018 香袋
「受け取れない気持ちは分かります。でも、皆様はどうでしょうか? 私たちを祝福してくださいますか?」
春燕の言葉に周囲はざわついた。
そして、さらに言葉を続けた。
「翡雲様は、雲龍国のため、好きでもない化け物のような姫との婚約を迫られているのです。私は彼を助けたい。私は翡雲様を愛しているからです」
周りの人々は祝福の言葉をかけた。
「立場上、春燕様を拒絶したのだな」
「なんと似合いのお二人だ」
子ども達が、可愛らしい笑い声と共に手に持つ花を二人の周りに投げた。
祝福の拍手があちこちから聞こえ、春燕は微笑み再び香袋を渡そうとして、瞳を曇らせた。
「やだっ、香袋が汚れてしまいました。ごめんなさい、翡雲様、また作り直します」
先ほど転んだ時に手を怪我していた春燕は、血のついた香袋を見て泣きそうになっていた。
それを私達の隣で見ていたお爺さんは、泰然様に気付くと顔を綻ばせて言った。
「おっ、泰然様がいらっしゃるじゃないか。春燕様の傷を手当てしてくれないか?」
「えっ、俺ですか?」
私の肩を抱く泰然様の手に力がこもる。
「舞姫様の治療ができるなど、光栄なことですぞ」
「では、この傷薬を渡してください」
「いやいや、医者でもない私では畏れ多いことだ」
「しかし、私は今、急病人を介抱しているのだ」
お爺さんと推し問答していると、春燕の従者の方がすぐ横に来ていた。
「お医者様ですか? でしたら、春燕様の治療をお願いできませんか?」
従者が話しかけたことで、春燕もこちらへ視線を向けた。うつむき顔を隠し、泰然様の後ろに匿ってもらうようにして姿を隠すけれど、それが春燕の興味を余計に引いてしまわないかと、緊張が走る。
「あの方は具合でも悪いのかしら。良かったら、私の籠に──えっ」
春燕が驚きの声を上げた。
どうしたのかと思い目をやると、翡雲様が春燕の持っていた香袋を手に取り、反対の手で泰然様に、早く向こうへ行けと手で合図を送っていた。そして、笑顔を取り繕い春燕に言った。
「春燕様、香袋は作り直さなくてよい」
そして、懐から薬を出し春燕の手に握らせた。
「水で綺麗に洗い流してから塗るとよい」
春燕の頬が赤く染まっていく。
瞳は潤み、薬瓶をギュッと握ると顔を綻ばせていた。
「薬は必要なさそうだな。失礼する」
泰然様はお爺さんにそう言うと、私の身体がフワッと浮かび上がる。泰然様に横抱きにされたのだ。
『泰然、力持ち~』
胸に抱いたリウリーが茶化すように言って、私は恥ずかしくて扇で顔を隠したまま、馬車まで運ばれていった。
先ほど御者と会った医師の家を借り、泰然様は私に針を打ってくれて、少し身体が楽になった。
身体の中の気が乱れており、不調だったのだという。
家を出て馬車に乗ると、走り出す直前で翡雲も馬車に乗り込んできた。
そして馬車が走り出してすぐ、布から飛び出したリウリーを見ると、翡雲様は暗かった表情をパッと明るくさせた。
「おお、ウリ坊じゃないか!」
リウリーは翡雲様の胸に飛び込み、抱きしめられ撫でられていた。
「どこに行っていたのだ? また泰然に追い出されていたのか? よしよし」
「リウリーと、とても仲が良いのですね」
「リウリー?」
「はい、その子の名前です」
「そうか、リウリーか。よい名前だ。この子は私の癒しの存在なのだ。……あ、すまない。うるさくしてしまったな。休んでいなくて大丈夫か?」
「はい。泰然様が針を打ってくださいました。あの……先ほどはありがとうございました」
私を庇って春燕の気を引いてくれたのだろう。
「気にするな。珍しく泰然が困っていた。日頃の恩が少しは返せただろう。まさか君を抱き上げて走り出した時は驚いたが」
「ご迷惑をおかけいたしました」
「いや、いいのだ。私も屋敷に着いたら泰然に針をお願いしよう」
「具合が悪いのですか?」
「ああ、気分が悪い。雪蘭もあの舞姫の舞を見ただろう? あれのどこが舞姫だ」
「上手に見えましたが……」
「じょうず!? あんな舞、雪燕の足元にも及ばん」
「そうでしたか……」
そんなに違いがあるのだろうか。
自分の舞う姿をみたことがないから比べられない。
「前に話したと思うが、あの女なのだ。雪燕の悪評をばらまいたのは。顔に出ていたであろう、腐りきった性根の悪さが」
「はぁ……」
春燕には、いつも怖い顔で睨まれていたけれど、顔は美人だと思っていた。
翡雲様にはそんな風に見えているなんて、不思議でならなかった。
「あんな者より、雪蘭の方がもっと上手く舞えると思うぞ」
「えっ? どうして私が」
「舞を子供に教えていただろう? さっき見ていたのだ。身体の芯がしっかりしていて、伸ばした指先まで空間を捉えていた。泰然が扇を贈りたくなる気持ちがわかる」
「これは……」
今日来ている衣と同じ色の扇。さっき、泰然様が買ってきてくれた赤い龍の刺繍がされた薄絹の扇。とても美しくて私にはもったいないくらいだ。
「ん? リウリー?」
扇に見惚れていたら、リウリーが翡雲様の腰の辺りをフゴフゴと鼻でつついていて、紐が千切れるような音がした。
リウリーは、さっき春燕が贈った香袋を口にくわえ、床に叩きつけると、ドシドシと後ろ足で踏み始めた。
強めの甘い香りが馬車内に広がると、まだ屋敷につかないはずなのに、馬車が急に停車し、前の簾から泰然様が顔を出した。
「おい、なんだこの香りは? 息を止めろっ」
破れた香袋を見て、泰然様は後ろから馬車へ乗り込み、薬が入った壺の中身を出し、香袋を入れると蓋を閉じた。
リウリーが簾をバサバサと揺らし、空気を入れ換えてくれている。
そして、泰然様は翡雲様と距離を詰め、脈を診て、針を取り出した。
毒? でも、息を止めろと言われたから、喋らない方がいいだろう。
泰然様の処置を無言で見守っていると、リウリーが私のそばに寄り言った。
『媚薬よ』
「?」
『だから、び、や、く』
一文字ずつ言われたけれど、聞いたことのない名前だった。




