第十話:受付での緊張とルナの登場
重厚な木製の扉を押し開けた瞬間、アルト・ハヤカワの全身に熱気と喧騒が一気に押し寄せた。ギルド内部の空気は驚くほど濃く、外の静けさとはまるで別物だ。剣のぶつかり合う音、酒の匂い、冒険者たちの談笑と議論の声、それら全てが渦を巻き、ひとつの巨大な生命のようにうねっていた。
磨き込まれた石造りの床が陽光を反射し、壁にかかったランプが揺らめくたび、広間には複雑な陰影が生まれる。この場所に立っただけで、何人もの人間が築き、戦い、倒れ、また歩み出してきた歴史を肌で感じるようだった。
十三歳の少年が立つには、あまりにも“濃すぎる世界”だ。
アルトは厚手の手袋をぎゅっと握りしめ、壁沿いを慎重に歩いた。年齢も体格もここでは目立ちすぎる。些細な視線ですら胸がざわつく。
(落ち着け……深呼吸だ。冒険者になるって決めて、ここまで来たんだ)
ロビーの奥に目を向けると、外光をまといながら長く伸びているカウンターがある。そこには数名の受付嬢が忙しなく応対していた。その中の一番端――人の少ない席に、黒髪をひとつに束ねた女性が座っていた。
ハーフエルフの女性、ルナ。
尖った耳と冷静な雰囲気が印象的で、彼女の周囲だけがまるで静謐な空間であるかのように感じられた。喧騒の中でも一切ブレない、研ぎ澄まされた空気。その指先は迷いなく書類を捌き、視線は自分の作業にのみ向けられている。
(あの人なら……落ち着いて話せるかもしれない)
そう思い、アルトはカウンターの前に立つと、小さく息を吸った。
「あ、あの……冒険者になりたいのですが……」
途端、心臓が嫌なほど跳ねた。声が震えていたかもしれない。
しかしルナは視線を上げず、涼やかで冷静な声で応えた。
「はい、少々お待ちください。」
その落ち着きが逆に救われるようで、アルトはほっと胸を撫でおろした。数秒後、彼女は書類から視線を離し、アルトを一瞥する。
その瞳は鋭いが、冷たくはない。
必要な情報を瞬時に読み取り、判断する“仕事の目”だった。
「身分証明書はありますか?……失礼しました。見たところ成人されて間もないように見えましたので。」
「い、いえ……十三歳です」
言うと、ルナの手が一瞬止まった。だがそれだけだった。
「……承知しました。こちらへご記入を。冒険者登録は年齢に制限はございません。全員がFランクからの開始となります。最初は薬草採取、伝令、簡易護衛などの依頼が主になりますのでご安心ください。」
機械的に聞こえるほど事務的な言葉だが、そこには確かな経験があった。
(よかった……初級依頼なら、俺の魔法でも十分こなせる)
安堵を胸に、アルトは丁寧に羊皮紙へ記入していく。手が震えて、文字がゆらりと歪む。だが自分の名前を書き終えた瞬間、不思議と胸に力が宿った。
書類を提出すると、ルナは次の工程を告げる。
「では、魔力適性の計測に移りましょう。右手をこちらに置いてください。」
カウンターに埋め込まれた黒曜石の板――スキルボード。
魔力を流すだけで属性や適性の強さが光として表れる簡易測定器だ。
アルトは手袋越しに右手をそっと乗せた。
……本当は、素手のほうが検知されやすい。
だが素肌を晒せば、右手の“紋章”が目立つ。そのため手袋は必須だった。
「ジ……ッ、ジ……ッ……」
黒曜石が震え、光が揺れ、そして――
本来は一つ、稀に二つの属性が光るだけ。
だがその瞬間、ボードは八つの光を一度に放った。
炎、氷、風、土、水、雷、光、闇。
全てが「初級」の光を灯し、さらに魔力量の表記は――『測定不能』と赤く点滅している。
(やば……!!)
アルトの心臓が跳ねた。
ルナは――
驚かなかった。
「……測定器の不調ですね。古い機種ですから、このところ誤作動が多くて。」
まるで見なかったかのように、すぐに書類へ視線を戻す。
その反応の自然さに、アルトは一瞬呆気にとられた。
だが、ルナの内心は――全く違っていた。
(八属性が同時に……? 魔力量が測定不能……? これは完全に異常値。壊れているのではなく、彼が“規格外”なのだわ)
受付嬢として長年勤めてきた彼女の目は誤魔化せない。
しかし、必要以上に騒ぎ立てるのは愚策。
まして相手は、まだ幼い少年。
危険人物とは限らず、ただの“未知”かもしれない。
だから彼女は平静を装ったのだ。
「――登録完了です。こちらが冒険者証になります。」
真鍮製のFランクプレートが差し出される。
アルトは両手で受け取ると、胸に熱いものが込み上げてきた。
「ありがとうございます!」
「掲示板の青札が初心者向けです。けして無理な依頼は受けないように。それだけ守っていただければ問題ありません。」
深々と頭を下げ、アルトはカウンターから離れた。
その背中を見ながら、ルナは指先をわずかに握った。
(あれほどの適性を持ちながら、あの控えめさ……。危険、かどうかはまだ判断できない。ただ――興味深い)
ふっと口元に微かな笑みが生まれる。
(アルト・ハヤカワ――あなたが世界とどう関わるのか、静かに見守らせていただきます)
再び書類整理に戻った彼女の耳には、少年がギルドの掲示板の前で戸惑いながら依頼を見比べている気配が届いていた。
少年の冒険者生活は、冷静沈着な受付嬢という監視者とともに――
静かに幕を開けた。




