最終話
数年後──。
私は泰然様と、碧砂国の緑淵を訪れていた。
緑淵は、新しい皇帝により、碧砂国と雲龍国を結ぶ商いの町として大きく発展していた。
紅河からの商人が多く立ち寄り、人で賑わっている。
二つの町を行き来するには、死の谷を通らなければならないが、密仙国の女帝となった瑛麗様のお陰で誰でも通れるようになったのだ。
瑛麗様は毒草を取り払い谷を解放した。しかし、密仙国へ、誰もが行けるようになったわけではない。
山には毒草を食し根絶やしにした、毒牙を持つ狼が住むと噂を流し、誰も近づけなくさせたのだ。それから、密仙国内の不安を取り除くため、夜は睡眠効果のある霧を国の周りに散布しているという。
瑛麗様が狼を餌付けし、国の近くの林に囲い、夜の狼の徘徊はなくなり、山の猪たちも平穏に暮らしているそうだ。
碧砂国と雲龍国を結ぶ山道は、双方が協力し整備され、山の屋敷があった場所の近くには雲龍国の関所が設けられた。
泰然様は、春からその関所の監督官となり、山の屋敷を改装し、私達はそこに暮らすことになり、戻ってから数ヶ月が過ぎた。
都で、泰然様が継いだ安泰堂は、今は瑶琳に任せている。瑶琳は、泰然様が医院を再開し、そこを手伝う内に医療に興味を持ち、医術を身に着けていった。さすが泰然様の妹君、筋がよく、針の腕は泰然様を超えたと自負するまでに成長した。
「雪蘭様。いかがでしたか?」
沈家の屋敷の庭に、梓晴の元気な声が響いた。
「とても素敵だったわ」
私よりも背が高くなった梓晴は、私と泰然様に雨ごいの舞を披露してくれていた。
兄は即位した後、御神木が焼失し、龍神様の加護がなくなったこと、そして前皇后によって新たな御神木が芽吹いたことを国中に知らせた。
そして新しく皇后となった珊麗様が、新たな御神木の芽は、人々の祈りがあれば、強く成長するだろうと民に訴えかけ、自ら雨ごいの舞を披露し、皆で満月の夜に雨ごいの舞を踊ろうと呼びかけたのだ。
そして春燕は、また町々を巡り、子供達に舞を教えて回ったという。数年経った今、満月の晩は町娘達が雨ごいの舞を舞う習わしとなっていた。
半年ほど前までは、泰然様についていき、私も緑淵へ行き、梓晴と一緒に舞いを踊りに来ていた。
「そうか? まだまた雪蘭の足元にも及ばないな」
私の隣で、饅頭を頬張りつつ舞を眺めていた泰然様がそう言うと、梓晴は溜息混じりに彼へ目を向けた。
「はいはい。泰然様から観たら、私の舞なんて、そんなものですよね。──雪蘭様、今日の雨ごいの舞は、見ていかれるんですよね」
「ええ、もちろん。楽しみにしているわね」
「はい! 雪蘭様の分まで頑張ります」
夜になると満月の下、碧砂国のあちこちで町娘達が雨乞いの舞を披露する。それぞれが好きな衣を身に纏い、碧砂国の雨を、そして豊作を祈って舞い踊る。
緑淵では、大きな橋の上で舞が披露される。
以前、春燕の舞を見た場所で、泰然様と二人、並んで舞を眺めた。
「自分も舞いたいって顔だな」
「そう見えましたか?」
「ああ、だが、今は駄目だぞ?」
後ろからギュッと抱きしめられる。
泰然様は、山の屋敷に着いてから、ちょっと過保護な気がする。
「分かっています」
「それなら良い。御神木の話は聞いたか?」
「はい、瑠麗から珊麗様のお話を聞きました。御神木の新芽は、お兄様の背丈の倍くらいにまで成長したそうですね。これも民のお陰です」
「ああ、国を潤す力となるのは、この国の全ての民であろう」
お義母様は、今の碧砂国を空から見ているだろうか。
私とお兄様がそれぞれ婚儀を執り行った後、春燕の嫁ぎ先が決まると、お義母様はこの世を去った。
お父様と一緒に。
