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022 アーレセン家の悲劇

「兄は王宮勤めの騎士でした。担当は晩餐会などの警護を主としており、それを仕切っていたのがエルモア伯爵でした」

 セシルさんは少しづつ、ゆっくりと話し始めた。

「ある日、兄はエルモア伯爵が食器などの納品業者から賄賂を受け取っていたのを目撃してしまいました。晩餐会などに使う食器類は全て毎年入れ替えるのです。ですので、もの凄いお金が動く場所でもありました」

 権力と寄り添うように不正や賄賂が存在するのは、俺の世界でもよくある話だ。こういうところは異世界でも変わらないらしい。

「兄はそれを正すため、エルモア伯爵に直接申し立てたのです。不正を止めるよう説得しました」

 また、ずいぶんと馬鹿正直な行動に出たものだ、と失礼ながら思ってしまった。

「兄はエルモア伯爵を罰したい訳ではなく、ただ不正を止めて欲しかっただけなのです。しかし、もちろん兄の言葉は受け入れられず、その後、賄賂の件も伯爵によって闇へと葬られました」

 まぁそうなるだろうなぁとは思っていました。

「それから兄に対する伯爵の嫌がらせが始まりました。最初はちょっとした連絡ミスなどだったのですが、しだいに嫌がらせはエスカレートし、毒を盛られて1週間寝込んでしまったこともありました」

 陰険だな。兄さんは、とんでもない奴を敵にしてしまったわけだ。

「兄は誰にも相談せず、耐え続けました。両親に心配を掛けたくはなかったでしょうし、他の人に迷惑が掛かる恐れもあったからだと思います」

 兄さんは本当に真面目なんだったのが分かるよ。

「そしてついに、あの日が訪れました」

 そう言ってセシルさんは、しばらく下を向いて黙ってしまった。そして何かを覚悟したのか、顔を上げて話し出した。

「伯爵は兄に、妹である私を妾にすると言い出しました。いや、妾ではなく性奴隷にすると、ハッキリ言ったそうです」

「なっ……」

「次の瞬間、兄は剣を抜いて伯爵に斬りかかっていました。もちろん周りの警護の騎士に止められ伯爵はまったくの無傷でしたが、兄は翌日、何の事情聴取もされないまま処刑されました」

 衝撃的だった。俺の世界ではまず起こらないだろう、本当に遠い世界の話だ。

「そして、我がアーレセン家は取り潰しになり騎士の称号はもちろんのこと、全ての財産も没収となりました」

 気が付くとセシルさんの目から涙がこぼれ落ちていた。しかし、セシルさんの口調は普段と変わらず、淡々と話を続けるのだった。

「前の屋敷を引き払う日の朝、両親の部屋へ行くと、父と母は毒を飲んで自害していました。そして残されたのが私と弟というわけです」

「た、大変だったんですね……」

 正直なんと声を掛けていいのか分からず、そんな陳腐なセリフしか出て来なかった。

 とにかく別世界の俺には衝撃的過ぎる話の内容だったのだ。

「ここからが重要な話になります」

 セシルさんが今まで以上に真剣な表情で、姿勢を正して俺を見てくる。

 正直、俺は逃げたい気分になったが、逃げる勇気さえ無いのも事実だ。俺も姿勢を正し、セシルさん向き合った。

「エルモア伯爵の嫌がらせは、いまだに続いています」

「えっ!?」

「そのおかげで私は今まで、ろくな仕事につけませんでした。弟も学校でいじめにあっていますが、負けずに懸命に通っています」

 なんと粘着質な伯爵だ。兄の死で怒りが収まるどころか、今度は一族へと向けられているというのか?

「なので、あなたのお店で働かせいただけるというのは非常にありがたいお話なのですが、私が務めればお店に迷惑が掛かる可能性が高いのです。いえ、絶対に迷惑が掛かります」

 そういうことだったのか。伯爵の力は確かに強大だし、その粘着質は病的でもある。みんなセシルさんを雇うのに二の足を踏むのも分かるというものだ。

「そういうわけですので、この話は無かったということで」

「え?」

 俺から断るのはまだしも、まさかセシルさんから断ってくるとは思わなかった。俺は思わず口を開けてセシルさんを見ていた。

「あなたのご提案は本当に嬉しかったです。ですが、ご迷惑をかける訳にはいきません」

「で、ですが……」

「お気持ちだけ、ありがたく受け取らせていただきます」

 そう言ってセシルさんは深々と俺に頭を下げた。

 確かにセシルさんを雇えば、かなりの面倒事になることは確実だろう。下手すれば店を潰される可能性もある。

 それにもう俺ひとりの問題ではないのだ。店にはリサやミーナもいるのだ。彼女たちも危険にさらすことになるだろう。これが一番、大きな問題といえた。

 ここで俺が小さな正義感によってセシルさんを雇ったとしても、いったい俺に何が出来るというのか。貴族の恐ろしさは、もう充分わかってきている。そんな恐ろしい力を持った貴族に対抗できる力を俺は持ってはいないのだ。

