19 「神主と巫女と和尚と人形」
滝のそばに立つ風光明媚な旅館として有名な竜麓館はその日、朝から大騒ぎであった。
竜麓館最上階の部屋「竜頭の間」における密室自決事件発生と、
竜麓館最下階の「竜尾の間」における連続落下事故のお祓い作業。
その二つが同日同時刻に行われたのだ。
最上階には事件解決に乗り出した名探偵が、
最下階にはお祓いのためにやって来た神魂宗の神主と巫女が、
そして人形と旅する危険人物ナロウ和尚が。
この驚天動地奇々怪々な事件の結末とは…?
この二つの出来事、根っこは繋がっているが別の事件であるため、最後まで交わらないということだけ、お伝えしておきます。
「うぉーー!見えて来た見えて来た!事件の全貌がぁ!」
最上階で騒いでいるのは「名探偵」椹木亮一郎だ。竜頭の間で起きた密室自決事件解決に向け、その煌めく脳細胞が危険なほど脳内物質を放出し、典型的探偵ハイ状態になっていた。その結果、見るもの聞くもの全てを証拠として採用しまくっていた。
その事件現場の直下、竜尾の間に置いては、オカルトチーム
ナロウ和尚(+呪い人形のいのり)と
神魂宗の巫女 円流鳳
その兄で神主 円流秀の兄妹がこの事件の源流を調査していた。
この旅館においてもっとも特別な部屋である竜尾の間は、滝口のそばに立つため常に滝の流れる音が聞こえていた。
ナロウなどからしたら雄大さを感じても、やかましくて安眠できる部屋だとは思えなかった。
特に滝の水の落下音は、聞き続けているだけで体が崩れ落ちそう、立ちながら無限の底に落ちていくかのような恐れすら感じさせた。
「この立地、良くないですね…」
ナロウがこぼした言葉に白装束の巫女、鳳が答える。
「そうです、どこの建築家か知りませんが、あまりに迂闊。この滝口はあまりに、吸い寄せられます」
鳳も同じ様な感想らしい。ここは「吸い寄せられすぎる」。風水という言葉を持ち出すまでもなく位置が悪い、滝口に近すぎるのだ。
まるで排水口の側に部屋を作ったかのような、落ち続ける滝の音が、途切れることなく鳴り続けている。
「いやー、この部屋よくない?見た目も音もサイコーじゃない」
神職としては無神経すぎる兄、秀が窓から身を乗り出し滝を覗き込むという小学生並みに危険な行為をしていた。
ドドドドドドと音は落下し続ける。
落下し続ける音は、落下する「実体」を求めていた。
落下し続ける音は、落下する体を求めている。落下する男の体を…
くらり、と目眩がして秀の体が窓の欄干からはみ出す。
「兄様!」
叫んだ妹よりも先にナロウの手が伸び、神主の衣装を掴んで引っ張り上げる。
引き上げられ畳に座り込んだ秀は
「やっぱよくないわ、この部屋」
へそを曲げたようにそれだけを言った。
「兄様、いくら霊を感知できないからって油断しすぎです」
「立地が悪かったってことですかね」
今の実例を見て、ナロウも理解できた。この部屋、ほとんどトラップのような作りになっているのだ。普通の人間なら、どうしたって嵌って事故が起きるだろう。
鳳は事前に部屋に置いておいた荷物から書類を取り出す。この部屋で起きたいくつもの事故に関する調書だ。それをナロウに渡した。
この部屋は後から増築された部屋で旅館全体の歴史からすると真新しいものだった。部屋ができて3年、その間に十件近い落下事故が起きている。旅館側も部屋の一時閉鎖や欄干の追加と対策したが、景色が売りの部屋である。窓に金網を貼るまでの改善には至らず、ついに死亡事故が起きてしまったのだ。
「それが、二ヶ月前…」
「わたくしたちの神社に依頼があったのがその頃ですが今日まで遅れてしまいました、なにせ予約が埋まっていましたので・・・」
「オレらもずっと休み無しってわけ」
兄妹の言う忙しさはナロウも理解できる。「大自決世代」事故物件の発生件数は高止まりし、その波が収まるには十年かかると言われている。
「ようやく来れたと思ったら、上での自決事件です。正直、来るのが遅すぎましたね」
妹の鳳は頭上を見る。この部屋の真上に竜頭の間があり、そこでは名探偵とやらが今も推理をしているのだろう。
「上の始末はあの名探偵くんにまかせて、元凶の除去は俺達の仕事ってわけ」
兄の秀は荷物から、しめ縄や紙垂を取り出し、部屋の四方の鴨居に飾り付けた。それだけで一気にお祓い空間が作り変えられる。
白い紙を棒に結んだハタキのようなお祓いの道具「大麻」を手に持つ。神主のメインウェポンだ。
ナロウから見れば全てがブランド物だ。
すべての道具に意味と歴史があり、効果を保証してくれる。信頼性のある道具は武器としても役に立つし、防具としての安心感も与えてくれる。自分の行為に正統性があり間違っていないと保証してくれる。
対して自分のはなんだ?