お義母様は、死の間際、密仙国へ帰りたいと父に願い出たそうだ。
しかし、父はそれを拒否した。
そうすれば、密仙国との契約の元、自分がどうなるのか、分かっていただろうに。
「さて、そろそろ屋敷へ戻ろう」
この時期の蓮池には、桃色の蓮が池じゅうに広がっている。
ここへ戻って来てから、池の真ん中の島へ行くための小舟を作った。
今日は、小舟に二人で乗り込み、満月によって真っ白に光る茸の道を横目に島を目指した。
私達は婚儀の後、蓮の咲く季節に秘薬作りを再開した。
その時も池には蓮の花が咲いていた。
蓮と光の道が美しくて、蓮が一面に咲く蓮池の真ん中で毎年二人で月を眺めようと、約束していた。
いつもは光の道を二人で歩いていたけれど、今日は小舟で。
島へ着くと、泰然様は枯れた巨木の空洞の中を調べた。
「ありましたか?」
「ああ、また今年も一つ、光る茸が生えている。それとこちらも順調だな」
枯れた巨木の空洞の真ん中には、新しい樹木が生えている。これは、この巨木の新しい芽から育ったものだ。
秘薬を与え、芽吹いた命。
碧砂国の御神木のように、この巨木もかつては神を宿す御神木だったという。
秘薬の元となる茸が生えるということは、まだ微かに御神木としての力が残っているのではないかと、珊麗様から教えていただき、秘薬を試したところ、数ヶ月後、新しい芽が生えてきたのだ。
それから数年、まだ私の背丈もないくらいだけど、精一杯、空へと枝を伸ばしている。
あと千年もすれば、秘薬のもととなる茸をいくつも生やす霊樹となるそうだ。
「千年後か……」
「きっと俺たちの子孫が、この木を守ってくれるだろう。そうだろう?」
泰然様は、そう言って私のお腹に手を当てた。その温かな手を、ポコっとお腹の中から蹴り上げられる。
「夜はいつも元気だな」
「そうね。来年はこの子も一緒に蓮を見られるのね」
私に宿った命は、今日も元気に父の手の温もりに応えてくれた。
「そうだな。……そうだ、明日には瑠麗が来ると聞いたぞ。しばらく屋敷に滞在するそうだ」
「でも、まだ麗花は小さいのに」
翡雲様と瑠麗の間には娘が生まれ、今はまだ二歳くらいだったはずだ。
「今、翡雲は仁峰様の所へ使節として行っているだろう? 瑠麗は、麗花を連れて数日前に都を立ち、二人とも、ここで落ち合うつもりらしい」
「それって……」
お腹の子が生まれるのはあと二週間後くらいと言われている。世話をしてくれる人は慧王殿下の屋敷から来てくれているけれど。
「翡雲はひと月ほど、滞在すると言っていた。瑠麗は何も言わないから、当分居座るつもりだろう。雪蘭は初産だから、みんな心配しているのだ。俺も、その方が安心だが……」
「ふふっ、昔みたいに、またここが賑やかになりそうですね」
「そうだな。ここが死の谷という名だったことが、遠い昔のようだな」
懐かしい。
生きることすら失しかけていた私は、泰然様と出会い、命を繋ぎ止めてもらい、自分で新しい自分として生きることを選んだ。
選ぶことができたのは、瑠麗や翡雲様、そして泰然様がいたから。
私は、私らしく生きることができたんだ。
「泰然様、私は今、とても幸せです」
「俺もだ」
「あ、今、星が流れました」
「ん? 本当だ。──母子ともに健康でありますように」
「母子だけですか? 泰然様も、健康てありますように」
そして、各国の平穏が、そしてこの幸せが、これからも末永く続きますように。
おわり
最後までお読みいただきありがとうございました!
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またどこかでお会いできたら嬉しいです。
春乃紅葉




