13 神の忌み子
セイルがフォレスト領の屋敷に長く滞在するのは、幼い頃から当たり前のことだった。
彼の両親はともに、王都の王立研究所に籍を置く医師兼研究者で、各地を巡る生活を送っている。
研究の区切りや長期調査の合間、あるいは忙しさが重なったとき、母は決まって言った。
「少し、フォレスト領の叔父さんのところでお世話になりましょう」
セオドア・フォレスト男爵――リネアの父は、その申し出を断ったことがない。
セイルの父は入婿だ。フォレスト男爵は実姉である母には頭が上がらなかったし、医師としての信頼もあった。
何より、娘と年の近い従兄が屋敷にいる時間を悪くないと思っていた。
そうして、セイルは何度もリネアと屋敷で過ごした。
静かで、風通しがよく、本が多い屋敷。
外では領民の子どもたちが走り回っていたが、二人がそこに混ざることは、あまりない。
いつも図書室で静かに過ごすことが多かった。
その頃には、二人ともすでに恩寵は発現していた。
セイルの分析の恩寵は意識の向け方に関係なく常に情報が流れ込んでくる。
分析や観測の恩寵を持つ者には多い特製だった。
遮断することはできないが、集中するほどにその精度は増していく。
幼い頃は、流れ込む情報量をうまくコントロールできず、慣れるまで随分と苦労した。
人の声、視線、感情の揺れ――それらは否応なく勝手に分解され、組み合わされ、頭の中で整理されていった。
(……疲れる)
それが、セイルの幼い脳にはまだ過剰だったから、なるべく人と接することは避けていた。
一方、リネアもまた、すでに回復の恩寵を持っていた。
ただし、本人にとってそれは”助けられる力”であって、その対価について深く考える年齢ではない。
『なるべく、使わないようにしてね』
神殿のあの日の一件で、両親から強く言われた言葉を、ただ従順に守っていただけだ。
◇
ある日の午後。
セイルは、少しやりすぎた。
母の研究資料を勝手に引っ張り出し、分析に夢中になって没頭した。
集中すればするほど、知覚は鋭くなる。
絡み合った情報を丁寧にほどいていく作業は、楽しくて、やめ時がわからない。
気づいたときには、視界の端が白く滲み、頭の奥が熱を持っていた。
「……あ」
椅子から立ち上がろうとして、ふらつく。
「セイル?」
すぐ近くで、声がした。
本を抱えたリネアが、駆け寄ってくる。
「だいじょうぶ?」
「……ちょっと、考えすぎた」
それが限界だった。
意識が遠のきかけた、そのとき。
額に、温もりが触れた。
「……まって」
小さな手。
静かな声。
胸の奥に、ゆるやかな流れが生まれる。
頭の熱が引き、思考が落ち着いていく。
――楽になる。
それは確かだった。
けれど、代わりに。
「……っ」
リネアが、顔を歪めた。
その場に座り込み、呼吸が浅くなる。
唇が、かすかに震えている。
「リネア!?」
慌てて支えたが、力が入っていない。
ほどなくして、大人たちが駆けつけた。
◇
結果から言えば、セイルの症状は知恵熱だった。
知覚の使いすぎによる、幼い脳のオーバーヒート。
休めば回復するもので、対価でも、異常でもない。
問題は、リネアだった。
高熱。
全身の痛み。
――そして、リネアの不調は他の者の恩寵では治らなかった。
それが、彼女の恩寵に対する対価だったからだ。
廊下の向こうで、大人たちの声が低く交わされていた。
「……対価が、重すぎる」
セイルの母の声だった。
医師として、研究者としての冷静さを保ちながらも、迷いが滲む。
「恩寵は本来、自身の魔力回路を通して発動するものよ。還る対価も、ほとんど回路で濾過される。
もちろん、濾過の精度には個人差はある。
だけど、本人に還る体感的にも多くて二割くらいのはずなのに….」
リネアの両親は、沈黙したまま聞いていた。
「なのに、あの子は相手の負荷を、ほとんどそのまま引き受けている。」
――"神の忌み子"と呼ばれる者がいる。
貴族の中で、恩寵を持てなかった者や、リネアのように対価の負荷が重すぎる子供は稀にいる。
ただ、神殿への信仰を基盤とするこの国の貴族の中では、神に愛されていない子供はタブーとされてきた。
それは、家門の存亡を揺るがす存在になる。
不慮の事故か、病死か、あるいは生きながら"いない者"として扱われてきたか。
そういう意味で、表立った"記録がない"。
セイルの母が知る話を聞き、リネアの母の目には涙が滲んだ。
「……リネアは普通の優しい子よ。忌み子だなんて、そんなことあり得ないわ」
「外に漏らすわけにはいかない。絶対にだ」
リネアの父は、低く言った。
大人たちの間で、はっきりと確認された。
リネアの対価は家族の中で秘匿する。
あの子を守る。
◇
数日後。
リネアは、まだ本調子ではなかったが、屋敷の図書室に座っていた。
その表情は暗く、本を開いているがページはまったく進んでいない。
「……私の恩寵、変なんだって」
ぽつりと、言った。
セイルは、本を閉じた。
「変じゃない」
即座に言った。
「でも……」
「ただ、ちょっと、神様が間違えただけだよ」
どんなに考えを巡らせても、リネアの気持ちが晴れるような言葉を幼いセイルは見つけられない。
代わることも慰めることもできない。
セイルは自分の無力さに押しつぶさてしまいそうだった。
リネアは視線を落とす。
「夢もね……ずっと変なのを見るの」
小さな声だった。
「……どんな?」
「知らない人がでてきて、よくわからない場所で……」
「怖い夢?」
「……すごく、こわい」
でも、と続ける。
「意味が、ある気がして」
その言葉に、セイルは黙った。
リネアの瞳に、少し力が宿ったように見えたからだ。
夢でも、なんでもいい。
小さなこの子が自分の生に意味や希望を持てるようになるなら。
励ますように、小さく笑った。
「きっと、リネアしかない、特別な意味があるんだと思う」
リネアは、少し目を瞬かせる。
「ほんとうに?」
「うん」
「そっか……」
噛み締めるように小さく何度も頷く。
この日以来、セイルにも誰にも、リネアは二度と夢のことを話さなくなった。
それからだ。
リネアが以前にも増して、本の虫になったのは。
最初は、聖女を描いた童話。
夢に似た物語を探すように。
やがて、星蝕の記録へと移っていく。
神に愛されない者の生にも、意味があるのかを確かめるために。
この時点では、まだ。
夢は、答えではなかった。
役割も、定まっていなかった。
ただ――
「何かがある」という感覚だけが、静かに根を下ろし始めていた。