タブレットになろう小説だ。
なにもないに等しい。
歴史あるエリートを前にして、ノーブランドノーライセンスの和尚が感じる劣等感があった。
お祓いの支度ができた。
部屋の四方を紙垂が囲い、中央に簡易祭壇が組み立てられる。
神主である秀が儀式を取り仕切り
巫女である鳳が彼の後方で祈祷に加わる。
圧倒的儀式感。
霊を鎮め、邪を祓うための正しい儀式がナロウの前に現れた。
秀が独特のリズムで大麻を左右にふる。結ばれた白い布「紙垂」がワッサワッサと鳴り、経文を唱え始める。
それは 聞いたことのある文言、よく聞くお経だった。先程まで浮ついた若者でしかなかった秀は人が変わったかのように真剣な様子をみせ。口から出る言葉も軽々しさが消え、重みのある音へと変わっている。
鳳も兄に合わせて祈りの言葉を唱えている。
明かりの消えた真っ黒な部屋。窓から見える空の青だけが色を添えている。そして絶え間なく聞こえる滝の水音。侘び寂びと風情、それが満ちた空間の中で、神主と巫女が歴史と権威あるお祓いの儀式をしている。
本物の世界がそこにあった。
インチキ呪い師でしかないナロウはただ気圧されるばかりであった。
手に持っていたリュックから小さな手が伸び、ナロウの手に触れた。気遣ってくれたいのりの手だった。その瞬間、はっと気づいたナロウはリュックを覗き込み、
「いのり、大丈夫か?」
本格的な邪気祓いの儀式が直ぐ側で行われている。呪い人形という存在であるいのりの体に、良い効果があるはずはなかった。
「大丈夫よ、うっとおしいとは感じるけど、わたしに影響はないわ」
彼女の小さな手に触れ、心配そうなナロウ。
「大丈夫だって、本当に。祈祷程度でどうにかなる私ではないわ」
ちなみにナロウのなろう朗読除霊は、いのりにまったく効果がなかった。だからといっていのりが除霊に対して絶対の耐性があるなどとは考えられない。ナロウとしてはとっととこの場を去って、いのりの安全を確保したかったが「本格の本物の仕事」というのを間近で見られる機会を失いたくはなかった。好奇心と向学心があった。彼女の体調を気にしながら距離を取りつつも、祈祷作業の見学を続けた。
祈祷は静かに、しかし熱く進行していく。
秀と鳳の読経と、独特のリズムの大麻の鳴る音。段階を踏み形式的に除霊を行うシステマチックさを感じる。
しかしナロウには気になるところがあった。
「いのりにまったく効いていない?」
それは喜ばしいことではあるが、重大な問題を感じさせる事実だった。
「いのり、本当に効いてないのか?」
「心配も度が過ぎると迷惑よ。効いてないわ。このお祓いの経文、あなた意味がわかって?」
「いや、まったく」
「あなたにわからないものが、霊に分かると思う?さらに言えば、西洋生まれのこの私に」
「それは・・・・!」
自分が与えたヒントにナロウが反応したことをいのりは喜んだ。
「そういうことよ、この経文はこの場のお祓いには通用するが、」
「この場にいる、新しい霊には通じない…」
ブワッと部屋の中の空気が渦巻いた。
壁に掛けられた紙垂が舞い、回転の方向を指し示す。
一瞬ためらった兄妹は、それでもお祓いを続ける。
「現れた!」
ナロウの感覚はすでに傍観者から仕事人に変わっていた。その場の脅威を的確に認識できていた。
開かれていた観音開きタイプの雨戸が、いきなりバタンと全てが閉じた。
一瞬にして部屋は外光を失い暗闇になる。
「あれ~?」
霊感ゼロの神主、秀が驚きの声を上げる。
「兄様!続けなさい!」
妹の鳳が叱咤し、祈術を続行させる。
二人の祈術はさらに熱を帯びるが、それに反応するかのように霊現象も反発も強くなる。
バタバタと雨戸は開閉し、部屋に竜巻のような空気の渦が生まれる。
霊も兄妹も、張り合うかのようにボルテージを上げ続けている。
兄妹にとってはこの儀式こそ正しいもの、正しい形式と正しい技術。正しい伝統。貫くことこそが正しいのだ。
