3話 駆け引き
マックスは自分の装備を確認した。腰に隠したナイフが一本。ただの見合いだと思っていたため大した武器はない。レディアはまっすぐマックスを睨んでいる。
「相変わらずお美しいですね。そんなに見つめられると惚れてしまいそうだ」
「あら、先ほどまでは一度もそんなことを言って下さらなかったというのに急にどうしたのです?」
「レディア様も先ほどまでなら頬を染めて恥じらってくださっていたじゃないですか」
皮肉と軽口で時間を稼ぎながら、マックスは必死にこの状況から抜け出す方法を考えていた。レディアとの距離は2メートルほど。少し近づけば手が届く。だが彼女がどういう能力を持っているか何一つ把握していない。
「質問なのですがどうして私の過去を深掘りしたのですか? あんなことをしなければ和やかにお茶をして終わりだったというのに」
「あなたのお茶には魔物の首が使われるのかしら?」
「あはは、いい返答ですね。そういう返事ができる女性は好きですよ」
「私は今まであった殿方の中であなたが一番好きですよ」
「今まであった男性の中で一番嫌いな人も私なんでしょう? たしか男の人にあったのは初めてだとか言っていましたしね」
「そこまで覚えてくださっていたとは思いませんでした。今まで長々と話して来た中で、初めて心に響きましたよ」
「それなら私の質問に答えて欲しいものですね」
レディアが視線を逸らす。碧の瞳に逡巡の色が映る。
「それは……純粋な興味からです。似たような境遇なもので」
レディアが魔物であることはわかっている。そしてマックス同様、彼女もマックスを恐れていた。だが自分のことで手一杯なマックスはそんなことに気付く余裕はなかった。
「あなたも生贄にささげられてここに? それとも村長に騙されて奴隷商に売り払らわれたほうですか?」
「そのどちらでもないほうですよ」
「なるほど、まさか魔物に同情したわけではではないでしょうし、ということは私ですかね? その足は油断して魔物に食われたのですか?」
「見たいですか?」
レディアがニッコリと歯を見せて笑った。鋭い牙が光る。
「っ!」
自分の置かれている状況を悟ったマックスの背筋が凍る。彼女は魔物だ。上半身にその形質が見えない以上、下半身が異形なのだろう。鋭い牙、見えない足、異様に巨大なベッド。導き出される答えは一つ。
マックスは急いで飛びのこうとした。しかし力を入れた足は確かな足場を踏めず沈み込んだ。そしてその足を縄で縛るように何かにつかまれた。激しい動きにマットレスのシーツが破れ、彼女の下半身が現れる。
彼女はラミアだった。数メートルはゆうに超える巨大な尻尾が彼女の腰の下から生えていた。象牙色で艶やかなうろこがあるその体は傷一つない。なめらかな皮膚はその美しさとは対象的な圧倒的な力でマックスを持ち上げる。
尻尾がマックスを逆さ吊りにし、マックスの腰からナイフが落ちた。レディアはそのナイフを拾ってマックスにひらひらと振った。
「こんな危険なものを婦女の寝台に持ち込むなんていけない人ですね」
レディアがいたずらっぽく笑う。
「実際は寝台なんかじゃなくて君の膝の上に乗っていたわけか」
「残念ながら膝枕はできないのです。尻尾しかないので」
「十分だよ。今度は抱き枕にでもしたいね」
レディアはマックスを逆さ吊りにしたまま、尻尾をくるくるとマックスの体に巻き付けていった。そしてマックスが首から下を動かせなくした後、数センチのところまで顔を近づけた
「さて、どうしてあげましょうか」
今のマックスが動かせるのは口だけだ。
「煮るなり焼くなり好きにしろよ」
「ふふ、人型の魔物は人を食べませんよ? でも生かして返すわけにはいきませんね」
「それは新手のプロポーズのかなにかか? 一生一緒にいて下さい的な」
「そう受け取ってくださって構いませんよ? あなたの一生はもうすぐ終わるでしょうけど」
尻尾がギリギリとマックスを絞めつける。レディアの拘束は解けそうにない。血流が止まって視界がぼやけていく。
「最後に聞きたいことがあります。さっきの蜘蛛女の話です。なぜ目失うことになるほど油断したのです?」
「大した理由ではないよ。君と同じくらい蜘蛛女が美しくて見惚れただけだよ。だから今もこんなことになってる」
「死の間際にも軽口を言うのですね」
締め付けが強くなる。暗くなっていく視界の中でレディアはどこか寂しそうな顔をしていた。しかしマックスにはどうすることもできない。
「………………」
「お待ちください!! お嬢様!!」
ふっと拘束が弱まる。乱入してきたのはメイドのクローディアだった。クローディアは先程の無表情ではなく、焦った顔でレディアのもとに駆けよっていく。
「どうしたの? クローディア」
「お嬢様、屋敷内で元騎士が死んだとあれば必ず騎士団が調査に来ます。まして見合いの最中となれば確実にお嬢様は聴取のために法廷に召喚されます。そうなってしまってはおしまいです」
「この人が生きて帰っても直接騎士団が乗り込んでくるでしょう。もう見てしまったのですから」
レディアは自分の尻尾を指差した。
「ですが!!」
レディアとクローディアが口論する。血が流れ始めてマックスはようやくまともな思考回路を取り戻した。
「俺が喋らなければいい」
二人がマックスのほうを見る。クローディアは一縷の希望を見出した目をしていたが、レディアの瞳は猜疑の色が濃かった。
