第5話――現実という壁と、四人目のメンバー
アリア王国、貴族議会の会議室。
その場は張り詰めた空気に包まれ、激しい議論の声が部屋中に響き渡っていた。
「陛下! あのように荒々しく野蛮な音楽など、高貴なる王女殿下が奏でるものではございません! あまりにも品がなく、アリア王家の威信を地に落とすものでございます!」
保守派の筆頭である老公爵が、オーク材の机を拳で叩きつけた。
数日前、王宮西棟から響き渡った『咆哮』のような音。
その噂は貴族たちの間に瞬く間に広がり、大きな恐怖と不満を巻き起こしていた。
王座に腰掛けたアルドリック王は、疲れの色を浮かべた顔で口を開く。
「だが、あの音があったからこそ……リゼルは意識を取り戻すことができた。それに、民たちも以前より活気を取り戻したのではないか?」
「それは無学な平民たちの、ただの思い込みにすぎませぬ!」
別の貴族が反論する。
「貴族議会より緊急動議を提出いたします……リゼル王女殿下に対し、あのような楽曲を二度と演奏せぬよう、全面的に禁止することを!」
貴族議会の決議は、少しずつ具体的な形を成し始めていた。
だが、その頃、城門から遠く離れた場所にいるリゼルは知る由もなかった。
自分へ向けて、もう一つの嵐が静かに牙を研ぎ始めていることを。
……
同じ日の早朝。
王都の空は薄暗い灰色の雲に覆われ、冷たい空気が肌を刺していた。
正門前の広場には、アリア軍の兵士たちが数千人、整然と隊列を組んで並んでいる。
全身を銀色の鎧で固めたカレルは、軍馬のそばに立っていた。
彼はライラとアレンの隣に立つリゼルのもとへ、まっすぐ歩み寄ってくる。
大柄な青年は片膝をつくと、肩まで伸びたリゼルの輝く金色の髪を、そっと撫でた。
「兄さんは、もう行かなきゃならない。リゼル……」
カレルの声は低く、落ち着いていた。
「兄さんの役目は、この国を守る盾になること。そしてお前の役目は、自分自身を大切にして、母上の笑顔を守ることだ……分かるな?」
リゼルは唇を固く噛みしめた。
その胸の奥で、『リク』の心が激しく震えている。
それでも彼女にできたのは、ただ頷いて笑顔を見せることだけだった。
「カレル兄様……ちゃんと帰ってきてくださいね」
彼は答えなかった。
ただ妹の青緑色の瞳を深く見つめ、ほんのわずかに笑みを返す。
そして立ち上がると、踵を返して軍馬のもとへ戻っていった。
「全軍、進めぇぇっ!!」
大軍がゆっくりと動き始め、城門の外へと進んでいく。
リゼルは、少しずつ遠ざかっていく兄の広い背中を見つめ続けた。
……やがて、その姿が小さな点に変わってしまうまで。
その瞬間だった。
激しい無力感が、胸の奥を突き抜けるように襲いかかった。
目の前にそびえ立つ花崗岩の城壁が、突然まばゆい光に包まれた。
目を焼くような白い光が、すべてを一瞬だけ飲み込んでいく。
土埃の匂いが消えた。
代わりに鼻を刺すような、冷たく鋭い匂いが漂ってくる。
まるで、王宮医師が傷の治療に使うポーションのような、息苦しくなる匂いだった。
ピッ……
耳を突き刺すような甲高い音が、突然、耳の奥へと入り込んできた。
一定の間隔で繰り返される音。
まるで、水滴が金属製の器に落ちる音のようだった。
胸に重い何かがのしかかる。
身体が硬直し、指先一本すら動かせない……。
「……お嬢様!」
「リゼル様!」
腕を揺さぶられる感覚と呼び声に、リゼルはびくっと身体を震わせた。
「はぁっ……はぁっ……!」
荒い息を吐きながら、青緑色の瞳を大きく見開く。
先ほどまであった奇妙な白い光も、鼻を刺すあの匂いも、すでに消え去っていた。
そこにあったのは、いつもと変わらぬ城門前の広場だった。
「お嬢様、どうなさったんですか!? 顔色が真っ青ですよ……。まさか、魔力を使いすぎて目眩が……?」
ライラが慌てた様子で尋ねる。
その隣では、アレンが風を遮るように一歩前へ出た。
「うーん……たぶん、そうかも」
リゼルは自分の額に手を当てた。
「ちょっと耳鳴りがしただけだから……」
リゼルは、軍勢が去っていった方向へ振り返った。
魔法楽器には、物理的な限界がある。
たとえギターを弾き続けて指が裂けるほどになろうと、声が枯れ果てるまで叫ぼうと――
彼女の音を、この城壁の向こうにある戦場まで届かせることはできない。
「……道具が必要だ」
リゼルは小さく呟いた。
そして勢いよく振り返り、二人のバンド仲間を見つめる。
