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 なぜ、人は虚構の物語に心をひかれるのだろう。

 僕は昔からそのことに興味があった。

 小説や漫画、アニメや映画……言うまでもないことだけど、その内容は全て架空の出来事だ。物語の中で登場人物が恋をしたり、死んだりしても、それは現実には存在しない。

 しかし、存在していないはずの人物や出来事がなぜか人の心を強く動かす。

 このことを考える時、僕は決まって父さんのことを思い出す。僕の父さんは無口な人間で、なんだかいつもむっとしたような顔をしており、感情を表に出すことも滅多にない。

 けれど、テレビでドラマなどを観ているときだけは別だった。

 父さんは仕事から帰ってくると、テレビを観ながら晩酌をするのが習慣だった。同じメーカーのビールと決まったおつまみ、そして、テレビに映るのもいつも似たようなドラマ。あからさまな演出、見え見えの展開、どこかで見たような登場人物やストーリー……こんな退屈な話を見て何が面白いのだろうと、僕はよく思っていた。

 だが、驚いたことに、父さんはそんな手垢のつききったドラマをみて、笑ったり泣いたり、子供のように口を開けて食い入るように画面を見つめるのだ。

 父さんの普段の仏頂面を知っている僕にとって、それは魔法を見ているようだった。日常生活では微動だにしない父さんの感情が、虚構の物語はたやすく揺り動かす。テコを使えば小さな力でも大きなものを動かせるように、もしかしたら、フィクションにも何かそういう原理がひそんでいるのではないか。父さんの様子を見ているうちに僕はそう考えるようになった。

 文芸サークルの活動に参加しているのも、物語を作る人たちと接すればその原理の正体に近づけるかもしれないとの思ってのことだった。

 そう思ったのだが……。


「暇ですね……」


 僕は教室前の受付であくびをこらえる。

 今日から大学で文化部発表会が行われていた。

 学園祭のようなもので、文芸サークルでは部員が書いた小説の展示を行っていた。

しかし、朝から一人も来場者が来ていない。


「いつもこんな感じなんですか?」

「まあね」


 一緒に受付をしている部長が文庫本に目を落としたまま答える。

 僕はガッカリしてしまう。展示している冊子の中には僕の小説もあった。どんな反応をもらうだろうかとそわそわしていたけれど、みんな素通りしていく。


「あ、そうだ、これ返しておきますね」


 暇すぎてぼんやりとしていた僕だったが、ふと部長に借りていた本を持っていたことを思いだし、バッグを漁る。


「あら、もう読んだの。どうだった?」


 部長が顔をあげ、目を輝かせる。

 申し訳ないけど、最後まで読んでいなかった。ストーリーらしいストーリーもなく、小難しいことが延々と書かれているので数ページでギブアップした。


「非常に感動しました。流麗な筆致で描かれる人間ドラマが……」


 ただ、読んでないと言ったらうるさく言われそうなので、ネットで調べた適当な感想を話す。それを聞いて、部長は「あんたも文芸部員らしくなってきたじゃない」と満足げな表情。


「あなたはまだ若いから感動したことでしょうね。私みたいに文学を読み慣れてくると、色々と深読みをしすぎて素直に感動できなくなってくるのよね」


 部長はこれみよがしのでかいため息をつく。


「年を取るとどうも感情を動かされることが少なくなっていけないわ……こここんにちわ!」


 ペラペラとしゃべっていた部長が、突然、ニワトリのような声を出す。

 びっくりしていると、いつのまにか受付の前に数名の男女が立っていた。彼らは愛想よく挨拶をしてくる。どうやら交流のあるサークルの部員みたいだった。行事のときはお互いにあいさつ回りをする慣習があるらしい。

 なんだ、ただのあいさつ回りか。お客さんかと思ってガッカリしている僕の横で、部長はガチガチに緊張していた。こういう付き合いは苦手なのか、目を泳がせ、トマトのように顔を赤くしている。めちゃくちゃ感情を動かされているじゃないか。

 見ていられなかったので、僕は部長の代わりに世間話をする。気さくな人たちで、そのあと、展示を見ていき帰って行った。

 他サークルの人が去っていくと、部長は胸に手をおき、ほっとしたように息をつく。


「……なに見とるんじゃ」


 その様子を見ていると、部長はむっとした様子でにらんでくる。


「部長もまだまだ若いじゃないですか」


 僕がそう言うと、部長はパイプ椅子の脚をこつんと蹴ってくる。

 それから、バツの悪そうな顔をして「暇なら他の展示、見てきなさいよ」と言った。


「あ、いいですか?」


 僕は思わず声を弾ませてしまう。正直、かなり退屈していたのでその言葉は嬉しかった。不機嫌そうに腕を組む部長を残し、僕は意気揚々と立ち上がって受付を離れる。

少し歩くと、閑散とした受付がうそみたいにたくさんの人が行きかっていた。もとからこの大学は学生数が多いけれど、今日は一般開放されているのでいつにも増して人が多い。プラカードやチラシを持って呼び込みをしたり、コスプレをしている人までいた。

