5話 結末
時は遡って、マックスは基地で報告と書類提出を済ませたあと、全速力で屋敷に戻った。そして玄関の大扉を勢いよく開けて中に入った。マックスは息を整えてから落ち着いた口調で言い放った。
「あー、悪いがもうすぐ騎士団が襲撃してくる」
その第一声にクローディアとレディアは驚いて立ち上がった。
「ど、どういうことですか! 裏切ったのですか!」
クローディアが面白いように慌てて立ち上がった。それに反してレディアは落ち着き払って微笑みを浮かべていた。
「おかえりなさい、旦那様。どうやら私達の結婚生活は本当に二日で終わりそうですね」
レディアは注射器をマックスに見せた。
「それで、この血清はどうしましょうか」
「ああ、それなら基地で治療してもらったから直しておいてくれ」
「裏切ったのですか! どの面下げてここに戻って来たのです!?」
マックスの一言にクローディアが怒声を発した。最初に会った時の人形のような態度は見る影もない。
「落ち着きなさいクローディア。本当に裏切ったならここに戻ってきたりはしないわ。何があったの?」
「面倒な後輩に絡まれた。騎士団は例の行方不明の子供を名目に入ってくる」
「なら子供が見つかれば帰るの?」
「いや、何らかの手柄はいるだろう。そもそも子供が見つからない場合、いつまでも森をうろつかれることになる。それは避けたい」
レディアはニヤニヤしながらマックスを見た。
「何か作戦があるのでしょう? ねえ、旦那様」
その一言にマックスはニヤリと笑った。
「ああ、一芝居うつことになる」
「私は悲劇のヒロイン役かしら?」
「いいや、死体役だ」
レディアはつまらなそうに椅子に腰掛けた。
「続けて」
そしてマックスは計画を説明した。
※ ※ ※ ※ ※
「あああああああ! お嬢様! なんてことを!」
ゆっくりと、しかし大量の血がレディアから流れ出ていた。マックスは布で圧迫止血しながら、クローディアに指示を飛ばす。
「不味い、思ったより血の出が悪い。クローディア、血清と松明を持ってきてくれ」
「ちょっと! 本当にお嬢様は大丈夫なんでしょうね!」
涙目になりながらクローディアが血清を取り出し、打ち込む。そして松明に火をつけた。
「しょうがないだろ。死体に見せかけるには血を止める毒がいる。あいつは絶対死体を刺して確認するから」
レディアは自分の毒を自分に打っていた。血が止まる彼女の毒は死体に見せかける絶好の材料だった。しかしそれは自分を仮死状態に追い込むことになる。
「ヘビは冬眠するからなんとか戻って来れるだろうと思ったんだが」
松明で傷を焼切りながらマックスが呟いた。止血したのを確認してから、心臓マッサージに移る。
「それでも下半身を切断することはないでしょう!?」
「しょうがないだろ。十メートル近い長さの体に血清を効かせるには相当な量がいる。どうせ下の部分に大した臓器はないんだ。魔物の死亡報告にもただの蛇の死体を送るわけにはいかないし、一石二鳥だ」
彼女の華奢な体に心臓マッサージをするのは恐ろしく危険な気がした。マックスはいつ肋骨を折ってしまうか心配でならなかった。
さらに心配なのは人口呼吸だ。彼女の毒は胃に入る分には問題ないが、傷口などから直接入ると効果を発揮する。そして人口呼吸でむせて歯がぶつかるのは本当によくある事例なのだ。屋敷の血清はレディアに使った分で最後だし、基地にもう一度行くとなると、ラミアが生きていると教えるようなものだ。危険にも程がある。だが――
マックスはレディアの鼻をつまんで口づけし、息を送り込んだ。彼女が少しでも生き延びる確率が上がるのならいくらでもリスクを負う。マックスはレディアに死んでほしくなかった。それは無実の蜘蛛女を殺してしまった償いを彼女に重ねてしまっていたのかもしれない。だがそれ以上に彼女に惹かれるものがあった。
「ケホッ、ケホッ」
「うわ!」
マックスは咄嗟に顔をそらした。咬まれたら死ぬ。マックスはむせるレディアの背中をさすった。
「大丈夫か? 口の中は噛んでないか?」
「うぅ、最初に言うことがそれなのですか?」
