第二十一話:ギルドでの笑いと小さな自信
エルトリアの街に戻る頃には、太陽は傾き始めていた。戦いの余韻がまだ身体の奥に残っている。グリムファングとの激闘は、アルトにとっては今までで最も危険で、そして最も価値のある経験だった。
革袋には依頼された薬草トリア草がぎっしり詰まり、別の小袋には討伐の証明となる毛のサンプルが収まっている。量はわずかだが、初級魔法使いが撃退した証としては十分すぎるほどだ。
(……ふう。まずは報告だな)
ギルドの重い扉を押し開ける。途端、昼下がりの喧騒が押し寄せてきた。酒を飲む者、依頼を張り替える者、鍛冶屋帰りの戦士、軽口を叩く新人。雑多な声が重なり、あの日の嘲笑が脳裏に蘇る。
(前みたいに変な視線を向けられなければいいけど……)
しかし逃げるわけにはいかない。冒険者として生きていくなら、ここは何度でも通る場所だ。アルトは胸の奥で気持ちを切り替え、カウンターへ歩を進めた。
黒髪をきっちりとまとめた受付嬢、ルナが顔を上げた。以前よりも、アルトを見る目が少しだけ柔らかい気がする。
「アルト様。おかえりなさいませ。お疲れのご様子ですが……無事のご帰還、嬉しく思います」
「はい。……依頼のトリア草、採取できました。それと……」
アルトは小さな毛のサンプル袋を差し出した。
「森で、グリムファングと遭遇しました。応戦して、撃退しましたので……その証明です」
ルナの眉が、ほんのわずかに動いた。驚きというより、信じられない、という感情に近い。
「……グリムファングを、単独で?」
「はい。初級魔法しか使えないので、複合魔法で……工夫して戦いました」
ルナは無言で頷き、丁寧に提出物の確認を始める。草の状態を見て品質を判断し、毛のサンプルを封筒に収め、報告書を開いた。
その間、周囲の冒険者たちは、興味津々といった様子でちらちらとこちらを見ていた。
(聞こえてるな……まあ、隠す気はないけど)
「アルト様。確認いたしました。お疲れ様です。今回の遭遇と魔法使用について、補足をお願いできますか?」
アルトは短く息を吸って説明を始めた。
「避けられない状況だったので、まずは土魔法に錬金魔法を組み合わせて、《鋼鉄の壁》で防御しました。それから、火と風を合わせて《火炎旋風》で撃退を……」
説明の途中だった。
近くでだらしなく椅子にもたれかかっていた冒険者が、思いっきり吹き出した。
「ぶはっ!聞いたかよ、お前ら!初級でアイアン・ウォール?フレイム・ストーム?名前だけは立派だな!」
「魔力量が無限に近いんだろ?そりゃ連発できるよな。初級だけなら、そもそも消費も軽いし」
「でも効率悪すぎないか?普通の冒険者なら中級火球一発で終わりだろ。複合とか無駄な手間じゃねえか」
「足止めして削って……って、どんだけ遠回りなんだよ!」
笑い声が重なり、ざわめきがアルトの周囲に波紋のように広がっていった。
ギルドに響く笑い。
軽蔑というより、ただの嘲弄。
彼らは自分より強く、経験もある。だからこそ、初級魔法にしがみつくアルトの戦い方が滑稽に見えるのだろう。
しかし――。
(ああ……そうだよ。その通りだ)
アルトの心には、不思議なほど嫌悪感はなかった。
(効率悪いし、回り道ばかり。でも、それが……今の俺にできる最適解なんだ)
彼らは知らない。
彼らは気付かない。
八属性すべてを同時に扱えるという異常性を。
普通の魔術師にはできない、小さな組み合わせを積み重ねて、相手を確実に封じるという戦い方を。
(初級魔法しか無いなら、初級魔法で勝てるやり方を考えればいい。それだけだ)
自分に言い聞かせるように、アルトはほんのわずかに頬を緩めた。
「アルト様」
ルナの声が、周囲の喧騒をすっと押し消した。
彼女は報告書を閉じ、まっすぐにアルトを見つめていた。
その瞳には、嘲笑とは違う、ひたむきな評価だけが宿っている。
「ご自分の戦い方を、どうか誇ってください。どれほど魔力量があろうとも、初級魔法だけで複合戦術を編み出し、実戦で成功させる冒険者は……ほとんどいません」
「……ルナさん」
「周囲の言葉は、ただの“別世界の常識”です。貴方には貴方だけの戦場があり、貴方だけの勝ち方がある。それを理解できる人も、必ず現れます」
その言葉に、アルトの胸の奥で、小さな火が灯った。
(誰にも気づかれなくてもいい……でも、俺の努力を、見てくれる人が一人でもいるなら)
笑い声は依然としてギルドのどこかで続いていた。しかし、その音はもはやアルトの心を乱さなかった。
報酬を受け取り、袋を閉じ、アルトは静かに一礼する。
「ありがとうございました。次の依頼も、頑張ります」
「応援しております、アルト様」
ギルドを出ると、夕焼けが街を赤く染めていた。
喧騒は背後に遠ざかり、風が頬を撫でる。
(……大丈夫だ。今日の成功は、小さいけれど……確かな一歩だ)
初級魔法しかない自分。
八属性を扱える自分。
効率が悪く、地味で、誰も真似しない戦術。
でも、それがいい。
(誰にも真似できない、俺だけの戦い方……)
アルトは新しい依頼書を求めて、街灯の灯りがつきはじめた通りを歩き出した。
胸の中には、誤魔化しではない、確かな自信が静かに芽生えていた。




