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1.「別料金が、発生します」

 メロスは激怒した。

 必ず、かの傍若無人の男を除かなければならないと決意した。

 メロスには本音と建前がわからぬ。

 メロスは、コンビニのバイトである。

 レジを打ち、バイト仲間と遊んで暮して来た。

 けれども金銭問題に関しては、人一倍に敏感であった。

 今日の夕方ごろメロスは街を出発し、電車に揺られ、一時間ほどして新宿歌舞伎町にやって来た。

 メロスには父も、母も無い。

 女房も無い。

 十六の、引きこもりの妹と二人暮らしだ。

 この妹は、大好きなゲームの主人公を、近々、花婿として迎えるなどと言い始めていた。

 そろそろ本格的になんとかしないと、社会復帰が難しくなるのである。

 メロスは、それゆえ、引きこもりの家族と対話する本やら、評判の良い心療内科やらを調べに、はるばる歌舞伎町にやって来たのだ。

 先ず、本を見つけて買い、予約を入れておいた医者に簡単に相談し、それから歌舞伎町の大路をぶらぶら歩いた。

 メロスには竹馬の友があった。

 芹菜定介せりなていすけである。

 今はこの新宿歌舞伎町で、フリーターをしている。

 その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。

 久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

 辺りはいつの間にか夜になり、繁華街は人でにぎわっていた。

 歩いているうちにメロスは、あるお店を見つけた。

 それは、風俗店であった。

 メロスは財布の中身を確認した。

 少しぐらいなら、大丈夫だろう。

 そう思ったメロスは、店に入って言った。


 店の女は、愛想が全くなかった。

 作ってくれた水割りは、水が多すぎてうまくない。

 それなのに、女はやたらと高い酒を勧めてきた。

 のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。

 近くを通った若いボーイをつかまえて、別料金はいくらかかるのか、説明では五千円ポッキリと言っていたはずだが、と質問した。

 若いボーイは、首を振って答えなかった。

 しばらくして中年のボーイに逢い、今度はもっと、語勢を強くして質問した。

 中年のボーイは答えなかった。

 メロスは両手で中年のボーイの身体をゆすぶって質問を重ねた。

 中年のボーイは、他の客ををはばかる低声で、わずか答えた。

「別料金が、発生します」

「なぜ発生するのだ」

「お酒は別料金になります。また、オプションなどもございますので」

「たくさんのお金が必要なのか」

「はい、はじめはお酒になります。それから、話すためにお金が。それから、キスにも。それから、個室使用料を。それから、マッサージ料を。それからも、オプションがたくさんございます」

「おどろいた。この店はぼったくりか」

「いいえ、ぼったくりではございませぬ。正当な料金だというのです。最初の五千円は入場料になります。このような店でたくさんお金が必要になるのは、当たり前のことです。ちなみにあなたは、現段階で、お会計は一万五千円になります」

 聞いて、メロスは激怒した。

「呆れた店だ。生かしておけぬ」

 メロスは、単純な男であった。

 女に作らせたまずい水割りを手に、のそのそと店の奥にはいって行った。

 たちまち彼は、黒服の怖い男たちに押さえつけられた。

 調べられて、メロスの財布に一万円しか入ってなかったので、騒ぎが大きくなってしまった。

 メロスは、店長の前に引き出された。

「たった一万円で何をするつもりであったか。言え!」

 店長の手尾は静かに、けれども威厳をもって問いつめた。

 その店長の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。

「客をぼったくりの店から救うのだ」とメロスは悪びれずに答えた。

「おまえがか?」

 店長がせせら笑った。

「仕方の無いやつだ。おまえには、この世界のことがわからないのだ」

「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。

「人の欲望に付け入ってぼったくるのは、最も恥ずべき悪徳だ。店長は、金儲けのことしか考えていない」

「金儲けが、正当なものだと、わたしに教えてくれたのは、お前たちだ。金以外は、あてにならない。人間は、もともと私欲のかたまりさ。いくらでも、儲けられる」

 店長は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。

「わしだって、老後が心配なのだが」

「なんの為の金儲けだ。自分の預金通帳を守る為か」

 こんどはメロスが嘲笑した。

「罪の無い人を騙して、何が商売だ」

「だまれ、貧乏人」

 店長は、さっと顔を挙げて言った。

「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、料金を踏み倒そうとしているのが分かる。おまえだって、今に、事務所に連れていかれてから、泣いて詫びたって聞かぬぞ」

