4話 襲撃
マックスがレディアの友蛇である森に住む大量の蛇たちに見送られながら森を抜けると、こちらに向かってくる馬に気づいた。騎士だ。嫌な予感を感じ、馬を止める。
「ああ、隊長! お久しぶりです!」
馬から降りたアレクシアが笑顔で駆け寄ってくる。しかしその笑顔はどこか冷たい。マックスは寒気がした。
「俺はもう隊長じゃないぞ」
「私にとって隊長はあなただけです」
アレクシアは最後にあったときの不穏な空気を微塵もみせない。かつての部下だというのにマックスは一切安心出来なかった。レディアの屋敷にいたときの方がまだ安らいでいたくらいだった。
「そういえばお見合いはどうなりました?」
「ああ、無事終わったよ。今から婚約届を提出しにいくところだ」
「………………………………そうですか」
アレクシアの目から光が消える。マックスはなんとか話題をそらそうとした。
「ええっと、アレクシアはこんなとこまで何しにきたんだ?」
「隊長に会いにきました……というのは冗談で単なるフィールドワークです。隊長が南部との折衝を果たしてくれるようになった場合、この地域の情報が必要ですしね」
「そうか、上層部も気が早いな」
「それだけ隊長を信頼しているのでしょう。優秀ですから」
マックスはアレクシアにバレないように奥歯を噛み締めた。あまり騎士団にヘイスティング家の領地をうろつかれるのはよろしくない。レディアの正体がバレる可能性がある。
「それにしてもここの領主は酷いですね。一度もまともな政策を行っていません。その分税も低いようですが。どんな方でした?」
感情のない深緑の瞳でマックスを見つめる。まるで一挙一動を全て監視しているようだ。
「幼くして両親を失った可哀そうな人だよ。本人も病弱で外に出られないんだ。その割には手紙や立て看板を使ってうまくやっている。聡明な女性だ」
アレクシアがマックスに近づいた。マックスは不審に思ったが、避けるのもどうかと思い、動かなかった。アレクシアはにおいを嗅ぐようにマックスの近くで息を吸った。
「…………女性の臭いがします。初対面にしては随分近くで話していたのですね? 男性との接し方も聡明なのでしょうか」
アレクシアは皮肉るように言う。実際長時間密着していた為、こういう疑いは避けられない。
「…………俺の妻にそういう言いがかりは辞めろ」
マックスは静かな怒りをにじませた声で言った。今のアレクシアは部下ではないし、背中を預ける関係性ではない。下手に優しくしてつけ上がられると困る。それに毒の縛りがあるとはいえ自分を信じて任せたレディアを馬鹿にされるのは不愉快だった。
「……失礼しました」
アレクシアは驚いたように目を見開いた。そしてすぐに頭を下げた。しかし目には憎悪の色がある。
「憶測で人を揶揄するのは騎士として品位をかく行いだ。控えるように」
「はい」
「悪いが俺はこれで失礼するぞ」
「はい」
マックスは自分の馬に戻ろうと背中を向けた。その瞬間アレクシアに肩を掴まれた。
「どうした?」
アレクシアはマックスの首筋の痣を食い入るようにみている。レディアに咬まれた場所だ。
「この傷はなんです?」
「うん? ああ、蛇に咬まれたんだ」
「……………………変わった蛇ですね。まるで人間に咬まれたようです」
マックスの鼓動が早まる。
「この森は蛇が多いからな。変な奴が混じっていたのかもしれない」
「そうですね。一度しっかり見てもらったほうがいいでしょう。基地には解毒薬や血清がたくさんありますから。たしか魔物化した蛇の毒でもなんとかなるはずです」
アレクシアが無感情な声で言った。目は猜疑に満ちている。
「そうさせてもらうよ。礼をいう」
マックスは足早に馬に乗った。手綱を握ったとき、マックスは手汗をびっちょりかいていたのに気づいた。そんなマックスのさり際にアレクシアが声をかけた。
「そういえば最近この森で子供が神隠しにあったとか。その魔物のせいかもしれませんね」
マックスは何も返さずに立ち去った。そんなマックスをアレクシアは見えなくなるまで見送っていた。
※ ※ ※ ※ ※
数時間後、アレクシア率いる騎士団はヘイスティング家の屋敷がある森を強襲していた。マックスが蜘蛛女を殺したときと同様、行方不明になった子供を救うという名目だ。