「もともと政略結婚の話で来ていたんだ。そのまま書類上の結婚をしてしまえばいい。俺は騎士を辞めたしせいぜい南部のパイプ役をすますくらいだ。別にわざわざたまたま遭遇した魔物を密告する利益はない。もう給金も出ないしな」
「ただ貴族の結婚となると国に届け出が必要でしょう?」
クローディアが問いかける。そのとおりだとマックスがうなずいた。
「ああ、森を抜けて少しすると騎士団の基地がある。そこに届け出ることになるな」
「そしてそれに乗じてあなたは逃げると」
レディアが半目でマックスを見た。マックスは首をすくめた。
「私が代わりに行くことは出来ないのですか?」
クローディアが二人の顔を見る。屋敷に誰もいなかった以上レディアが彼女の唯一の主人だ。
「無理だな。俺は騎士を辞める条件として政略結婚の話を突きつけられたんだ。報告はさせられるだろう」
レディアは論外とばかりに鼻を鳴らした。
「あなたが一方的に有利な取引ですね。私達にメリットがない」
「そうでもない。俺は君たちに死なれると困るんだ。結婚出来なければまた戦場に戻すと上に言われてるんでな。それはヘイスティング家が消えてもダメだ。ある程度は君のサインが入った書類が必要になる。それがないと南部の貴族連中は見もしない」
顎に手をついてレディアが考え込んだ。マックスも騎士に戻るのはごめんだった。
「一つだけ聞かせて下さい。なぜ政略結婚を受けてまで騎士を辞めたかったのです? 普通の見合いでなく王家に不満を持つ南部の貴族と結婚するなんて戦場に出るのと変わらないくらい背中に気をつけなければならない生活ですよ?」
「お淑やかな貴族令嬢が好きなんだ」
レディアがふたたび顔を近づける。マックスはヘビに睨まれたカエルの気分になった。
「人間が思っている以上にヘビの感覚は鋭いのですよ? 緊張や鼓動の速さ、漂う汗のにおいで嘘かどうかはわかります」
「なら俺の提案が嘘ではないこともわかるはずだ」
「ええ、でも基地についたらあなたは心変わりするかもしれない。あなたが騎士を辞めたいというはっきりした理由を聞きたいのです。おそらくはあの蜘蛛女の件なのでしょう?」
「……クソッ」
マックスが目をそらす。しかし彼女は無言でマックスを見つめ続けた。マックスは観念したように語り始めた。
「……生贄がただの人身売買だったことは話したか? だが売り渡し先がお上と仲の良い商人でな、手が出せなかった。出撃しておいて何の手柄もなく帰るのは騎士団の沽券に関わる。だから魔物に責任を取らせることにした。それで洞窟に入ったが彼女は本当に強くてな、正攻法で勝つには相当の被害が出ることがわかった。だから子供を人質に使って取引で彼女の首を落とした。見た目も心も半分は人間である彼女の子供をだ。だがその子供も結局は魔物だ。生かしてはおけないからことが終わったらすぐに処分した。だが首だけになっても彼女はかろうじて生きていて、一部始終を見ていた。彼女の悲痛な叫びと憎悪の瞳に俺は固まって、彼女の決死の一撃を受けた。帰ったあと、少年に姉は帰って来ないと行ったときに嘘つきと罵られた。全く持ってそのとおりだ。それから俺はあの蜘蛛と子どもたちを夢に見るようになった。それで魔物と人の区別がつかなくなった」
「その割には私を殺そうとしてましたよね?」
レディアがマックスのナイフをちらつかせる。マックスは首をすくめた。
「悪人は人間でも殺せる」
「あら、私は悪人なのかしら」
レディアがニヤリと笑い、つられてマックスも笑った。
「今はまだ未遂だな。一生牢屋につなぐくらいで許してやろう」
「ふふ、新手のプロポーズですか?」
「そうだ、受けてくれれば俺は届け出を出して帰ってくる。それからはハネムーンだな。海にでもいくか」
「届け出にはどのくらいかかりますか?」
「往復で一日もかからない」
「そうですか、ならそのプロポーズを受けましょう。では誓いのキスと行きましょうか」
そう言ってレディアはマックスを両手でつつみこんだ。そして顔をよせて――首筋に噛み付いた。鋭い牙が突き刺さる。
「ッ!」
顔を上げたレディアは口の端から垂れる血を拭った。そして小悪魔のように微笑んだ。
「あなたに毒を打ちました。二日程度であなたの体は麻痺し、血が固まって血流が滞り死にます。ですが約束を果たしてここに帰ってくれば血清を渡しましょう」
レディアはようやくマックスの拘束を解いた。マックスが首筋を擦る。咬まれたところは軽い痣になっていた。
「最低二日間は君は俺のものというわけか。いいね」
「もっと続くかはあなた次第です。クローディア? 書類を持ってきて下さい」
クローディアが部屋から出ていく。それを見送ったレディアはマックスの顔を見上げた。
「個人的な質問なのですが、その蜘蛛女と私、どちらが綺麗でしたか?」
その質問にマックスは思い返すように眉間に指をおいた。
「…………君の前だから君と言っておこう」
その回答にレディアは笑みを浮かべたまま尻尾をマックスの足に巻きつけた。碧の瞳がねめつけるようにマックスを捉える。
「妬いてるのか?」
「知りませんでしたか? ヘビは嫉妬の象徴なのですよ」
「安心しろ。彼女は死んでいるし子持ちの人妻だ。それに――」
「それに?」
「下半身は君の方が断然綺麗だ」
「……ならゆるしてあげましょう」
レディアは嬉しそうにうなずき、尻尾の先を揺らした。




