032 東の塔の魔女
朝から日本でメールでの商品発注や商品の搬入などを済ませた俺は、いま異世界商会の休憩室にいる。
イスに座り一息つくと、昨日のリットの話を思い出していた。
なるべくなら、リットの希望を叶えてやりたい。子供が自ら学びたいと言っているのだ。
でも王立魔法学院への入学には、かなりの難問が待ち構えていた。
チリンチリン
「おはようございます~」
店の扉が開き、誰かが入って来た。思考を中断し店舗を覗くと、そこにはミランダさんが立っていた。
「あ、ミランダさん!おはようございます」
「今日からお世話になります」
そう言ったミランダさんの瞳は潤んでいて、口から漏れる吐息が何か甘いものに感じられる。
ああ、ミランダさん、僕はもう、僕はもう……。
「タクマ殿!」
俺の名を呼ぶ声と同時に、脇腹に激痛が走る。
「ぐはぁっ!」
肺の空気が一気に吐き出された。何事かと脇腹をおさえながら見ると、どうやらセシルさんの肘打ちが炸裂したようだ。
ちょ、ちょっと普段から力強いんだから、加減してよ。
「タクマ殿、これを」
そう言ってセシルさんが昨日マジックショップで買った眼鏡を差し出してくる。
俺はまだまだ痛みが引かない脇腹をさすりながら、そのマジックアイテムを受け取った。
「大袈裟ですね」
「本当に痛いんだよ」
「それは失礼いたしました」
謝罪の言葉とは裏腹に、表情にはまるで謝っている要素が無い。もう、みんなミランダさん絡みは怖いよ。
「そ、それはなんでしょうか?」
ミランダさんがマジックアイテムの眼鏡に興味をしめす。
「あ、あのこれ、魅力を低下させる眼鏡なんです」
「魅力低下ですか?」
「はい、失礼かと思ったのですが、ミランダさんにどうかなと思いまして」
「私にですか?」
「俺は別にいらないと思うんですけど、なんか店のみんなが着けさせろ、着けさせろって……」
「タクマ殿……」
セシルさんが何か殺気を出して睨んできた。なんだよ、本当のことじゃないか。
「と、とりあえず、無駄なアクシデントを防ぐ意味も込めて、この眼鏡を掛けていただくというのは、いかがでしょうか?」
「分かりました。店主様が着けろとおっしゃるなら」
そう言ってミランダさんは眼鏡ごと俺の手を取った。その手のぬくもりは、なんともいえない感触があり、全てを包み込む温かさだった。
いま俺が言うなら何でも着けると言ったのか?ということは、あんなのや、あんな所に穴の開いたのとかも着けるというのか!?
「タクマ殿ぉ~」
「痛い痛い!」
気が付くと、セシルさんが俺の背中をつねっていた。なにすんだと睨むと、100倍の迫力で睨み返された。
このままでは青あざが、いくつ出来るか分からない。
「で、では掛けてみてください」
「はい」
ミランダさんが眼鏡を掛けた。
「おおっ!」
「いかがですか?」
凄い。ミランダさんが掛けると、いっそう効果が分かる。
今なら普通の奇麗なお姉さんと話している程度に感じるのだ。
「お、お似合いですよ」
「よかった、フフフ」
おお、大丈夫だ。今までだったらここでミランダさんの魅力に吸い込まれているところだが、何ともないぞ。
「これで文句は無いよね?」
「わ、私は別に最初から文句などありませんが」
嘘をつくんじゃない!
文句の無い奴が、あばら骨逝く寸前まで肘打ち喰らわすかっての。
「おはようございます」
「おはようだニャ~!」
セシルさんと睨み合っていると、店にリサとミーナも出勤してきた。
「あ、眼鏡かけたんですね」
「なかなか似合ってるニャ~」
昨日と打って変わって、ふたりは気さくにミランダさんに話しかけている。
なんなんだよ、もう。これもマジックアイテム効果なのか?
「今日からお世話になります。どうかよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。では、さっそくお仕事の説明しますね」
「お願いします」
そう言ってリサによるミランダさんの研修がスタートした。
とりあえず問題無く受け入れられたということで、いいよね?
