014 貴族の買い物
営業4日目。
朝9時過ぎ、いつものように扉をくぐって異世界へとやって来た。
地下室から上へあがると、裏庭から作業音が聞こえてくる。
「もう始まってるのか?」
鍵を開けて裏庭に出ると、ドワーフの親方に指示をされている若いスタッフたちがキビキビと動いていた。
「お、おはようございます。早いですね」
「おう!のって来たんでな。こういう時は早いとこ仕上げてぇんだよ」
「こちらとしても助かります」
「ああ、あと昨日、言ってた棒っ立てな。あれ10個ほど作って店の前に置いといたんで、あとで確認してくれ」
「も、もうですか!?」
「なーに、ついでに作った簡単な物だよ」
「あ、ありがとうございます」
さっそく俺はポールを確認するために店の前に行ってみる。
そこには親方の言った通り、木で出来た10個のポールが並んでいた。しかも、ニスのようなものまで塗られていて、渋い茶色になっている。
本当に親方の仕事は、早くて丁寧だ。今後、何かあった時は、あの親方に頼もうと思うのだった。
「それ何ですか?」
店に出勤して来たリサが、ポールを見て不思議そうにしている。
「これにロープを張って、お客さんの列を作るんだよ。まだ気が早いけどね」
「凄いですね、それ!店長って色々と凄いことを思いつくんですね」
「ハハハ、そう?」
全部、俺の世界での知識で、俺が考えたわけじゃないんだけどね。なんか恥ずかしい。
「ちょっとロープを買って来るから、店のほうよろしくね」
「分かりました」
こうして開店準備をリサに任せて、俺はロープを買いに行くことにした。
ロープはこの世界でも珍しいものではないので、雑貨店ですぐ購入することが出来た。10メートルほどの物を5本買ったので、たぶんこれで足りるだろうとは思う。
店に戻り、さっそくロープをポールに巻いてみる。親方がポールの上のほうに彫ってくれた溝はいい感じで、これだったら巻いたロープが簡単にずれることもないようだ。
とりあえず、客もいないのにポールを出しても仕方ないので、店の脇へと片付けておく。
「店長、あれなんニャ?」
店に入るとミーナがポールのことを聞いてきた。
「いつかお客さんがたくさん来て行列が出来た時に、あのポールとロープでお客さんの列を作るんだよ」
「なるほどニャ……さすが店長ニャ、抜かりなしニャ」
そう言ってミーナはニヤリと笑うのだった。自分の予言を信じたと解釈したのか、とても満足気だ。俺はまだ半信半疑なんだけどね。
「じゃあ、そろそろ開店しようか」
「はい!」
「はいニャ!」
俺はいつものように、扉の外にかけてある札を『閉店』から『開店』へとひっくり返した。
「いいですかな?」
するとすぐにひとりの男が声を掛けてきた。清潔感のある初老の男性で、服は黒とグレーのタキシードのような服だ。これが執事さんだろうか?
「ああ、開店しましたので、どうぞどうぞ」
そう言って執事の男性を店へ招き入れる。
「いらっしゃいませ!」
その執事らしき人は、年を感じさせない背筋をピンと伸ばした姿勢で、スタスタと機敏にカウンターへと歩いていった。まったく年齢を感じさせない動きだ。
「こちらにガラスのカップと、鏡があると聞いて来たのですが?」
「はい、こちらになります」
リサがサンプルを示すと、それらを手に取り納得したかのように大きく頷いた。
「では、このガラスのカップを20個と、鏡を大小それぞれ10枚づついただけますでしょうか?」
「わ、分かりました」
「毎度ありニャ~!」
なかなか売れない鏡のまとめ注文に、俺とリサは驚いたがミーナは素直に喜んでいた。
リサは慌てて注文をそろえだす。注文が多いので、俺も助けに入った。
「お代の合計は金貨32枚になります」
金貨32枚!?日本円で約448万円じゃないか!自分で設定した金額だが、思わず驚いてしまった。
「それではこれを」
執事さんはお金を渡すと、持参した大きな布袋に入れた商品を受け取った。
「割れ物で意外と重いので、お気を付けください」
「了解しました」
そう言って執事さんは重い荷物を軽々と持ち、良い姿勢のまま帰って行ったのだった。