青緑色の瞳が、燃え上がるように輝いた。
次の瞬間――
彼女は勢いよくアレンの両手を掴んでいた。
「お、おおおリゼル様!?」
若い近衛兵は飛び上がるほど驚いた。
身体が完全に硬直する。
少女の柔らかな手が自分の両手をぎゅっと握っていることに気づいた瞬間、整った顔は耳まで真っ赤に染まった。
「アレン! この王宮に……魔力波を変換して、音を増幅することに詳しい人っている!?」
「小さな音を、山を越えて何キロメートルも響かせられるものが欲しいの! 今すぐ必要なの!」
ライラが慌てて咳払いを挟む。
「んんっ! お嬢様、どうか少し距離を取ってください。アレン様がもうトマトみたいに真っ赤ですよ!」
リゼルは我に返った。
慌てて手を離し、へへっと照れ笑いをする。
一方のアレンは、恥ずかしさをごまかすように手で口元を覆い、咳払いをしてから真面目な表情を取り戻した。
「お、オホン! 王立魔法研究所に、一人だけ学者がおります」
「ただ……うるさい音を出す魔石ばかり作っているせいで、『狂人』と呼ばれていまして……今では追放同然に、廃塔で一人きりの研究生活を送っております」
「天才っていうのは、だいたい変人のふりをして隠れてるものよ。行きましょう!」
……
西の古塔は埃にまみれていた。
部屋中には、色とりどりの『魔晶石』が所狭しと並べられている。
その一角では、分厚い眼鏡をかけた痩せた青年が、鳥の巣のようにぼさぼさの髪を揺らしながらしゃがみ込み、石の山に向かってぶつぶつと呟いていた。
「マナの振動を、共鳴する音波へと変換できれば……って、なんで耳を切り裂くような音しか出ねぇんだよ!」
「それって、音を増幅する『アンプ』の理論ですよね?」
青年はびくりと身体を震わせた。
そして勢いよく振り返り、侵入者を見つめる。
その視線がリゼルを捕らえた瞬間、彼は目を見開いた。
「お、おお王女殿下!? こ、これは失礼いたしました! わ、私は『エリアス』と申します!」
彼は慌てて立ち上がった。
「い、今の……殿下は、私が呟いていたことの意味がお分かりになったのですか!?」
リゼルは小さく首を横に振った。
そして部屋の隅に置かれている巨大な魔晶石へと歩み寄る。
そこには、無数のエネルギーケーブルのようなものが複雑に繋がっていた。
「エリアス……わたくしがここへ来たのは、わたくしの音を城壁の向こう、戦場まで届けたいからなの」
「あなたのその巨大な音響増幅魔晶石を、楽器と一緒に動かす方法はある?」
エリアスの目が大きく見開かれた。
彼は興奮した様子で、すぐさま駆け寄って説明を始める。
「こ、このマナ波増幅魔晶石は、最高級の魔力炉に匹敵するものです!」
「ですが、音源となる音波を受け取る媒体が必要なんです……! それが、つい先ほど私が試作したものです!」
彼は銅線が何重にも巻き付けられた、拳ほどの大きさの小さな魔晶石を取り出して見せた。
「これは音響受信石です。ここを通して声を入力すれば、音波を巨大魔晶石へと伝達できます」
「ただ……問題は、殿下の『ギター』のような楽器に接続する方法が、まだ分からないことです!」
「マナの弦から伝わる振動が安定しないのです!」
「それなら簡単よ……」
リゼルは口元だけで笑った。
そして魔力伝導用のケーブルを手に取る。
頭の中でマナの流れを組み替え、そのままエリアスが持っている音響受信石の入力端子へと接続した。
「エリアス……この音響受信石から出ている接続線を、巨大魔晶石のエネルギー入力端子へ繋いで」
「それからわたくしのギターは……この回路へ、わたくし自身のマナで直接接続する!」
エリアスは驚きのあまり口を開けたまま固まった。
しかしすぐに我に返ると、慌ただしくリゼルの指示に従い始める。
そして音響受信石と巨大な音響増幅魔晶石を、マナケーブルで繋いだ。
「……じゃあ、いくわよ」
リゼルは深く息を吸い込んだ。
そして、最も荒々しいEマイナーのコードに指を添える。
身体の中を流れるマナを引き出し、周波数を調整する。
ギターの弦に、歪み――『ディストーション』を生み出すために。
……そして。
手にしたピックを、力いっぱい振り下ろした!
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
巨大な魔晶石によって増幅されたギターの咆哮が、西の古塔全体を揺るがすほどの轟音となって響き渡った!