「セシルさん、俺はちょっと出るんで、店のことお願いしてもいいですか?」
「お任せください。命に代えましても」
いつものセシルさんに戻っている。ほんと女心は分からないよ。
俺はみんなに店を任せ、リットの件で出かけることにした。
「王立魔法学院への伝手ですか?」
俺は魔法関係ならここだろうと、昨日訪れたばかりのマジックショップへと来ていた。ここのアイテムの効果は、つい先ほど実証済みだ。
というか魔法関係なんて、この場所以外に知らないのだが。
「知り合いの子が王立魔法学院に入学したいと言っているのですが、どうも紹介や推薦が無いと入れないそうなんです」
「その話は知ってますが、あいにくうちには学院との接点は無いものでして……」
「そうですか……」
「お力になれなくて、すいません」
「それでは知り合いとか、知り合いの知り合いとかには、いませんかね?」
「すいませんが……」
「そ、それじゃあ、もう噂話とか都市伝説の類でもよろしいのですが、何かありませんか?」
俺は必死だった。とにかくここ以外に王立魔法学院へのパイプは、現状まったく無いのだ。
「う、噂話と言われましても……」
「そうですよね……」
「噂ではないのですが、本当にそんなていどの話でよろしければ……」
「な、なんでしょうか!?」
「東の塔の魔女の話は、ごぞんじですか?」
「東の塔の魔女……ですか?」
「はい。城の外堀のさらに外に、ぽつんと建つ東の塔があるのですが、そこは魔法薬の実験室になってるんです」
「魔法薬……実験ですか?」
「はい。回復や解毒など、様々な魔法薬を研究しているのですが、そこの責任者がエマ・エルーデン様です」
「エルーデンということは?」
「はい。王族の方です。エルーデン王の姪っ子にあたります」
「お、王族ですか!?」
「本来なら王族と我々庶民は会うことも許されないのですが、エマ様は少々変わり者でして」
「か、変わり者ですか?」
「はい。とにかく魔法薬に全てを掛けていて、王族の潤沢な資金をいいことに実験に明け暮れている毎日なんです」
なるほど。魔法薬オタクというか研究オタクというか、そういう感じの人なんだな。
「なので、城の敷地外の塔へと追いやられているという話なのです」
「そのエマ様が王立魔法学院を紹介してくれるのでしょうか?」
「エマ様は王立魔法学院の卒業生でもあるので、充分すぎる資格はあります。ですが、王族の上にかなりの変わり者だという話ですので、そもそもお会いできてもちゃんとお話しが通じるかも疑問なのですが」
「めちゃめちゃ難関じゃないですか」
「だから、噂話ていどの話と言ったのです。ですが王族の推薦なら、確実に魔法学院には入学できるはずです」
なるほど、確かに普通だったら選択肢にも入れない話ではある。しかし、今の俺には他に選択肢は無いのである。
今はこの王族のエマ様にかけるしかない。
「ありがとうございました。とりあえず東の塔へ行ってみます」
「ほ、本気ですか?」
「は、はい」
マジックショップの女性の驚きに心が折れそうになるが、俺は引きつった笑顔でお礼を言って店を出た。
「商人ギルド所属の異世界商会、店主のタクマと申します」
東の塔の周りは3メートルほどの壁に囲まれていて、唯一の入り口であるゲートには白い鎧に身を包んだ騎士がふたり立っていた。
さすが王族の警備だけあって、騎士の鎧はピカピカで美しいものがあった。持っている槍まで、ピカピカのシルバーなのだ。
俺が名乗って商人ギルドの会員証を見せると、騎士は軽くいちべつして門を開けてくれた。
「入っていいぞ」
「え?」
チェックとか、それだけでいいの?
「なんだ?」
「い、いえ、失礼します」
俺は騎士の気が変わらないうちに、塔の敷地内へと入った。
囲いの中は意外と広く、サッカーグラウンド2面分は軽くありそうだ。しかし、その敷地は芝生に覆われているだけで、塔以外は何も無い。
そんな広い敷地のちょうど中央に、その塔はそびえ建っている。10階建てビルぐらいの高さだろうか。
石で造られた古いが頑丈そうな塔である。ただ王族のものにしては、なんの飾り気も無いが。
塔に近づくと、入り口の両脇にも騎士がふたり立っていた。
最終チェックが厳しいのかと、入り口の前で止まり様子を窺うが、騎士は何も言ってこない。
「あ、あのぉ~」
「なんだ?入らないのか?」
「いいんですか?」
「用があるんだろ?」
「は、はい」
「じゃあ早く入れ。そこに立ってたら邪魔だ」
「あ、すいません……」
俺はこうして、東の塔に何の苦労も無く入ることが出来た。
「お、お邪魔しま~す……」
俺は恐る恐る、塔の中へと歩みを進める。
入ったところは広いホールのようになっており、ほとんど何も置いていない。
ただ、ひとつ巨大な真四角の石の塊が、ホールの中央に存在した。それもかなり大きく3メートル近くはありそうだ。
とりあえず、他には何もないので、その巨大な石に近づいてみる。
「うわっ!」
近付いた瞬間、石が突然、動き出したのだ。
「へ、変形した」
そう、その石の塊は、一瞬で人型に変形していた。こ、これは、ゴーレムとかいう奴じゃないのか?