「ありがとうございましたニャ~!」
いきなりの高額な売り上げにミーナは上機嫌だった。ただ俺は彼女ほど、まだ実感は沸いていないのだが。
それにしても、まさか高価な鏡をまとめ買いする人が現れるとは思わなかった。
きっとどこかの金持ち貴族の使いに違いない。
チリンチリン
「どうも~」
「あっ!いらっしゃいませ!」
次に店にやって来たのは、赤いグリフォン亭の女の子だった。
「また、塩を買いに来ました」
「ありがとうございます」
我が店のお客様第一号である大切な女の子なので、俺が直接、対応することにした。
「お父さんが、これからは店で使う塩は全部ここの物にするって言いだして」
そう言って、女の子は大き目の布の袋を出してきた。
「今日は、まとめて5000ガロル欲しいんだけど」
「おお、そんなにですか?ありがとうございます」
「ここの塩が凄い安いおかげで料理にたっぷり使えるって、お父さん喜んじゃって」
「それは良かったです」
「うちの料理、もっと美味しくなるはずだから、また来てね」
「はい近いうちに、また伺います」
「さすが店長ニャ!」
ミーナがよだれを垂らしそうな顔で俺を見てくる。連れて行くとは言ってないぞ。
「それじゃまた~」
「ありがとうございました」
赤いグリフォン亭の女の子は、満足そうに塩の袋を抱えて帰って行った。
いまの娘ほどではないにしろ、だんだんとひとりのお客さんが買う塩の量が増えてきている。こんな感じで一般庶民に広がって行ってくれれば、価格を安くしたかいがあるというものだ。
そんな感じで本日も順調にお客さんの来店数は伸びている。リサとミーナも慣れた感じで客さばきもさまになって来た。
と、店の前に一台の馬車が止まったようだ。普通の馬車と違って、何か豪華な造りに見える。
チリンチリン
しばらくして、ひとりの男が店に入って来た。
服は見るからに派手で金が掛かった豪華な感じだ。髪もクルクルと奇麗にセットされており、その太々しい態度と表情から金持ちだということは嫌でも分かった。
「い、いらっしゃいませ」
さすがのリサも緊張しているようだ。
「…………」
ミーナを見ると黙ってうつむき加減になり、リサの後ろに隠れるようにしている。こんな怯えたようなミーナを見るのは初めてだった。
「フンッ!なんの飾り気も無い、陳腐な店だな」
その男は店内を見回して、小バカにした態度でカウンターの前までやって来た。陳腐で悪かったな。確かに内装は何もしてないけどさ。
「しかし、確かにこの商品は一級品だな」
そう言ってサンプルのグラスを勝手に取ると、品定めするような目付きでジロジロと見出した。
次に鏡を手に取ると、そこに写る自分の顔をしげしげと眺めている。表情もうっとりとしており、とてもキモイ。
「この商品も素晴らしい」
そう言うと鏡をカウンターに置いて、リサに向き直る。
「おい、娘。このガラスのカップを30に、鏡を20と小さいほうも20だ」
「りょ、了解いたしました」
リサが急いで商品を用意する。しかしミーナは、体が固まったようにまったく動かない。
「ミーナ?」
「あ……て、手伝いますニャ」
俺の声に慌ててミーナも商品を用意しようとした。すると金持ち風の男が声を荒げる。
「おい獣人!私の商品に汚い毛などつけるなよ!」
「は、はいニャ」
「ちょ、ちょっと……」
なんだその言い方は?金持ちだからって調子にのってんのか?
「なにかな?君は?」
「ここの店主です」
「ほぉ君が?若いな。いや、素晴らしい商品だな、感心したよ」
「あ、ありがとうございます」
思わずお礼を言ってしまった。いやいや、いま言いたいのは、そんなことじゃない。
「うちのミーナに何か問題でも?」
「ん?獣人のことかね?別に問題はないが……?」
この金持ちは、俺が何に怒っているのかまったく分からないようだ。本当にポカンとしている。それがまたムカついた。
「君も若くて大変だろう?店もまだまだ小さい。だから獣人なんかを使うのは、決して恥ずかしいことではない。気にするな」
こ、こいつは何を言ってるんだ?
