農地で起きれば人々の食糧にも大きく影響した。

 瘴気に酷く汚染されると、元通りになるまでは数年かかることもある。


 フォレスト領でも、もし起これば――。

 東部の麦畑や家族と領民を思い出して、リネアは痛ましげに目を伏せた。


「私も、戦闘型の恩寵だったら良かったんだけど」


 整えたベッドに腰掛けながら、エマが少し悔しそうに眉を寄せる。


 大星蝕を除いて、星蝕は魔術結界で瘴気や魔物の範囲を封じつつ、恩寵で物理的な攻撃を与えることでしか収束できない。

 この国では星蝕への対応を学ぶことが、恩寵を持つ貴族の義務とされてきたが、それ故に戦闘の恩寵を持つものは重宝される。


「エマは、ガイが羨ましい?」

「少しね。でも組めたことで私も前線でやれてる。それは嬉しい」

「そっか……」


 ハルトヴィック家には王宮騎士として剣を振るう者が多い。

 自分の恩寵の性質に対してエマなりに思うところはあるのかもしれない。

 問題は違っても、リネアだけが恩寵のことで悩んでいるわけできっとはない。


「明日から野営でしょ」


 切り替えるように、エマは静かに笑う。


「ベッドで寝られるのも、今夜だけ」

「そうだね」

「だから、私はもう寝る。おやすみ」

「うん、おやすみ」


 リネアも早く寝なよ、とだけ言ってエマはさっさと毛布にくるまる。

 数分もしないうちに呼吸が整った。

 適応が早い。

 規則正しい寝息を聞きながら、リネアは窓の外を見つめる。


 眠れないわけではない。

 ただ、妙に頭が冴えていた。


「……少しだけ外に行ってくるね」


 小声で呟き、外套を羽織った。





 外に出ると、集落は星蝕が起きた土地とは思えないほど、穏やかだった。


 中央には石積みの小さな神殿。

 それを囲むように家々が並ぶ。

 灯りはほとんど消え、空は澄んでいる。


 リネアは神殿の周囲をゆっくり歩く。


 地面に濁りはない。

 魔力の澱みも感じない。

 完全に沈静化していた。

 星蝕発生の手がかりになりそうな痕跡は何も見つからない。


「リネア?」


 聞き慣れた振り向くと、クロウがいた。

 その後ろにミカとハルン。


「巡回」

「こっちは、クロウが念のためって言うからついてきた。集落内は異常なし」


 短く言うハルンにミカが続ける。

 三人で集落内を確認していたらしい。


「そっちは?」

「私も少しだけ外の様子を見に。

 星蝕が起きた場所には初めて来たから気になって」


 リネアは正直に答えた。

 クロウは頷いて神殿を一瞥する。


「信仰が強い土地だな」

「報告書だけじゃ、どんな場所かわからなかったもんね」


 石積みは古く、手入れは行き届いている。

 小さな供物台には、まだ新しい花が備えられていた。

 事前に共有された報告書には、ただ星蝕の発生が簡素にまとめられていただけで、こうした人の営みは感じられなかった。


「こういう集落だと、星蝕の報告は神殿経由かもね」


 ミカが何気ない調子で口を開く。


「王立軍じゃなくて?」

「軍にも行くよ。

 でも、地方神官から中央に上がる記録って、結構ある」

「……そうなんだ」


 リネアがわずかに眉を寄せる。


「観測資料、非公開多数?」


 ハルンが首をかしげる。


「観測とか予兆とか、扱いが難しいからね。

 混乱を招くって理由で伏せられることもある」


 隠されている情報が多いなら、これまで見てきた公的な記録だけでは、大星蝕の予測には不足かもしれない。

 リネアの背筋がすっと冷える。


「あとは軍が入ると、調査が面倒だからって領主が勝手に対応してるって噂もある」

「こちらとしては、報告は正確にあげて欲しいんだが」

「クロウからしたらそうだろうけど。

 まあ、神殿も星蝕の秘匿は困るから、それもあって地方に神官を置いてる」

「錯綜複雑……」


 神妙な顔をする面々の顔を見渡して、ミカはくすりと笑う。

 