窓ガラスが激しく震え、天井に積もっていた埃が一斉に舞い落ちる。
それは、もはや単なる音ではなかった。
強烈で、密度の高い『音波』そのもの。
まるで竜巻のように、すべてを巻き込みながら突き進んでいく衝撃波だった!
その一瞬――
歪んだギターの咆哮が響き渡った瞬間、アレンとライラの中にある音楽家としての本能が、ほとんど無意識のうちに動き出した!
アレンは床に落ちていた木片を掴むと、部屋にあった木樽や鉄箱を、ギターの音に合わせて激しく叩き始めた。
そしてライラもすぐさま魔力の弦を使ってベースラインを刻み、力強い低音でアレンのリズムを支え始める!
そのときだった……。
三人の演奏を間近で聴いていたエリアスの中で、マッドサイエンティストの血が、限界まで沸騰した!
まるで新たな研究対象を見つけたかのように、彼は机の上に散らばっていた魔石の欠片を掴み取る。
それらを適当に並べると、演奏の真っ只中で一つずつ指先で叩き、音を確かめ始めた。
カンッ! カッ! ティンッ!
最初の魔石は音程が狂い、あちらこちらへと外れた音を響かせていた。
しかし、エリアスは諦めなかった。
その場で魔法を使い、一つ一つの魔石のマナ波をリアルタイムで調整していく。
こちらを叩き、あちらを試し、何度も何度も繰り返す。
演奏が続く中で、魔石の音は少しずつ調律されていった。
そしてついに――
魔石たちの音がぴたりと噛み合い、三人の演奏と驚くほど自然に調和し始めた!
ギターを激しくかき鳴らしていたリゼルは、エリアスが魔石を叩きながら音を合わせているのを見た。
そして、口元をにやりと吊り上げた。
「……なかなかいいセンスしてるじゃない」
「でも、そんなふうに適当に積んでたら、演奏しにくそうね」
リゼルは一度手を止めた。
そしてエリアスのもとへ歩み寄る。
調律を終えた魔石の山に、両手をそっと置いた。
次の瞬間――
彼女の身体から銀色のマナが流れ出した。
まるで『錬金術』を行っているかのように。
まばゆい光が弾ける。
魔石たちは一つに融合し、細長く形を変えながら再構築されていく。
そして――
高さの異なるクリスタルの鍵盤が整然と並んだ、美しい鍵盤楽器へと姿を変えた。
「これを使ってみて……『キーボード』よ」
エリアスの目が大きく見開かれた。
その瞳には、狂気にも似た興奮が宿っている。
彼はすぐさま、リゼルが作り出した『魔晶石キーボード』へと飛びついた。
十本の指が本能のまま鍵盤へと叩きつけられる。
そして生み出された電子音のような音色が、再びコードを刻み始めたリゼルの旋律と重なり――
完璧な調和を奏でた!
ギター、ベース、ドラム、そしてキーボード……。
四つ目のピースが加わったことで、三人の音楽に足りなかった最後の空白が、完全に埋められた。
四人の音が一つに溶け合う。
その音楽は、塔の壁を震わせ、外へと突き抜けていった。
曲が終わると、エリアスは肩で荒く息をしながら、涙を流していた。
「王女殿下! どうか……どうか私も、皆様と一緒にこの音楽を奏でさせてください!」
「私の研究は……このために生まれたのです!」
リゼルは満面の笑みを浮かべた。
しかし、返事をするより先に――
突然、部屋の扉が蹴破られた!
「そこまでだ!!」
貴族議会の衛兵が十人以上、武器を手にして一斉に部屋へ踏み込んできた。
彼らの顔には険しい表情が浮かんでいる。
「リゼル殿下!」
「貴族議会より、殿下に対してすべての『魔法楽器』の演奏を直ちに中止するよう、正式な命令が下されました!」
「それにもかかわらず、先ほどのような野蛮な音楽を王宮中に響かせたことは、重大な命令違反にあたります!」
「どうか大人しく命令に従っていただきますよう!」
ライラの顔から血の気が引いた。
アレンは剣を抜き、王女の前へ出て身を盾にする。
一方、エリアスは自分の魔晶石キーボードを両腕で抱きしめた。
まるで卵を守る母鶏のように。
「私を倒してからにしろ! この野蛮人どもめ!」
兵士たちに囲まれる中――
それでもリゼルは首を傾げた。
その青緑色の瞳には、反抗的な光が宿っている。
「もし、議会のおじさんたちが……」
「わたくしたちの音楽は野蛮で、くだらないものだって言うのなら……」
リゼルは口元をつり上げた。
そして、自分と同じバンドの三人へ視線を向ける。
「この楽器を全部持って……」
「近いうちに開かれる王宮の宴で、『デビューライブ』をやっちゃおうかしら?」
「そこで、あの人たちにも『音楽』っていうものを、ちゃんと知ってもらいましょう?」




