第九話:初めての街、エルトリア
リーフェル村を旅立ってから、何日歩いただろう。朝の靄に沈む森を抜け、緩やかな丘を越え、小川をいくつも渡り、ただひたすら道を進んで――ようやく、目的地である街へと辿り着いた。
遠くからでも見えるほど巨大で、そして、想像していた以上に都会だった。
石畳の広い街道は途切れなく人で埋まり、馬車の車輪が白い粉塵を巻き上げている。石造りの建物は村で見たどの家よりもずっと背が高く、屋根が幾重にも重なって、まるで迷宮みたいだ。通りを行き交う人々の声が渦を巻き、焼いた肉の匂い、香辛料の刺激、鉄の擦れる音……全部が一度に押し寄せてくる。
「……これが、外の世界か」
声に出すと、本当に夢の外に出てきたみたいだった。
村では、朝に畑へ向かう父さんを見送る声、母さんが焼くパンの匂い、隣家の犬の吠え声――そんなものが世界の全部だった。それが悪いわけじゃない。俺はあの村が好きだ。ただ、こうやって外に出ると、あの静けさは別の小さな世界の中の出来事だったんだと分かる。
(すごいな……全部がでかい)
それが最初の正直な感想だった。
歩くだけで、体が勝手に緊張してしまう。けれど胸の奥では、ずっと前からうずいていた冒険心が、ここぞとばかりに跳ね回っていた。
通りの端では露店が並び、果物やアクセサリー、異国の布まで置かれている。色も匂いも、村では見たことのないものばかりだ。
すれ違う人たちは俺を見ない。挨拶もしない。ただ、自分の用事に向かって足を運んでいく。それは少しだけ心細くて、けれど、世界が広がっていくような感覚でもあった。
(まずは冒険者ギルドだ。そこで正式に登録して……俺は冒険者になる)
そう決めて村を出てきたのだから。
でも同時に――胸の奥に、ひっそりと抱えた秘密がある。
(俺の力……八つの系統全部を使えることは、絶対に知られちゃいけない)
右手に嵌めた手袋をぎゅっと握りしめる。革の下では、青い紋章が脈に合わせて淡く熱を帯びていた。
この世界では、生まれつき持つのは普通ひとつの魔法属性だけ。多くても二つ。それを八つすべて使えるなんて、完全に“異常”だ。けど神様は言っていた。
――安心せよ。すべて初級の威力に制限するゆえ、強すぎる力ではない。ただ、幅を与えるだけだ。
だからこそ、余計に慎重でいないといけない。
街の喧騒を抜けて歩いていると、革鎧の冒険者が数人、酒場の前で談笑していた。剣を腰に下げ、少し疲れを滲ませながらも誇らしげな顔をしている。
「魔石、昨日高く売れたんだってな!」 「だけど次の依頼は奥地だ。回復役が欲しいな。土魔法だけじゃ補いきれん」
そんな声が耳に入る。
(回復役……土……俺は全部できる。できるけど……)
喉の奥で言葉が詰まる。
彼らに混ざりたい。冒険者として肩を並べて依頼をこなして、笑い合ってみたい。なのに、自分の力を気軽に言うわけにはいかない。八属性のことは、両親にすらきちんと説明していない。
(まずは普通の冒険者として、できることをやっていこう)
そう自分に言い聞かせながら歩いた。
しばらくすると、他より頭ひとつ大きな建物が目に飛び込んできた。石壁には重厚な剣と盾の紋章が彫られている。
『冒険者ギルド エルトリア支部』
その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
(ここが……俺の、新しい世界の入口なんだ)
足が自然と速くなった。緊張で少し喉が乾く。けれど、不思議と怖くはない。父さんと母さんが見送ってくれたときの言葉が、背中を優しく押してくれている気がしたから。
重々しい木の扉の前に立つ。村の家とは比べ物にならないほど大きく、鉄で補強されていて、まるで“別の世界へ続く門”みたいだった。
深呼吸をひとつ。鼻に入る空気は、汗と鉄と紙と酒が混ざった、まさに街の匂いだった。
「よし……ここからだ」
手袋越しに紋章の熱を感じながら、扉に手をかける。
押し開いた瞬間、外からでも聞こえていた喧騒が、一気に押し寄せた。
カウンターに列を作る冒険者たち。依頼書が束になって壁に貼られ、それを眺める人々。酒場エリアからは笑い声が響き、奥の打ち合わせスペースでは緊迫した声が交わされている。
(すごい……本物だ)
冒険者たちの武具は傷だらけで、だけどその傷が“生きて帰ってきた証”みたいに見えて、思わず見入ってしまう。
俺はその場に立ちすくんだまま、しばらく周りの景色を目で追った。
ここから俺は依頼をこなし、経験を積み、強くなっていく。八属性のことを隠しながら歩くのは苦労もあるだろう。きっと、怖い目にも遭う。
でもそれでも、ここに立っている自分が、ほんの少しだけ誇らしく感じられた。
(アルト・ハヤカワ。……俺はここから冒険者になる)
自分の名前を胸の中で呟き、足を一歩踏み出す。
この一歩が、きっと俺の人生を変える。
ギルドの匂い。人の熱。混ざり合う声。鋭い視線と、気にしない視線。様々な想いが渦巻くこの場所が――俺の新しい日々の、最初の舞台になる。
――そして、ここから俺の冒険は、静かに、確かに動き出した。