アレクシアは森に潜む蛇を徹底的に殺していった。それは純粋な八つ当たりであった。アレクシアが上層部に問い合わせたところ、政略結婚はマックスから提案したものだと発覚したのだ。そしてその流れで騎士を辞めると言い出したのだという。
つまりアレクシアは捨てられたのだ。アレクシアとの約束を反故にするためにわざわざ政略結婚までして。マックスはそこまで自分のことを嫌っていたのだろうか。戦場で利用するために甘い言葉で自分を誑かせて、最後に捨てる。最低の男だ。そう考えるとマックスの領地を荒らして回るのは気分が良かった。
「アレクシア隊長! 行方不明の子供が発見されました! 足を挫いて迷子になっていたようです」
部下の報告にアレクシアは聞こえないように舌打ちした。もう終わりだなんて。
「そう、ならその子を保護して帰還しなさい。私は本当に魔物がいないか確認していくわ」
「はっ!」
部下が後片付けをして去っていく。アレクシアは近寄ってきた蛇の頭を踏みつぶし、森の奥に進んだ。
「?」
少しして森の中に屋敷が現れた。ツタの絡まった図体だけ大きな屋敷。そしてその近くに見覚えのある後ろ姿を見つけた。
マックスだ。彼は血濡れた剣を握り、何かの死体の前に立っていた。アレクシアは慎重に近づいた。死体は数メートルはあろう巨大な白い蛇だった。
「…………ああ、アレクシアか。どうした?」
「行方不明の子供の捜索です。もう終わりましたが。隊長こそ何をしているのですか?」
マックスは蛇を指差した。蛇の頭の側には布が被せられている。
「魔物の討伐だよ。新しい家の近くで神隠しなんて起きていたら危険だからね。思ったより大物だったが」
「……なるほど。そういえば蛇に咬まれた件はどうなりました?」
「基地で治療してもらった。特に問題ないとのことだ」
「それは良かった……ん?」
アレクシアは蛇にかぶせた布が僅かに動いたのに気づいた。気のせいかもしれない。だがそういうことを放置すると痛い目にあうというマックスの教えを思い出した。
「……これ、死んでますか?」
「ああ、確かめてみるか?」
「はい」
アレクシアは蛇の死体の腹を剣で割いた。血が重力に従ってどろりと流れ落ちた。生きていれば噴水のように吹き出すはずだ。間違いなく死んでいる。しかし何かが引っかかった。
「…………昔いっしょに殺人事件を調査したとき、死体に布を被せるのは後悔の証だと教えてくださいましたね。どうしてこれに布を被せているのです」
マックスが目を見開く。しかしすぐに真顔に戻した。
「……汚れがつかないようにだ。この地域では白蛇は土地の神として崇拝されているらしい。念の為弔いはしっかりした方がいいと思ってな」
アレクシアは布をめくり上げた。純白の髪をした女性の上半身があった。安らかな顔をして死んでいる。
「ラミアですか。なるほど、美しい死骸ですね。隊長の傷はこの魔物によるものですか? どおりで人が噛んだような傷だったわけです」
「…………ああ、最初はただの村娘と思ってな。油断した」
アレクシアの心のなかに嫉妬の炎が上がる。魔物風情が私の隊長と何をしていたのだろう。しかしもう死んでいる。踏みつけてやりたいところだったが、隊長の前だったので我慢した。
「念の為言っておきますが弔いなんてして大丈夫なんですか? 土地神の信仰は禁止されていますよ」
「多少は地域住民に配慮せねばならんのでな。政治の面倒なところだ。まあ死体を弔うだけなら王も許してくれるだろう」
騎士として土地宗教を処罰するにはあまりに合理性を欠いた行いが必要になる。生贄や多額の費用をかけた儀式などだ。マックスはそういうルールに精通しており、それを知っていたアレクシアはこれ以上の追求をしなかった。
「変わりましたね、隊長。すっかりお役人です」
「ああ、そうだな。全く面倒なことだ。ああ、そうだ。基地に魔物は死んだと報告しておいてくれないか?」
「それには死体が必要ですよ。これを持っていきますか?」
「ううむ、それは困るな。弔いが出来なくなってしまう。まあ、後で送るとする」
「かしこまりました」
アレクシアはこれ以上マックスを見ていると愛していた頃の記憶を思い出すと感じ、立ち去った。アレクシアが見えなくなってから、マックスは死体をみて考えこむように眉間に指をついた。その後、決心したように剣を握り直す。そして――
――ラミアの上半身と下半身を一刀両断にした。
続きます