2/ロウ・カーナン -10 [星見台]
「──……ナ……」
声が聞こえる。
ほっとするような、身の引き締まるような、そんな声だった。
「お願い、起きて……ッ!」
俺は、また死んだのか。
嫌だ。
俺はまだ、何者にもなれていない。
「──カタナッ!」
胸が痛むような悲痛な呼び声に、
俺は、
全身全霊を込めて目蓋を開いた。
「──…………」
目に映ったのは、ぽろぽろと涙を流すヘレジナの姿だった。
震える右手を伸ばし、その頬に触れる。
溢れる雫を親指で拭い取り、なんとか言葉を紡いだ。
「……泣き、虫、……だな。お前……」
「カタナ……」
ヘレジナが、俺の手に両手を重ね、頬ずりをする。
溢れる涙がくすぐったかった。
「よかった……。目を覚まして、くれた……」
じんじんと響くような頭痛を我慢しながら、記憶を掘り起こす。
「……ああ、そうか。落ちたんだっけ」
そこまで言って、気付く。
「プルとヤーエル──づッ!」
身を起こそうとして、全身に激痛が走った。
「カタナ、動くな。全身の打撲に加え、右足も折れているのだぞ……」
「……あー」
記憶が定かではないが、かなりの距離を滑り落ちた気がする。
「ヘレジナ。お前は?」
「……大丈夫だ。カタナのおかげで、無傷だ。カタナが私をかばってくれたから」
「なら、まあ、よかったか……」
壁に背を預ける。
「いいわけあるか!」
ヘレジナが声を荒らげる。
「どうして私を放って置かなかった! プルさまとヤーエルヘルを守るのはお前だと言ったはずだ!」
「ンなこと言われてもなあ……」
体が反射的に動いた、としか言えない。
「馬鹿! アホ! 考えなし! 優先すべきはプルさまであろうに!」
「──…………」
少々、呆れる。
俺は、一つ溜め息をつくと、ヘレジナの頭に手を置いた。
蟲の魔獣の粘液で固まってしまった髪を、梳くように。
「あのなあ。プルを優先するのはお前の勝手だけど、俺には俺の勝手があるだろ」
「し、しかし……」
「──あの日、流転の森で、俺を拾ってくれたのは誰だった?」
「──…………」
「プルクト=エル=ハラドナ。そして、ヘレジナ=エーデルマン。俺にとっちゃ、お前ら二人は、同じくらい大切な恩人なんだよ」
冗談めかして言葉を継ぐ。
「まあ、今はヤーエルヘルもだけどな」
しばし呆然としていたヘレジナが、口を尖らせた。
「ばか」
「うるせー」
「ばかかたな。ばかたな」
「短くするな」
ヘレジナが、くすりと笑う。
「ばー……、か」
「ははっ」
ヘレジナが笑ってくれた。
それだけで、心が温かくなった。
「実際、今はどういう状況なんだ? ただ真下に落下しただけじゃないだろ。随分長いこと転がり落ちてた気がするんだけど……」
天井を見上げたが、崩れているようには見えない。
あの通路の真下ではなかった。
「お前の記憶は正しい。落下したあと、急斜面をかなりの長いあいだ滑り落ちたのだ。カタナの頭上にある穴から放り出されて、今はもう、ここがどこかもわからない」
周囲を見渡す。
そこは、ごく狭い空間だった。
学校の教室ほどの広さもない空間の中央に、あの宝箱が逆さになって中身をぶちまけている。
中から溢れていたのは、無数の金貨だった。
「……換金したら、百三十万シーグルに届くかねえ」
「わからん。正直なところ、カタナと無事に帰れるのであれば、銀琴などどうでもいい」
「今回のダンジョン探索を無に帰すようなことを……」
ヘレジナがくすりと笑う。
「お前は既に、銀琴より価値ある存在だと言っているのだ。誇るがいい」
「──…………」
少々照れる。
だが、悔しいので顔には出さない。
「ああ、そうだ」
ヘレジナが、見覚えのある鞄を拾い上げる。
「これが落ちていた。プルさまの鞄だ」
「……なんでだ?」
「恐らく、プルさまが投げ入れてくださったのだろう」
「秘密って言ってたけど、何入ってんだこれ」
「実のところ、私もよく知らん。詮索したことなどなかったからな」
従者の鑑だ。
「んじゃ、開けちまおう」
「……そうだな。開けねばプルさまの御意思に背くことにもなる」
そう言って、ヘレジナがプルの鞄を開く。
「──…………」
中には、革袋が一つ。
中身を確認したヘレジナが、俺に言った。
「カタナ、口を開け」
「なんだよ」
「ほら、あーん」
「……?」
意図がわからなかったが、とりあえず口を開く。
すると、口の中に丸いものが押し込められた。
「……甘い」
飴玉だ。
「プル、飴玉を後生大事に持ち歩いてたのか……」
俺たちに隠れて食べていたのだろうか。
もし歯磨きの後にこっそり食べているところを見掛けたら、注意してやろう。
無事に地上へ帰れたら、だが。
「それだけではないと思うのだが……」
何事か思案するヘレジナに告げる。