「ああ、店長は利口だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと払う覚悟で居るのに。踏み倒しなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、支払いまでに三日間の猶予を与えて下さい。たった一人の妹に、社会復帰をさせてやりたいのです。三日のうちに、私は妹を学校に行かせ、必ず、ここへ帰って来ます」

「ばかな」と店長は、しわがれた声で低く笑った。

「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」

「そうです。帰って来るのです」

 メロスは必死で言い張った。

「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この街に芹菜定介(せりなていすけ)というフリーターがいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を事務所に連れて行って下さい。たのむ、そうして下さい」

 それを聞いて店長は、残虐な気持で、そっとほくそ笑んだ。

 生意気なことを言うわい。

 どうせ帰って来ないにきまっている。

 この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。

 そうして身代りの男を、三日目に事務所に連れて行ってやるのも気味がいい。

 人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男の預金通帳を空にしてやるのだ。

 世の中の、正直者とかいうやからにうんと見せつけてやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代わりを、事務所に連れていくぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの支払は、永遠にゆるしてやろうぞ」

「なに、何をおっしゃる」

「はは。金が大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」

 メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。

 ものも言いたくなくなった。

 竹馬の友、芹菜定介せりなていすけは、深夜、店に呼び出された。

 芹菜定介せりなていすけは昼夜逆転した生活をしていたから、簡単に来た。

 店長手尾の面前で、良き友と良き友は、二年ぶりで再開した。

 メロスは、友に一切の事情を語った。

 芹菜定介せりなていすけは無言でうなずき、メロスをひしと抱きしめた。

 芹菜定介は、あまり賢い男ではなかった。

 芹菜定介は店に残らされた。

 メロスは、すぐに出発した。

 初夏、満天の星である。

 メロスはその夜、一睡もせず、その足で急ぎに急いだ。

 財布を返してもらうのを忘れてしまっていたので、走るしかなかったのだ。

 家へ到着したのは、あくる日の午前、陽は既に高く昇って、近所の者たちはすでに出勤していた。

 メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに朝ごはんを作っていた。

 よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。

 そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。

「なんでも無い」

 メロスは無理に笑おうと努めた。

「新宿に用事を残して来た。またすぐ新宿に行かなければならぬ。明日、おまえを学校に連れていく。早いほうがいいだろう」

 妹は表情を曇らせた。

「うれしいか。新しい制服も買って来た。さあ、これから学校に電話して、先生に知らせて来い。明日は学校に行くと」

 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って妹の教科書を探し、カバンを探し、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。

 眼が覚めたのは夜だった。

 メロスは起きてすぐ、学校を訪ねた。

 そうして、学校に残っていた先生に、明日妹を学校に連れていくから、面倒を見てくれと伝えた。

 残業していた先生は驚き、それは私の担任の生徒ではありません、担任の先生に言って下さい、と答えた。

 メロスは、では担任に伝えておいてくれ、と更に押してたのんだ。

 先生も面倒くさがりであった。

 なかなか承諾してくれない。

 夜明けまで押し問答をつづけて、やっと、どうにか先生をなだめ、すかして、説き伏せた。

 こんなにしつこいなら、さっさと承諾しておけば良かった、と先生はぼやいた。

 妹の登校は、真昼に行われた。

 妹は不安そうであったが、夕方に帰ってくると、学校が楽しかったと笑顔で言った。

 メロスは喜び、しばらくは、店長とのあの約束をさえ忘れていた。

 その日は少し贅沢な夕飯を作り、妹と二人で楽しく食事をした。

 メロスは、一生このままここにいたい、と思った。

 妹と生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。

 ままならぬ事である。

 メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。

 あすの日没までには、まだ十分の時が在る。

 ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。

 少しでも永くこの家にぐずぐずと、とどまっていたかった。

 メロス程度の男にも、わずかばかりの貯金というものは在る。

 メロスは食事を終えると、布団にもぐり込んで、死んだように深く眠った。


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