第14話「畑と日常、モールからの贈り物」
五日目の朝。東の空から柔らかな朝陽が差し込み、展示場の芝生に降りた夜露をキラキラと照らし出していた。
陽介は自室の3階から屋上テラスへ上がり、冷たい朝の空気を吸い込みながら双眼鏡を覗き込んだ。
幹線道路には数体の感染者がふらふらと彷徨っているが、展示場の正面ゲートに組んだ車両バリケードや低い外周フェンスに近づく気配はない。向かいのモールのエントランス周辺も静まり返っている。
「よし、今なら安全に動けるな」
陽介は階段を駆け下り、外周フェンスの外を目視確認してから小走りで敷地を横断し、全員の朝の集合場所である大輝の家へと向かった。
リビングに入ると、すでに香ばしい匂いが漂っていた。
「おはよう陽介! 葵さんと絵里さんが早起きして手伝ってくれてな、昨日の残りのスープに乾麺入れた特製スープパスタや!」
エプロン姿の大輝が得意げに大皿をテーブルに置く。平屋から移動してきた女性陣も、一晩ぐっすり眠れたおかげで昨日の疲労と怯えが嘘のようにすっきりとした表情を浮かべていた。
「おはようございます、陽介くん。昨夜は本当にぐっすり眠れました。お布団がふかふかで、怖さも忘れて朝まで一度も起きなかったくらいです」
絵里さんが穏やかに微笑む。
「それは良かった。外の様子も見てきたけど、道路に数体いるくらいでモール側はクリアだ。朝飯を食ったら、昨日のリスト通りモールの生活雑貨フロアへ調達に行くぞ」
「了解です!」と美咲ちゃんが元気よくスプーンを動かした。
朝食を終えた六人は、役割分担に従って手早く持ち場へ散った。
美咲ちゃんは双眼鏡と小型トランシーバーを手に、視界の開けた陽介の家の屋上へ上がり見張りに就く。葵さんと絵里さんは平屋と展示場内の衛生管理・片付けを担当し、敷地内で留守を預かる。
そして外へ出るのは、陽介、蓮、大輝の男三人だ。
電動アシスト自転車の荷台に空の折りたたみコンテナを固定し、正面ゲートの隙間から音もなく道路を横断。割れたガラス口から、勝手知ったるモールの薄暗いエントランスへと滑り込んだ。
『ザザー……こちら屋上の美咲です。道路の感染者は動いていません。周囲オールクリアです、どうぞ』
蓮の胸ポケットのトランシーバーから、美咲ちゃんの澄んだ声が届く。
「了解。これより二階の生活雑貨フロアへ上がる」
蓮が短く応じ、三人はエスカレーターを駆け上がった。
二階はワンフロア丸ごと、衣料品、日用品、寝具、そしてガーデニング用品が手つかずのまま並ぶ宝の山だった。
「よし、手分けして一気に回収するぞ!」
陽介の合図で、三人はカートを押して売り場を巡った。
衣料・日用品コーナー: 絵里さんのメモにあった女性用のインナー、部屋着用のスウェット、動きやすいTシャツやパーカー、靴下をサイズごとに手早く確保。さらにシャンプー、化粧水、大容量のウェットティッシュや歯ブラシなどの衛生用品を箱ごとカートへ。
防災・トイレコーナー: 葵さんが強く要望していた非常用トイレ袋(凝固剤付き)の100回分セットを三箱、さらに消臭ゴミ袋を棚ごと回収。
ガーデニング・催事コーナー: 美咲ちゃんの念願である園芸エリアへ。大輝が腕まくりをして、培養土(25リットル袋)を三袋軽々とカートに放り込む。さらに大型の長方形プランター、底石、園芸用スコップとジョーロ。種と苗のコーナーからは、日持ちして育てやすいミニトマト、ネギ、大葉、小松菜の種袋を根こそぎ確保した。
「これだけあれば、立派な家庭菜園ができるぞ!」
大輝がホクホク顔でプランターを抱え上げる。
「ついでにこれだ」
蓮が指差したのは、雨どいに連結して雨水を溜められるコンパクトな家庭用雨水タンクだった。
「これがあれば、エコキュートの貴重な飲料水を一滴も減らさずに野菜へ水やりができる」
わずか三十分足らずで、三台の大型カートは女性陣の生活必需品と畑づくりの資材で満杯になった。
美咲ちゃんとの無線連絡で外の安全を再確認し、三人はモビリティの荷台と前カゴに物資をガッチリ固定。音を立てずに展示場へと帰還した。
――昼下がり。
ゲートの内側、日当たりの良い中庭のスペースには、展示場の住人全員の明るい声が響いていた。
「うわぁ……! 可愛い部屋着がいっぱい! 基礎化粧品まである……!」
平屋のウッドデッキで段ボールを開けた葵さんと絵里さんが、目を輝かせて歓声を上げた。自分たちにぴったりのサイズの服やアメニティを胸に抱き、女性陣の表情がパッと華やぐ。
一方、中庭の芝生エリアでは、美咲ちゃんを現場監督にして「展示場ファーム」の開墾作業が進んでいた。
「美咲ちゃん、土の配合はこれでええか?」
大輝がスコップで培養土と底石をプランターにザクザクと混ぜ合わせる。
「バッチリです大輝さん! 深さはこれくらいで、種と苗の間隔を手のひら一つ分空けて植えていきますね!」
泥だらけになりながら楽しそうに苗を植え付ける美咲ちゃんの横で、蓮が雨どいに手際よく雨水タンクのパイプを取り付けていく。
「よし、タンクの接続完了だ。これで次の雨が降れば、自動で数十リットルの散水用水が確保できる」
「助かります蓮くん!……なんだか、こんな状況なのに、すごく豊かな暮らしをしてる気がしますね」
絵里さんが冷たいお茶を淹れた水筒を配りながら、穏やかに目を細めた。
整然と並んだプランター、青々とした野菜の苗、清潔な衣服、そして温かい仲間たちの笑顔。
外の道路の向こうには相変わらず荒廃した世界が広がっているが、このフェンスの内側には、誰もが前を向いて生きるための確かな「日常」が根付き始めていた。
作業を終えて中庭のベンチに腰掛けた蓮が、額の汗を拭いながらふと呟いた。
「……道具や環境は揃ってきた。でも、これから本格的に長期戦を戦うなら、もっと体系的な『知識』がいるな」
「知識?」陽介が振り返る。
「ああ。農業の細かい病気対策も、感染症予防の専門知識も、展示場の設備をもっと自動化する技術も……ネットが死んでる今、俺たちの頭の中の知識だけじゃいつか限界が来る」
蓮は自分の胸ポケットを軽く叩き、二階建てアパートがある方角の空を見つめた。
「俺の部屋に、ネット上のあらゆる知識を丸ごと詰め込んだPCがあるんだ。……明日は、あいつを取りに行きたい」
展示場の暮らしをさらに一歩進めるための次なる一手。
男たちの視線は、静かに次の作戦へと向けられていた。




