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二十二話


 ひぃぃいいいいいいいいいいいいいい!!


 お清は声なき声で悲鳴を上げていた。


 首筋を生暖かいものが這い回り、ときにぴちゃりと音をたてる。

卑猥な音から耳をふさぎたいと手を動かそうとすれば、いつの間にか両手は錦之丞の片手で戒められていた。

その節くれだった手は熱く力強く、男を意識させる。


(あ、あれ。わしって男なのに、なんで男に組しだかれてるんじゃ????)


 お清の頭の中は混乱の極みである。

いきなりの錦之丞の狼藉に、なす術もなく身体を強張らせて立ち尽くすしかない。

清吉の頃もお清になってからも、男と女の営みというものを知らなかったためにどうしていいのか、この後どうなってしまうのか想像もつかない。


 更にさきほどから股の付け根がなにやら切なくて仕方がない。

しかしお清はそれがなにかわからぬまま、全身にじっとりと汗を浮かべて錦之丞の狼藉をただ受け入れるしかなかった。


 くちゅ


 名残惜しそうに首元に吸い付くと、ゆっくりと錦之丞の顔が離れる。

とりあえず錦之丞の気が済んだのかと、お清は知らず知らず溜めていた息をそっと吐きだした。


「なぜに是も非も言わぬ」


 さきほどの水音よりもぞくりと耳を震わせる低い声につられて顔を上げれば、錦之丞の顔がふれそうなほど近くにありお清は「ひっ」と小さく声をもらした。

錦之丞の熱を帯びた瞳は、目をそらすことを許さぬ妖しい光を宿してお清を射抜く。


(あぁ、こんな時でも綺麗な顔して……)


 お清は錦之丞の顔を見つめ返しながらふと思う。

自分も村の男たちも、そしてお清になってから会った男たちも、欲にまみれた顔は下品に歪んで見苦しいものだった。

だというのに、目の前に迫る男の顔のなんと綺麗なことか。

つい見惚れたお清はまた新しいため息をついた。


「……何か余計なこと考えているだろう……」


 そっと頬にあてられた手が熱い。

何度かゆっくりと撫でた後、指が唇に移動した。

そのまま何度も、何度も、唇を軽く、ときに強く撫でられる。

どこか何かを耐えるような仕草に、お清の背中を何かがぞわぞわっと走った。


「何も言わぬなら、お前を抱く」


 かすれた声にまた頭がぐるぐるとなっていると木戸の開く音がし、掴まれた腕を強い力で部屋の中へと引かれた。

「!」

お清はとっさに腕を引きもどして抵抗した。

そして何故自分がそのような態度をとったのか分からず、戸惑いながら掴まれていた腕に軽く触れて錦之丞を見上げる。


 錦之丞は薄く笑っていた。

灯を背に受けて影のかかったその笑みは、思わず息を飲むほど美しく妖艶だった。

ごくりとお清の喉が鳴る。


「部屋に入るのが嫌と言うなら、このままここで抱いてやろうか?」


 お清は首が吹っ飛ぼうかというくらいにぶんぶんと首を横に振る。

そうしながらも頭のかたすみで、

(自分が男の時ならどうもこうも聞かずに、すでに女にむしゃぶりついてるなぁ……)

といらんところで錦之丞に感心していた。


 そんなことを考えていたせいか、気が付いた時には再び腕を掴まれて部屋の中に引き入れられていた。

「あ」

背後で錦之丞が木戸を閉める音を聞きながら我に返るがもう遅い。

慌てて振り返ろうとして、背後から固く抱きすくめられた。


「俺に抱かれるのは嫌か?」


 布地越しに生々しい熱を感じる。

錦之丞の声にまたぞくぞくと身体を震わせながら、お清はやっと気が付いた。


 今まで散々「女としての幸せを感じたい」とか「いい男に抱かれたい」とか言った。

だが、実は全然女として抱かれる気がなかったことに。


 美しい女の姿になったときは「男のときは一生無理であろう肉欲のかぎりが、この身体ならやりたい放題ではないか!」と単純に喜んだ。

しかし「こんなべっぴんな女の身体を好き放題じゃわ、ぐへへへ」とか「こんな美しい女がまぐわっている姿はさぞええもんじゃろうなぁ、でへへ」という思いでしかなく、自分の体が自分のものとは思えていなかったという事に、錦之丞に抱きしめられている今、まさに気が付いた。