だが霊の勢いも負けていない。もとより場所が良かった。この場所は霊の力が高まる逆スポットになっていた。
「まずいな、こりゃ。どっちかが破裂しそうだ」
ナロウはこのエスカレーションの先は悲劇であると予感した。すでに滝口の水が僅かに逆流を起こし始め、その水飛沫が室内に飛び込み、あたりを濡らし始めている。
鳳の薄い巫女の衣装も濡れ始め、下の素肌が透け始めていた。
「とにかくだ」
そこから強引に視線を外して、ナロウは濡れてしまった資料を漁る。破綻しそうな現場を放っておけないのが、プロの和尚だ。
資料の紙束の中の、死者の調書を読む。女性、二〇代、若い。自決する歳でもあるまいに。
だが調書の調べた範囲は広く詳細だった。
「考えられる自決の遠因:失恋」
その情報だけで、ナロウの脳内には彼女の自決へのプロセスが浮かび上がる。そのプロセスから逆算し、除霊の型を探し始める。
脳のスパークは瞬時に、心解きほぐすための鍵の形を見つけだした。
それがナロウの「寄り添い系・朗読除霊」だ。鍵の形とマッチする「物語」を探す。それは今まで読んだなろう小説の、脳内の履歴を検索するということだ。
「見つけたぞ、キミのストーリー!」
発見を喜びタブレットを開く。スワイプして小説を呼び起こす。
「悪役令嬢モノ!」
だがこの作品は、メジャージャンルでありながら人気が跳ねなかった。その理由は
「恋愛という精神の檻から飛び出せ!」
とばかりに恋愛ストーリーを拒否し、自立ストーリーに傾倒したためと、ナロウは分析している。
だが今は、これがベスト!
この場における、ナンバー1ストーリーだ。
ナロウは朗々と朗読を開始した。
「なに?」
さすがに兄妹も驚いた。
見学者みたいな顔をしていた男が、いきなり何かを朗読しながら部屋に入ってきたのだ。
さながら兄妹歌手のライブに、調子に乗った観客が歌いながら割り込んできたかのような、
圧倒的場違い感!圧倒的空気の読めなさ!
秀は呆れ顔、鳳は殺害レベルの怒りの目を向けてくるが、ナロウはお構いなしだ。
彼が相手をしているのはこの兄妹ではない。この部屋に漂う、もう一人の、見えない女性の霊だ。
今行われている祈術と、なろう朗読はアンマッチ。
テンポなし音も合わない不協和音。
お互いが譲る気ゼロの混声混合。
ドスン!
建物全体が飛び上がるような縦揺れ。
「地震か!」
彼らの上の部屋にいる探偵が驚きの声を上げた。
雨戸が一気に開き、窓から逆流した滝の水が室内に飛び込んできた。
その水流に飲まれる兄妹。祈術は中断され流される。だがナロウは柱を掴み朗読を続けている。
彼には朗読を続ける覚悟、なろう朗読にしがみつく人生の覚悟があった。
その場に、彼の朗読だけが響いた。
水に流され出した兄妹は、びしょ濡れになりながら室内を見る。霊障渦巻く室内でただ一人立ち朗読を続けるナロウの姿を。
その姿はさえない男、さえない声、だが霊と対峙する凛々しさと不屈さを感じさせる立ち姿。開かれた窓だけが光源となり、逆光の中に浮かぶシルエットは歴史を超えて現れた呪術者の姿であった。
その姿に、思わず見とれてしまう鳳。
顎をなで、感心する秀。
リュックの中から顔を出し、見つめるいのり。
なろうの朗読除霊はクライマックスを迎える。
朗読しながらナロウは霊に語りかける。
「キミにも伝わるはずだ。僕たちの言葉で書かれた僕たちのストーリーが。その中にある意味が、キミを解きほぐしてくれるはずだ」
ついに主人公は住んでいた屋敷を飛び出す。これが最初の跳躍だ。彼女の心を縛っていたのは恋愛という縄、愛情という罠。人はそこから抜け出せる。自由になれる。
「自由になれ、今ここから!」
ナロウの祈りを込めた朗読は、物語を霊に伝えた。その真意は霊の失った胸を打つ。
打たれた胸を中心に、霊の体、身体は再構築されていく。人間性を取り戻していく。