「いや、そうじゃなくって……」
「て、店長!だ、大丈夫ニャ」
ミーナが俺の服を後ろから軽く引っ張って止めてきた。ミーナを見ると涙目で少し体が震えている。
「お、お待ちどうさまでした!お代は全部で金貨63枚になります!」
さらにリサが俺の前に割って入り、カウンターに商品の入った大きな布袋を置いた。どうやら、ふたりとも俺の怒りを察したらしい。
「うむ。おいっ!」
金持ち風の男が声を掛けると、使用人と思われる男たちが店に入って来て、とっとと袋を持って行ってしまった。そして執事と思われる男が現われ、金貨をカウンターの上に積んでいく。63枚あるから、けっこうな量だ。
「ありがとうございました!」
リサが頭を下げると、男は何事も無かったように、満足気に店を出て行った。ミーナは俺の服を掴んだまま、後ろで小さく震えている。
「な、なんなんだよ、あれ?」
怒りが収まらない俺に、リサが苦笑いを浮かべて教えてくれた。
「貴族様ですから」
貴族?金持ちだとは思ったが、あれが貴族というやつか。だからと言って、ミーナへの態度が正当化されるわけじゃない。
「貴族様は獣人嫌いが多いから、しょうがないニャ」
「ミーナ……」
「殴られなかっただけ、マシなのニャ」
「そ、そんな……」
この世界が貴族社会なのは何となく聞いていたが、そもそも貴族社会の仕組みなど、俺はまったく分かっていない。
イメージとしては昔の日本の大名に、庶民はまったく頭が上がらないという感じに近いのだろうか?
とにかく今の平和で一見平等な現代社会に生きている俺には、想像もつかないことだった。
「でもたくさん買ってくださったし、よかったじゃないですか」
リサが気を遣って、その場の重い空気を何とかしようとしているのが分かる。こんな小さな子にも気を使わせるようでは、俺は商人失格だな。
ここは下手な正義感など出して、貴族に楯突くのは得策ではないだろう。下手すれば簡単に殺される可能性もあるし、ミーナ自身に直接迷惑が掛かるのは目に見えていた。
何かするにしても、もう少しこの世界のことを理解してから動くべきだろう。軽率な行動は慎むべきだ。
悔しいが、自分の力がまだ大したこと無いということも、もっと自覚するべきなのだ。
「そ、そうだな!こんな感じならミーナと約束した売り上げ金貨100枚なんて、すぐクリアーしそうだよな」
「ニャ?」
お?少しミーナが反応したぞ。
「まいったなぁ。肉食べ放題なんか約束するんじゃなかったなぁ~」
「肉ニャ……」
少しミーナが元気を取り戻して来たようだ。目がだんだん丸く大きくなってきた。
「そうですよミーナさん。肉食べ放題のために、頑張りましょう!」
リサも俺に乗っかって盛り上げてくれる。
「そうだニャ。肉をいっぱい食べるんだニャ~!」
さすがミーナだ。早くも元気を取り戻し、いつものミーナに戻ったようだ。
その後、いつもの状態を取り戻した店は、通常営業を続けていた。いや、いつもよりまた若干、客数は増えている感じだ。
良い調子で塩は売り続け、少しづつではあるが砂糖も売れてきてはいる。鏡は相変わらず、貴族や金持ちが来ないと売れていないが。
なんてことを考えていると、また店の前に豪華の馬車が止まるのが見えた。思わずミーナが俺の後ろへと移動する。
「大丈夫。俺が対応するから」
チリンチリン
扉のベルを大きく鳴らして、予想通り貴族らしい派手で高価そうな服に身を包んだ男が入ってきた。後ろから使用人と思われる若者も3人ほど続いてくる。
「どけ平民!」
貴族と思われる男が、カウンターにいたお客さんを怒鳴りつけた。
注意しようと思ったが、お客さんは慣れているのか何も言わずにスッと横に避難した。
「リサとミーナで、そちらのお客さんの対応をして。ここは俺がやるから」
「わ、分かりました」
ふたりをカウンターの端へ避難したお客さんの対応へ当たらせ、俺は貴族の前に移動した。
「ここか?美しいガラスのカップと鏡を売っているという店は?」
「はい。こちらになります」
怒りが俺の中で一周回ってしまったのか、いつも以上に落ち着いていて、気が付くとむしろ丁寧に対応していた。
貴族は俺が差し出した商品サンプルを乱暴にひったくると、上から目線で商品を観察しだした。
「ウ~ム、確かに素晴らしいデキだ」
その貴族は鏡を見出すと、しばらく自分の顔に見とれているようだった。貴族というのはナルシストだらけのようだ。ブサイクなのに。
「お前がここの店主か?」
「はい」
「先ほど、下品な貴族が買いに来たはずだが?」
「下品ではありませんが、先ほどお越しいただきました」
「フン!で、そいつは、いくつ買って行った?」
「このグラスを30個に鏡を大小それぞれ20枚づつでございますが」
「フン!ガスティーヌ家のバカ息子が!たかが男爵の分際で、調子にのりおって!」
なんか勝手に怒ってるんですけど。ていうか、さっきの貴族はガスティーヌ男爵ってことか。まぁ覚えなくてもいいかな?