「何か御用でしょうか?」
そのゴーレムが、俺に話しかけてきた。少しこもった感情の無い機械的な声だ。
「あ、あのエマ様にお会いしたくて来たのですが……」
「エマ様はお忙しいので、誰ともお会いできません」
「そ、そのぉ、相談もありまして……」
「エマ様はお忙しいので、誰の相談にものれません」
冷たい。声質だけでなく、言ってる内容までもが冷たいぞ。
このゴーレムは、機械的に来訪者を追い返すのが使命だな。
「あの、手ぶらでは何ですので、エマ様に贈り物も持って来たのですが……」
こうなったら物で釣るしかない。
「…………それは何でしょうか?」
あ、ちょっと喰いついた。
「と、とても奇麗な鏡と、透明度の高いグラスです」
俺は急いで店の商品である鏡とグラスを取り出して、ゴーレムに見せた。
するとゴーレムの目が怪しく光り出したかと思うと、俺の手にした鏡とグラスをレーザーのようなものを出して照らし出した。
もしかしたら、チェックしているのだろうか?
しばらくすると、ゴーレムの目の光が消える。
「どうぞ、奥の階段を最上部までお上がりください」
ゴーレムがそう言うと、背後の鉄格子が重い金属音を立てて上がり出した。その後ろには上へと続く階段がある。
どうやら、ゴーレムチェックをクリアーしたようだ。いいぞ、うちの商品!
「し、失礼しま~す……」
俺はゴーレムの横をすり抜けて、奥の階段を上がり始める。
「ふぅ~」
塔だけに階段は意外と長く上へ上へと続いている。不思議なのは、途中に階層や扉などが、ひとつも無いことだ。
もしかしたら、あるのかもしれないが、少なくともこの階段を上がっている途中には、まだ何も無かった。
そろそろしんどくなったところで、ようやく階段はひとつの扉へと行きついた。
コンコン
軽くその扉をノックする。
「入って」
中から女性の声がする。東の塔の魔女か。
俺は意を決して、そっと扉を開けて中に入った。
「おお……」
その部屋の中には、何に使うか分からない色々な道具が所狭しと置いてあった。
さらに奥には、ぐつぐつと何かが煮立っている釜が何個もある。そのため部屋の中は、なかなかの熱気と湿度だ。
そして部屋の中央に置かれた巨大な机に、ひとりの女性が座っていた。研究者の俺のイメージ通り、机の上は色々な物や書類などでゴチャゴチャだ。
その女性は真っ赤なローブを目深にかぶっているので、まったく容姿は分からない。たぶん彼女がエマ様だとは思うのだが。
「は、初めまして。私は……」
「ふん!ふん!」
その女性は鼻息荒く、俺に手招きをする。それに従い、恐る恐る近付いた。
「んっ!」
女性が俺に手を差し出す。
「え?」
「なんか面白いの持って来たんでしょ!」
「ああ、はい」
俺は慌ててグラスと鏡を出して手渡した。
ローブの女性はそれをひったくるように取ると、鏡はいちべつしただけで机の上に放り出した。
「このガラスのカップいいね!」
しかしグラスのほうには、もの凄い興味を持ったようだ。
「ありがとうございます。うちの自慢の商品ですので」
「これは自慢していいよ。ガラスでこの透明度は初めて見たよ。それにかなり頑丈そうだ」
「はい。多少、雑に扱っても割れることはありません」
「いいね、いいね!熱湯は!?熱湯入れたりしても大丈夫!?」
「あ、いえ。熱湯を入れたら割れてしまいます」
「なんだよ~!ダメじゃ~ん!」
そ、そう言われても……。
「熱湯を入れたいのですか?」
「ちょっとこっち来て!」
そう言ってロープの女性は俺の手を引っ張って、実験台の前に連れて行く。
「これで魔法薬を調合してるんだけど、鉄の容器なんで中が見えない」
なるほど。ブリキ缶のようなものが理科の実験のように火に掛っている。いや、火ではなく青白い火の球のようだ。これも魔法なのだろうか?
「でも中が見えるガラスだと、簡単に割れてしまう。なので鉄の容器を使っているが、高度の調合をするには薬の色の変化を見逃せないのだ」
「なるほど。火に掛けながら中の薬の色の変化が確認できる、透明な容器が必要ということですね」
「その通り!君、名前は?」
「い、異世界商会という店をやっております、タクマと申します」
「異世界商会!?いい名前じゃないか!」
「あ、ありがとうございます」
「私はエマだ。で、タクマよ。これ、なんとかならんか?」
たぶん耐熱ガラスなら、用意できるとは思うけど……。
「心当たりはございます」
「おおっ!」
「熱に強いガラスはあるのですが、ただエマ様のご要望の温度に耐えられるかは分かりませんが」
「タクマ!いいぞいいぞタクマ!」
エマ様が興奮してピョンピョン跳ねだした。
「何かあるかもしれないと言ったのは、お前が初めてだ!どの商人も熱に強いガラスなど存在しないとぬかしやがって!」
「わ、私の物も、試してみないと分かりませんが……」
「それでいいのだ!タクマよ。実験とは試すことなのだ!なにもしないで出来ないと言う奴はクソだ!」
エマ様が興奮して俺の目の前に顔を近づける。よく見ると顔は可愛い……と思う。
「わ、分かりました。それではさっそく心当たりを当たって来ますので」
「期待しているぞ!」
こうして俺は耐熱ガラスを求め、自分の世界へと急いで戻ることにしたのだった。