レディアは恨めしそうにいった。そして自分の足を見た。血が抜けて青白くなった彼女の顔がさらに青く染まる。
「ああ、私の尻尾が……」
アイデンティティを奪われたレディアの瞳のふちから涙がこぼれ落ちる。事前に伝えていたこととは言え、やはりショックだったようだ。
「………………本当にすまない。償いは何でもする」
マックスは真摯に謝った。これまで仕事で何度も頭を下げて来たが、本気で心から謝ったのはこれが初めてだった。そもそもマックスが来なければ彼女たちは平和に暮らしていたのだ。いくら謝っても謝り足りない。
「……いいですよと言ってあげたいところですが、何でもすると言うなら悩みますね」
レディアが自らの頬に指を当てた。涙は最初の一滴以降流れていない。嘘泣きだったようだ。
「魔物の要素が無くなった以上自由に外に出られますね。とりあえず海にでも連れていって貰いましょうかね」
レディアは胸ポケットからメモ帳を取り出した。そこにはびっしりと予定が書かれている。
「そんなものいつ作ったんだ?」
「あなたが長々と説明しているときです。尻尾を切り落とすと聞いてからずっと考えてました」
レディアがマックスに微笑みかける。しかしマックスはどことなく違和感に気づいた。今までの彼女の自然な笑みではない。無理して笑っている。彼女はマックスに罪悪感を覚えさせないように明るく振る舞っていたのだった。それに気づいたマックスはレディアを優しく抱きしめた。
「…………………………ぅぅ」
堰を切ったようにレディアが泣き始める。マックスは彼女が泣き止むまで優しく抱きしめ続けた。
※ ※ ※ ※ ※
屋敷のある森とは別の森にある小さな教会で、マックスはタキシードを着てレディアの待つ部屋を訪ねた。ウエディングドレスを着たレディアは椅子の上でお行儀よく座っていた。
「似合いますか?」
純白の髪に純白のベールを被った彼女はまさしく天使のようだった。
「この上ないほど美しいよ。まるで神世の世界から舞い降りて来たかのようだ」
「あなたの言葉は何でも軽口に聞こえますね」
「好きとか愛してるとかそういう言葉は口に出すと途端に軽くなるものさ」
「なら行動で示してください」
そう言われマックスは頬に口づけした。レディアは不服そうにマックスを見る。
「口にしないのは牙が気になるからですか?」
「今日持ってきた血清は一つしかないからな。誓いのキスに取っておきたい」
「そういうリスクを乗り越えてこそ愛というのですよ」
「わかってるさ。でも何度もして命を張った行動か軽いと思われるのも嫌なんでね」
マックスが正式なプロポーズをしたときレディアは驚きながらも受け入れた。レディアはマックスが足のない女なんて放って他の女のところに行くと思っていたのだ。たいてい政略結婚なんて籍だけ入れて互いに好きにやる、そんなものだと思っていた。マックスの匂いを嗅いで本気だと確信したとき、レディアはマックスに口づけし、勢い余って口内を傷つけることになった。それ以来屋敷には常に血清が常備されている。
「そろそろ時間だ。行こうか」
「…………一つ聞きたいのですが」
「なんだ?」
「昔、下半身は蜘蛛女より私の方が好きだと言ってくれましたね。今の私にはそれがありません。それについてどう思いますか」
「ああ、君の一番好きなとこは性格だから問題ない」
「性格?」
「ああ、軽口に軽口で返してくれるところ」
それを聞いてレディアはクスリと笑った。
「なるほど、もし尻尾が好きだったら脱皮した皮をはめようと思っていたのですが処分して大丈夫そうですね」
「いやそれは俺が寝袋にしてるから残しておいてくれ。さ、行くぞ」
マックスはレディアを軽く持ち上げてお姫様抱っこした。そのまま式場に向かう。参列者は数名の騎士とクローディアくらいの小さな式だ。
「これも尻尾があった頃には出来なかったことだな」
「あら、初対面で私があなたをお姫様抱っこしてあげてたじゃないですか。尻尾で」
「はは、本当にそういうところが好きだよ」
「誓いの言葉は真剣にしてくださいね」
二人はその格好のまま式場へ向った。