 そう俺はただ目の前の美しい女性に、カッコイイところを見せたいだけなんじゃないだろうか?ただの自己満足だけで、多くの人を巻き込み不幸にすることはとても出来ない。

 ここは申し訳ないが、セシルさんを雇うことは諦めるしかない。

 ただ頭を下げて謝り、ここを出て行くしか俺には出来ないのだ。

「事情は分かりました。あなたの言う通り、私には伯爵に対抗する知恵と力はありません。情けない話ですが、あなただけでなく店や従業員を守る自信も無いのです」

「当然です。あなたの判断は決して間違っていません」

「お力になれず、本当に申し訳ありません」

「いえ、お声を掛けていただけただけで、本当に嬉しかったですので」

「本当に……すいません……」

 情けなくて泣きそうになった。泣きたいのはセシルさんのほうなのに、俺はなんてダメ人間なのだろうか。

「し、失礼します」

 俺は逃げるようにして、セシルさんの家をあとにするしかなかった。


「俺の存在は、なんなのだろうか?」

 俺は商人通りを自分の店へと歩きながら、色々と考えていた。

 生きるって何なのか、なんていう哲学的なことを考えているわけではない。

 ただ、俺は不思議なめぐり合わせで、いまこうして異世界に存在している。普通では有り得ないことが起きているのだ。

 そんな特殊なことが起きているのには、何か特別な訳があるのではないかと、ずっと思っていたのだ。

 いまこうして異世界で商人となり、大金を手にし出している。それにも意味があり、また、その金の使い方にも意味がなくてはいけないような気がして仕方がないのだ。

 先ほどのセシルさんの話を聞き、自分の無力さを自覚させられ、よけいに俺の存在理由というか、俺がやるべきことが何なのかということを考えるようになってしまった。

 今まで、そんな難しいことを考えたことが無かっただけに、なんか思考がグルグルと廻り頭から煙が出そうになる。

 でもセシルさんという現実を見せつけられ、もう見なかったことにして逃げることも出来なくなってしまっている。

 ただ楽しく商売をして暮らすという考えでいたが、とても楽しくない現実を知ってしまったいま、ただバカみたいに楽しいことだけ見て生活するということはもう出来ないのだ。

「でも出来ないことは出来ないしな……」

 自分がやれることが何なのか、ずっと考えていた。意外と何も無いことに愕然とさせられる。

 いや、出来ないのではなく、しないだけなのかもしれない。

 ただ少し勇気や決意が足らないだけのことなのか……。

「ん?」

 気が付くと、自分の店をまた通り過ぎそうになっていた。

 俺は慌てて異世界商会の扉を開く。


「あっ!お帰りなさい!」

「またどっかで遊んでたニャ~!」

「ごめんごめん」

 今日も店は、なかなかの客の入りのようで、カウンターには数人の列が出来ている。

 俺は急いでエプロンをつけると、ふたりの手伝いを始める。

 いつものことだが今日もふたりは一生懸命に働いてくれている。やはり、このふたりのことも守らなくてはいけないのだ。それが何よりも優先されなければならない。

 俺はまたグルグルと答えの無いかもしれないことを考えだしながら、店の仕事を淡々とこなしていた。

「やっと終わったニャ~!」

 今日最後の客を送り出すと、ミーナが大きく伸びをした。その仕草がやはり猫っぽく、彼女が獣人なのを思い出す。

 気が付くと閉店時間を過ぎていた。考え事をしていたため、一瞬で時間が経ってしまった感覚だ。

「それでは掃除始めましょう!」

 リサがミーナと掃除道具を取りに行こうとする。

「ふたりとも、ちょっといいかな?」

 そんなふたりを俺は呼び止めた。店の仕事をしながら、ずっと考えてたことを彼女たちに相談しようと思う。

「どうしたのかニャ、店長?」

「ちょっと相談があるんだけど、このあと時間あるかな?」

「大丈夫ですが」

 リサは俺の言葉に少し不安そうになっている。俺の表情が重いからかもしれない。

「いいけど、お腹空いちゃうかもニャ~」

「分かったよ。話が終わったら、ご飯ごちそうするから」

「それなら大丈夫ニャ~!」

 ミーナはさすがの通常営業である。

 とりあえず店の戸締りだけして、俺たちは休憩室のイスに座った。


「今日、ある女性にあったんだ」

 俺はふたりに今日あったことを話した。セシルさんの個人的な話も多く含まれるので、どこまで話すか悩んだが、彼女たちの将来にも関わることなので、なるべく全部話すことにした。

「酷い……」

「貴族はそんなもんニャ……」

 話を聞いたふたりの反応は、思っていた通りのものだった。

 ふたりとも貴族に対しては、やはりあまり良い印象は持っていないようだ。当たり前といえば当たり前なのだが。

「それで、ここからは相談なんだけど……俺はセシルさんを雇おうと思っているんだ」

「いいんじゃないでしょうか」

「賛成だニャ~」

「いや、ただ問題なのは彼女を雇えば伯爵の嫌がらせが、この店にも来るということなんだ」

「それは仕方ないと思います」

 リサは覚悟の上だという感じだ。本当に子供なんだろうか?