これが大学の文化祭というやつか。自然と気持ちがウキウキとしてくる。行きかう人の中には焼き鳥やたこ焼きなどを持っている人もいた。普段は駐車場として使われている正門横のグラウンドにたくさんの模擬店が並んでいる。


「あれ? ハラダ君?」


 模擬店の中をぶらぶらしていると、声をかけられた。振り向くと、そこには黒髪を後ろでまとめ、リクルートスーツを着た女性が立っていた。


「あ、こんにちは」


 文芸サークルの副部長を務める織本さんだった。僕が挨拶すると、「ちょうど今から受付に行こうと思っていたんだよ」とにっこりと笑う。織本さんは現在就職活動中で、今も企業の説明会から帰ってきたところらしい。


「今日はありがとうね。急に無理言っちゃって」

「構いませんよ」


 実は今日、当番だった人が急用で来れなくなり、交代したのだった。

 二人で模擬店を歩きながら、先ほどの部長とのやり取りを話すと、織本さんは可笑しそうに声をあげた。


「部長は人見知りだからね~。私も仲良くなるまで結構時間かかったよ」


 織本さんは懐かしそうな顔をする。それは相当だなと思った。織本さんは鬼のようなコミュニケーション能力で誰とでも打ち解ける。かくいう僕も会って数分で打ち解けた。というか、好きになった。裏表のない笑顔、美人なんだけど身近な感じだ。


「そういえばさ、この前、話していた起承転結のことだけど……ハラダ君?」

「あ、はいっ」


 織本さんのスーツ姿に見とれていたせいで全然話を聞いてなかった。僕は慌てて正気に返る。


「ほら、この前言ってた話。面白そうだったから、ずっと話を聞きたいと思っていたんだよね。どこかですれ違ったりしないかなと思っていたけど、全然顔あわさないから」

「あ、ああ、その話ですか」


 僕は部員のみんなに散々に言われたことを思い出す。

 もう別にいいや、と思っていたのだが、織本さんは興味津々な様子で、


「部長は反発するだろうけど、ある程度、型を用意して書くっていうハラダ君の考えは面白いなって私は思ったよ」

「そうですか?」


 みんなに反発された後だったので、僕はまんざらでもない気持ちになってしまう。そういえば、あのとき、織本さんだけはフォローするようなことを言ってくれていた。


「なんていうか、実はあれから色々と考えてみたんです」


 織本さんにおだてられ、僕はつい調子に乗って口を開いてしまう。

 物語には無限の可能性がある……起承転結を使うと、その可能性を狭めてしまうというようなことを部長は言っていた。

 しかし、そもそも、無限の可能性とは何なのだろう。僕は以前から引っ掛かりを覚えていた。

 物語というものは読者を必要とする。データの入ったディスクがあってもこの世にパソコンが一台も存在していなかったらただのゴミであるように、読者が存在しない物語もただの紙切れである。物語と読者はセットなのだ。ここで言う読者とは、言うまでもなく人間のことだ。そして、人間は限りある存在だ。生きてもせいぜい百年程度、経験や知識に限界がある。

 仮に物語の可能性が無限であったとしても、そのすべての可能性を受けとるとなると、受け取る側の読者も無限の存在でなければならない。

 けれど、実際には受け手である人間は有限なのだ。

 じゃあ、物語の可能性というものも有限で足りるんじゃないだろうか?


「有限の存在である限り、肉体を持ち、特定の器官しか持てません。その特定の器官で感じられる要素の組み合わせの中でしか対象を感じられないんじゃないかと思うんです」

「ふ~む、何だか難しいことを考えるんだね」


 いきなり突拍子もない話を始めたというのに、織本さんは真面目に聞いてくれていた。聞き上手で、僕が話しやすいように相槌を打ってくれる。織本さんがスーツを着ていることもあって、まるで企業の説明会のようである。


「いや、そんなに難しい話でもないんです。他の話に置き換えたらわかりやすいです。たとえば、このタコ焼きです。なぜ、タコが入っているのでしょうか。梅干しやブドウを入れることもできるはずなのに」