「でも、小規模ならそう大したことないって」


 小さな風が吹いたところで、クロウがリネアに目をやった。


「明日は森に入る。もう休め」

「うん」


 リネアは神殿をもう一度見上げる。

 石は沈黙している。


「今日は本当に何もない。安心して寝なよ」


 ミカのその言葉には、どこか含みがある気がした。


「……そうだね」


 もう少しだけ巡回を続けるという三人とは別れて、リネアは部屋へ戻った。


 明日は初めての実戦だ。

 すっかり寝入っているエマを見習って、リネアもベッドに横になる。

 すぐに眠気はやってきて、そのままいつもの夢を見ることもなく、眠りについた。





 すっきりと目覚めた翌朝。

 早朝からネーリス兄弟が先行して森に入った。

 本格的な行動は明日からなので、今日は討伐と野営の準備を整える予定だ。


「反応、ニ。北東寄り」

「小さい。移動中」


 淡々と報告が飛ぶ。


 森の奥、川沿いに魔力の揺らぎ。

 散発的だが、まとまりがある。


「集落側への移動経路、五本」

「塞げる」


 クロウが地図を広げる。


「それほど行動範囲は広くないな」


 まずは森の手前に野営地を設ける。

 逃走経路を読んだうえで、広範囲の魔術包囲網を今日は敷いておく。


 ガイとクロウがは周囲を警戒しながら、エマが増幅の下準備をし、リネアが魔術の調整を行う。

 ミカは魔力の流れを整え、ネーリス兄弟の観測と分析の精度を底上げする。


 森の中に、見えない膜のような線が幾重にも張られていく。

 それからも、包囲網と野営の準備は順調に進んでいった。

 一行はまだ明るい夕方には、野営地に腰を落ち着けることができた。





 野営地は森の縁の木々に囲まれた小さな空き地に設置した。

 校外演習も生徒が主導で行う。

 教官は不測の事態に対応できる範囲で、野営地からは離れている。


 薄暗闇の中で、焚き火がぱちぱちと音を立てた。


「やっぱ外で食うとなんでもうまいな」


 干し肉をかじりながら、ガイが満足そうに言う。


「それ、三回目」


 エマが呆れたように返す。


「三回うまいんだよ!」


 小さな笑いが漏れる。

 ネーリス兄弟は資料に数字を書き込んでいた。


「明日小雨。天候悪化」

「湿度上昇。音響減衰」


「観測、やりにくい?」


 リネアが問う。


「少し不透明」

「でも誤差内」


「獣型は足場が悪いと速度が落ちる」


 クロウが火に枝をくべながら言う。


「ただ、それはこちらも同じだな」

「ぬかるみは嫌だなあ。滑って泥だらけになりそう」


 ミカが足元を見て、顔を歪める。


「軽いからだろ。踏ん張れよ」

「ガイ基準やめて」


 また笑いが広がる。


「今夜の見張りだが、」


 しばらくしてから、焚き火を囲む小隊のメンバーを見回してクロウが確認をとる。


「一人二時間。基本は二人一組で交代」


「最初にネーリス兄弟。

 消耗が多かった二人には、なるべく睡眠時間を長くとらせる」


 ヨルンが指折り数える。


「次はガイとハルトヴィック」

「その次、俺とリネア」

「最後に俺はそのまま継続して、エルヴェインと俺」


「俺、最後?」

「寝坊すんなよ」

「神官見習いは朝強い」

「ほんとかよ」


 焚き火が小さく爆ぜた。


 森は落ち着いている。

 包囲網の魔術式が、かすかに振動しているのをリネアは感じていた。


「いよいよだな」


 ガイが呟く。


「うん」


 火の明かりが、それぞれの顔を揺らす。

 影が長く伸びる。


 リネアはそっと息を吐いた。

 攻撃性が低い小さな魔物とはいえ、本物だ。

 緊張は少し、していた。

 それでも、隣には仲間たちがいる。


「そろそろ寝るぞ」


 クロウの声に、皆が頷く。

 焚き火が少しだけ弱められると、夜は静かに深まっていった。

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