「貴族の嫌がらせは今に始まったことじゃないのニャ~」

 ミーナは獣人だけに、貴族にはかなり嫌な思いをしてきているのだろう。

「俺はこの店よりも、ふたりが心配なんだよ」

「私たちは大丈夫ですよ。それに騎士だったセシルさんが来てくれれば、怖くありません」

「そうだニャ~、騎士は凄く強いのニャ」

 ミーナは、うんうんと頷いている。貴族と違い、騎士の評判は良いようだ。

「無理はしないでくれ。嫌だったら店を辞めてくれても構わないんだ。もちろんお詫びとして1年分の給与を支払うから」

「私たちを辞めさせたいんですか?」

「見損なったニャ、店長」

 リサが悲しそうに俺を見てくる。ミーナは頬を膨らませてブゥたれていた。

「いや、そうじゃないんだ。俺としてはふたりとセシルさんとの4人で店をやることが理想なんだ。でも、ふたりを俺の我儘で危険な目に会わせたくはないんだよ」

「私は辞めません。それに貴族から逃げるのも嫌です」

 意外にもリサがハッキリと俺に、そう宣言した。彼女の貴族に対する嫌悪感は、普通の人たちのそれとは違う強さを感じる。もしかしたら、過去に何かあったのかもしれない。

「商品はどんどん売れてきてるニャ。これからもっと売れて、もっともっと面白くなるのに、いま追い出すのは酷いと思うニャ」

「ふたりともありがとう。これからも一緒に店をやってくれるのは凄く嬉しいよ。でも、もう一度だけ、よーく考えて欲しいんだ。本当に危険なことになる可能性が大きいからね」

「私は辞めません」

「みんなでもっともっと頑張ればいいんだニャ~!」

 ふたりは嬉しいことを言ってくれる。本当に良い娘たちだ。だからこそ、心配でならないのだ。

 こんな良い娘たちを俺の我儘に巻き込んでいいのかと、改めて思ってしまう。

「本当に……本当にいいんだね?」

「はい」

「しつこいニャ、店長。そんな男はもてないニャ」

 そう言ってミーナはまた頬を膨らませていた。

「ありがとう、ふたりとも。それじゃあセシルさんをこの店に迎えるということで、いいね?」

「はい」

「賛成ニャ~!」

 ふたりはセシルさんを店で雇うことに賛成してくれた。

 心の優しいふたりなので、どこかで反対はしないだろうと期待していたズルいところもあったのかもしれない。

 それにふたりは、まだまだ伯爵の脅威を軽く考えている可能性もある。だから反対をしなかったのかもしれない。

 ただ今は、素直にふたりの好意に甘えるつもりだ。

 だからと言って、ただ黙って伯爵から攻撃に耐えるつもりはない。

 俺としても最大限にやれることをやるつもりなのだ。それに色々と考えていることもあった。

 俺なりに覚悟をした上での決断なのだ。

 しかし、まず俺が最初にやるべきことは、セシルさんを迎えに行くことだった。


「ということで店のみんなの同意も得ることが出来ました。ですのでセシルさん。うちの店でぜひ働いてください」

「えっ!?し、しかし、先ほどご説明したように私を雇うと……」

「話は重々理解しております。それを理解した上で、うちで働いていただきたいとお願いしているのです。条件は先ほど話した通りですが、いかがでしょうか?」

「わ、私としては問題無いのですが……」

「では、契約成立ということで、よろしくお願いいたします。さっそく今から店のほうへ引っ越されませんか?」

「いいのですか?」

「ここにまだ居たいというのであれば別ですが」

「い、いえ。正直、ここはすぐにでも出たいので」

「では、行きますか?」

「わ、分かりました。ですが、もう少ししたら弟も戻ると思いますので」

「それでは私は先に店に戻っておりますので、あとで弟さんとお越しください。私の店、異世界商会は商人通りのちょうど中央あたりの南側にありますので」

「わ、分かりました。荷物も少ないので、すぐに伺えると思います」

「では、またあとで」

 俺はそう言ってセシルさんの家を出た。急いで店に戻って歓迎の準備をしないといけない。

「本当に!」

 俺の後ろからセシルさんの大きな声が聞こえる。

「本当によろしいのですかっ!?」

 俺はゆっくり振り返ると、セシルさんに大声で答えた。

「みんな待ってますので、早く来てくださいね!」

 俺がそう言うと、セシルさんはその場に泣き崩れてしまったのだった。

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