「たぶん美味しくないからだろうね」

「そうですね。材料の組み合わせが無数にあっても、人間には甘味、酸味、苦みなどの特定の味覚しか備わっていないから、好む組み合わせがある程度きまってくるんです」

「なるほど。たくさんの可能性があったとしても、結局は受け取る側の知覚に依存して取捨選択が行われるというわけだね」

「そうですね。その知覚をうまく刺激すれば良いだけの話なんです。無限の可能性とか魂といったものを持ち出す必要はないと思います」


 おいしいたこ焼きを食べて「私の魂がたこ焼きを求めているからおいしいのだ」と考えるのはおかしな話だ。それを美味しく感じる器官、味覚を持っているからおいしく感じるのだ。

 面白い小説を読んで「私の魂がこの物語を求めているから面白いのだ」というのも同様におかしな話だ。有限の存在である限り、何らかの器官で物語を感じ、その器官が心地よく刺激されるからそう感じているはずだ。


「面白い考えだね。料理に対する味覚、音楽に対する聴覚、絵に対する視覚みたいに、『物語を感じる器官』があるってわけだ。無限の可能性というものを追い求めなくても、その器官に合わせた特定のパターンだけ作ればいいってことだね」


 織本さんは理解が早く、僕の言いたいことをうまくまとめてくれる。


「でも、その肝心の『物語を感じる器官』って何なのかなぁ」


 食べ物を食べたときのもっともありふれた感想は「おいしい」「甘い」「すっぱい」など、味覚に関することばかりだ。このことから、食べ物を感じる器官は「味覚」である。

 では、物語はどうだろうか。「面白い」「泣いた」「笑った」。感想の多くは感情に関することだ。このことから、物語を感じる器官は「感情」じゃないかとおもう。


「感情というものは、五感と同じような感覚器官なのかもしれませんね」


 優しくされたら嬉しくなり、傷つけられたら怒り、大切な人が亡くなったら哀しむ。個人差はあるにしても、これは国や文化を超えて共通している。感情は先天的な人間の器官なのだ。

 僕は父親のことを思い出した。いつも同じ銘柄のビール、おつまみを食べていた父。なぜ、いつもその組み合わせだったかというと、それを美味しく感じる味覚を持っていたからだろう。

 いつもみていたドラマについても同じことが言える。ワンパターンでお決まりの展開。なぜ、こんな話を飽きもせず見るのだろうと不思議だったけれど、同じパターンだからこそ見ていたのだ。ビールとおつまみの組み合わせが心地よく味覚を刺激するように、あれこそ感情という感覚器官を心地よく刺激するパターンだったのだ。

人間は有限であり、限られた範囲でしか受容できないために、好き嫌いという偏りが発生する。起承転結とはその偏りの形をうまくなぞり、刺激する手段なのだ。


「この方法を究めれば、誰でも面白い小説が書けるようになるかもしれない……」


 一通り話し終えたところで、僕は我に返る。ついつい夢中で話してしまった。引かれていないだろうか、と思ったが、織本さんは感心した様子で、


「その起承転結にしたがって小説を書いてみたら? 良い作品ができるかもしれないよ」

「あ~……まあ……」


 ほめられてまんざらでもない気持ちになる僕だったが、視線を逸らし、すっかり冷えきったタコ焼きを口に運んだ。

 実を言えば、既に書いている。今回の文芸展に出した作品がそれだ。

起承転結を試す良い機会だと思ったのだが……僕は閑散とした文芸展の教室を思い出す。あれでは誰も読んでくれないだろう。しょせんは机上の空論なのか。


「そろそろ受付に戻りましょうか」


 話し込んでいるうちに展示の終りの時間になっていた。周りの模擬店も撤収を始めている。織本さんも何となく察したのか、それ以上は何も言わずに一緒に立ち上がる。

 そして、しばらく歩いて展示場の近くまできたところで異変に気づいた。人気がない場所のはずなのに、人だかりができているのだ。

何かあったのか? 僕と織本さんは顔を見合わせる。人だかりの奥では、けたたましいニワトリのような声まで聞こえているのではないか。


「お、お~い、助けて~!」


 部長の声だった。見れば、人込みの奥、受付のところでぴょんぴょんと飛び跳ねて手を振っている。僕たちは訳が分からず、人込みを進んで部長のところに行く。部長が何かやらかしでもしたのかと思ったけど、当の部長も困惑気味で展示場の方を指さす。


「え……!?」


 僕と織本さんは驚きの声を出す。

 人っこひとりいなかったはずの展示場、しかし、今はそこにたくさんの来場者が入っていた。






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