胸に生まれた新しい鼓動は「自分を愛せ」
霊はようやく、全てのしがらみから自由になれた。
開いた窓から聞こえてくるのは、常と変わらぬ滝の落ちる音。その音には人を誘い込むような魔の音色がなくなっていた。日差しは昼のものに変わり、濡れた室内を温め直してくれる。
朗読の終えたナロウは部屋の中心に座り込んだ。朗読の疲労で喉はカラカラ、精神も疲れていた。だが、開放感があった。霊を成仏させたという開放感が胸に残っていた。
「なんかよくわからんけど、終わった?」
兄の秀がペタペタと室内に上がってきて周囲を見渡す。いくら彼でも霊障が終わったことくらいは分かる。
ナロウの前に正座で座った。
「助けられたってことでいいのかな?」
秀は素直に聞いてきた。
「行きがかり上、手助けをしました。同業ですので」
「同業…フッ同業ね」
秀は鼻で笑ったが、すぐに両手をついてお辞儀をした。
口には出さないが感謝を伝えた。ここで感謝を示せないような男ではなかった。
ナロウも軽く会釈で返した。
彼らの間には職業上の壁がある。正統な祈祷師である秀の側から、その壁を切り崩すわけにはいかなかった。壁の存在が彼らの職種を守っているのだ。
「鳳ッ!」
兄が妹を呼びつける。妹の方はいまだ部屋の中に入らず、影の中からナロウを睨んでいた。
「無礼な妹ですまない。あいつは俺より優秀だからプライドも高い。あとで言って聞かせるよ。ところで、今回の件についてだが…」
「僕は現場で朗読をしていたイカれた男です。何もしていませんし、金を貰う立場にありません」
「これは、欲のない和尚だ。いや、欲がないのから和尚だったか…どちらにせよ見上げたものだ。時代が時代なら妹の婿にほしいところだが…」
「妹さんが喜ぶとは思えませんし、嫁は間に合っています」
ナロウはリュックの人形に目をやる。
「よろしい、人形好きで朗読好きな奇人さん。お互い、この場では何もなかったという事で」
ナロウは面倒事をすべて避けた。この祈祷に一切関わっていないと宣言し、その謝礼もいらないと伝えたのだ。兄妹にとっては名誉を守ることが重要だった。それを即座に汲み取ったのだ。
「ただ、あなたのせっかくの休日を邪魔してしまった。宿代だけは払わせてもらうよ」
兄の秀はそう言うと、スッと立ち上がり握手を求めた。
座ったままその握手に応えたナロウを引き上げ、立たせる。秀は顔を近づけ、
「それでは、ナロウ和尚。いずれまた」
それだけ伝えてその場を去った。
妹の鳳はまだナロウを見つめている。
「鳳、仕舞いだ。報告をしてこの部屋を封鎖するぞ。仕事はまだある」
「兄様、あの男は…いったい」
鳳にとっては初めて会うタイプの在野の和尚だった。
「在野の和尚など、インチキの紛い物揃いと思っていたが、なるほどダーウィン流淘汰というやつか、奇妙なやつが生き残ったというわけだ」
兄妹は揃って階段を上る。
鳳は振り返り、室内に残った彼を思う。
「すごい人…」
それだけが彼女の記憶に残った。
兄妹が上るにつれ、探偵の騒がしい声が聞こえ始めた。探偵の推理も、クライマックスを迎えているようだ。
部屋の中央で座るナロウの側に、呪いの人形が歩いて寄っていく。
「大変だった」
膝の上に座ったいのりに、ナロウは言った。
「たしかに霊を祓ったのはナロウだけど、この場の除霊に関してはあの兄妹の仕事よ」
いのりは成功の分担を正確に表した。
「さすが本流ってところだね、敵わないな」
ナロウもそのあたりは感づいていた。歴史により磨かれた正統な祈祷の威力を初めて見た。
「あら、あなたの朗読も大したものだったわ。今の霊には今の除霊が必要。それをあなた達は作り出している」
いのりはそう、励ましてくれた。
その人形の気持が分かるナロウは彼女の髪をなでた。
窓から注ぎ込まれる温かい太陽の光。
窓から聞こえる滝の流れ落ちる音。
「いい部屋ね」
いのりが言ったことにナロウは賛同した。