「では私は、このグラスとやらを60個に、鏡を大小40枚づつもらおうか」
「そ、そんなにですか?」
「なんだ?在庫が無いとは言わせないぞ」
「い、いえ、ありますので」
「フン!では早く用意せい」
こいつ、もし在庫が無かったら暴れたんだろうな。なんか貴族には、あんまり関わりたくないや。
俺はこいつを早く帰したいので、急いで商品を用意しだした。すると自分のお客さんの対応を終えたリサとミーナも手伝いに入る。
俺たちが巾着袋に入れた商品をカウンターに置いていくと、貴族の使用人たちが持参した大きな袋へと詰めていく。
そんなに時間は掛かっていないが、貴族はもうイライラと体を小刻みに動かしていた。だったら自分で買い物に来なきゃいいのに。
そんな態度の貴族であったが、ミーナを見ても何も言わなかった。獣人嫌いは貴族によって個人差があるようだ。
「お待たせしました。グラスを60個に鏡の大きいものが40枚と小さなものも40枚で、締めて金貨……」
合計金額を見て、俺は思わず絶句してしまった。慌ててもう一度、計算をし直したが、やはり合計額は間違っていなかった。
「どうした?」
「い、いえ。お代のほう金貨126枚になります」
「うむ。おい」
そう言うと執事風の男が現われ、金貨をカウンターの上に並べ出した。貴族のお金の管理は執事がやるものなのだろうか?
カウンターの上に積まれていく金貨をミーナが目をまん丸にして凝視している。しっぽは残像が見えそうなくらいに激しく振られている。
俺はミーナを後ろに下げて、リサとふたりで金貨を数えることにした。とにかく貴族を早く帰したいのだ。
「ありがとうございました~」
俺たちが頭を下げると貴族は何も言わず、でかい態度で使用人たちを引き連れ帰って行った。
「フゥ~……貴族って、みんなあんな感じなの?」
「だいたいそうですね」
リサは苦笑しながら、仕方がないという諦めの感じだ。
「もっと酷いのもいるニャ~」
ミーナも俺以上に、疲労している様子だ。獣人というだけで、今までも色々と嫌なこともあったんだろうな。
チリンチリン
するといっぺんに5人ほどのお客さんが入って来た。どうやら貴族を避けていたらしい。みんなの貴族への対応を見ると、俺の貴族へ抱いた嫌な印象はあまり間違っていないようだ。
しかし高価な鏡を買ってくれているのは、今のところほとんど貴族関係の人間だ。実際、今の貴族の売り上げは日本円で1764万円にものぼる。
ビジネスとしては粗利のばかでかい鏡を売るのが良いのだが、あの貴族連中を相手にするというのが、どうも嫌な気分だった。
いや、商売で客の好き嫌いなど言ってはいけないのかもしれない。
「商人失格なのかなぁ?」
「ニャ?」
俺の独り言にミーナが反応した。少し心配そうな表情をしている。
「いや、何でもないよ。ちょっと裏庭の工事見てくるから」
「はいニャ!」
俺は気分を変えるために、裏庭のドワーフの親方へ会いに行った。