「ヘレジナも一つもらっとけ。甘いもん食うと心が落ち着くって言うだろ」
「うむ。では、私も」
ヘレジナが、飴を口に放り込む。
「甘い……」
「な?」
「……すこし、気分が楽になった。久し振りに舐めたが、悪くないな」
革袋を鞄に仕舞い、ヘレジナが立ち上がる。
「私は出口を探す。カタナは休んでいろ」
「ああ、頼んだ」
この足では、どうせまともに動くこともできない。
無理をしてヘレジナに心配を掛けたくはなかった。
「……カタナが守ってくれたから、私はこうして無傷で動けるのだ。ありがとう」
「──…………」
思わず明後日の方向へと視線を逸らす。
「はは、照れおって」
「うっせ」
無傷のヘレジナが部屋を調べ始める。
俺たちのいる部屋は、さほど広いとは言えない。
ほんの十分もあれば、部屋の中を隈無く調べ尽くすことができてしまう。
ヘレジナが、神妙な顔で言った。
「──出口が、ない」
俺は、頭上の穴を示した。
「元来た斜面は登れないか?」
「急斜面と言ったろう。無理だ。仮に可能だとしても、カタナを置いて行くことになる」
「干し肉も水も、飴玉もある。いったん置いて行ってくれて構わないけどな」
「嫌だ」
「嫌だ、ってお前……」
「嫌だし、何度も言うが無理なのだ。プルさまとヤーエルヘルを待つしかない」
「──…………」
二人とも無事でいるだろうか。
せめて、無事に地上へ辿り着くことを祈るばかりだった
俺の様子に気付いたのか、ヘレジナが宥めるように口を開いた。
「大丈夫だ。蟲の魔獣は生産施設ごと殲滅した。ヤーエルヘルは、あれでいて気骨がある。それに、何より、プルさまが私たちを放って置くはずがあるまい」
「……ま、そうだな」
あのプルが何もしないはずがない。
俺の憧れた勇気ある少女は、きっと助けに来てくれるだろう。
不思議とそれだけは信じられた。
「──ああ、そうだ」
ヘレジナが、俺の隣に腰を下ろす。
不安で人肌恋しいのか、触れるほどに距離が近い。
だが、照れていることを悟られるのも癪なので、このまま会話を進めることにした。
「ヘレジナを助けようと手を伸ばしたとき、選択肢が見えたんだ」
「──[羅針盤]か!」
「いや、たぶん違う。この選択肢を見るのは二度目なんだけどな。[羅針盤]みたいに選択肢が色分けされてないんだよ」
「色分けが、されていない……?」
「[羅針盤]は、選択肢の色によって、その先の大まかな未来を知る能力だった。だったら、あの選択肢はなんだったんだろう」
「……ふうむ。一度目はどういった状況だったのだ?」
「たしか、ヤーエルヘルを仲間にするか、しないか──みたいな感じだったな」
「他に感じたことは」
「そうだな……」
深く、深く、二度の経験を思い出す。
「──確信があった、気がする」
「確信?」
「ああ。仲間にするほうを選べばヤーエルヘルが加入するし、しないほうを選べば決して仲間になることはない。そんな、未来への確信っつーのか……」
「……わかるようで、いまいちわからんな」
「もどかしいよな、この感じ……」
「もうすこし事例が欲しいところだ。今後も選択肢が出るようなら、報告するように」
「ああ」
「それと、……そうだな。[羅針盤]にあやかって、その選択肢にも名前を付けておこう」
「名前か……」
「文句があるのか?」
「ないけども」
名前があれば、この事象について話すとき楽になる。
人間はこうして新たな概念を未知から切り分け、自分のものにしてきたのだ。
「では、そうだな……」
数分ほどうんうんと考え込んだのち、ヘレジナが言った。
「……[星見台]、というのはどうだ?」
「[星見台]」
思わず感心する。
「いいじゃん、[星見台]。ハラドナの誇り高き黒き風みたいになるかと思ってた」
「ふふん──って、ハラドナの誇り高き黒き風の何が悪いのだ! たまたま銀の刃と名前かぶりをしていなければ、今頃は」
「でも、ワンダラスト・テイルのほうがいいだろ?」
「……う、むう」
相当気に入っているらしい。
「俺のセンス、何故かプルとヤーエルヘルには伝わらないんだよな……」
「カタナのセンスは悪くない。この私が保証してやろう」
「俺も、ワンダラスト・テイルはいい名前だと思ってるぜ。負けて本望だ」
「ふふん。だが、カタナが最後に出した〈原罪の落とし子〉などは、正直言って心が揺らいだぞ。プルさまとヤーエルヘルは、何故か顔を見合わせていたが……」
「ま、全員一致で決めた名前だ。遺物三都を出てからも、ちょっとくらいは名乗りたいよな」
俺たちは、四人でワンダラスト・テイルだ。
そんなことを考え、ふ、と笑みが浮かんだ。
命を預けられる仲間たちがいる。
それは、誰しもが容易に得られるものではない。
俺は、縁にだけは恵まれている。