 や っ ぱ り 男 に 抱 か れ る な ん て ム リ デ ス 。



「…………」


 お清は錦之丞に声をかけようと口を開き、そのまま力なく閉じた。

さすがのお清でも、今のこの状況でそれは言っちゃいけない!ということだけはわかっていた。

ならばどうしよう。


 頭が真っ白になっていたお清を、錦之丞は更に強く抱きしめて肩に顔をうずめた。

それは熱を帯びたというよりもどこか甘えるような仕草だった。

珍しい錦之丞の仕草にお清ははっと我に返る。

耳にくぐもった声が届いた。


「……俺は、ほっとしている。元々そういう欲が皆無だったうえに、いざという時に役に立たなかったらどうしようと、……怖くて仕方なかった……」

「…………」


 弱々しい錦之丞の声に、お清は胸がいっぱいになった。

そっと目を閉じる。


 あぁ、なんてお可愛らしいお人だろうねぇ。


 再び目を開けたとき、お清にもう迷いはなかった。

己を固く抱きしめる腕にそっと手をおく。


「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」


 言うがいなやお清は膝下をすくいあげられ、気が付けば錦之丞に抱き上げられていた。

そのままずんずんと大股で歩いて布団の上へと運ばれ、お清は慌てて錦之丞の首に腕をまわしてしがみついた。

「お、おぉ。錦之丞さまってお上品に見えてわしよりケダモノ……」

「お前が返事を待たせすぎるからだ!」


 やや乱暴に布団の上に下され、そのまま錦之丞が上に覆いかぶさってきた。

捉えた獲物を逃がさぬとでもいうように、ぐっと男の体が密着して体重をかけられる。

お清の耳にしゅるりと帯が引き抜かれる音がとどき、自分がまだ旅装であったことを思い出した。

「あ、わし汗臭い……」

「そのほうがより濃くお前の香りを感じられる」

「わし、女がどのように抱かれるのかわからないからどうしたらいいか……」

「ただ俺に身を任せておけばいい」

「お、男を抱くと思ってお手柔らかに……、あ、あとあか――」



 灯のもとで男に組し抱かれるのは生々しいから、明かりを消してほしい。

そう言おうと口を開きかけた。


「もう黙れ」


 そう一言告げた錦之丞が顔を重ねてきたため、お清の口はそれ以上言葉を紡ぐことはできなかった。

灯に照らされた影はゆらゆらと頼りなく揺らめきながら、一つに溶け合っていた。








「……どうにかお部屋に入られたようですね……」


 老婆は自室の布団の上で、胸を押さえて大きく息を吐いていた。

この家の二つの居室は、お互いの木戸を閉めてしまえば互いの音が聞こえない仕組みになっている。

その点も家屋を探す際に錦之丞が求めていたところである。


 若い夫婦となる二人である。

いずれは夫婦の契りを結んでほしいとフキも願っている。

しかし錦之丞の心の傷とお清の様子からして、それはまだ先になると思っていた。


が、先ほどの一幕。

さすがに木戸をひとつ挟んだ隣の部屋では音は全て筒抜けである。

油断していた矢先に、主として息子として慈しんできた錦之丞の最中の音を聞かねばならぬのかと胆を冷やしていた。


 と同時に、とても嬉しくあった。

錦之丞はなんら心配する必要のない立派な男となっていた。

それも全てあのお清のおかげである。

老婆は目に涙を浮かべながら皺だらけの手を合わせ、今は亡き錦之丞の母に心の中で報告した。


(あなたが憂いていたご子息の今後は、もう何の心配も必要ございません。私も全ての重荷が無くなったような気がいたします)


 いくつかは不安の残る二人であるが、それも二人で乗り越えていくことであろう。

老婆は安堵のため息をつくと、安らかな顔で横になり眠りについた。


 今宵は、また格別な夢が見れそうな幸福に酔いしれながら。



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