勝たねば、意味がない
東京ドームでの3連戦を目前に控えた夜、乃村克也は、チームのスコアラーから届いたデータを机に広げながら、ひとり黙々と試合の準備を進めていた。
関西ジャガーズを率いて三年目。
気がつけば、この3連戦の勝ち越しが、**「優勝」**という看板を手繰り寄せる運命の分岐点となっていた。
だが、決して順風満帆の道のりではなかった。
初年度。
最下位だったチームを引き継ぎ、「意識改革」「組織作り」「データ活用」など、乃村が青山スワンズ時代から貫いてきた改革を、同じように持ち込んだ。
だが、結果は惨敗。蓋を開けてみれば前年と何一つ変わらぬ最下位だった。
その年の秋──
「乃村じゃ無理だった」
「所詮は地味球団専門の監督」
「監督より先に編成が変わるべきだった」
球団OBは冷たく、地元マスコミは辛辣だった。
「人気だけが取り柄の負け癖球団」というラベルが、また一つ貼られた。
胃の痛みが始まったのはその頃だった。
眠れぬ夜に耐え、ミーティングを繰り返し、何百本という練習映像と向き合い、
勝てるための「再構築」を一から始めた。
2年目、ようやくAクラス入りを果たすと、
「やっぱり乃村は有能だった」などと、あっさり手のひらを返してくるメディア。
その光景に苛立ちはしなかった。
むしろ──「この国のプロ野球ファンってのは、勝たなきゃ何も見えないんだ」と、逆に肝が据わった。
そして今年。
若い投手陣が育ち、機動力を絡めた攻撃も形になり、守備力も飛躍的に向上した。
なにより選手たちの顔つきが変わった。
“負け犬”ではなく、“勝者”の目をしていた。
──それでも。
いざ首位と0.5ゲーム差にまで迫ると、
周囲は一気に浮かれはじめた。
「今年はもう優勝や!」
「タイタンズなんか怖くない!」
「どうせ東京で胴上げや!」
毎日のように耳に飛び込んでくる“祝福”の声に、乃村はただ静かに首を振る。
(まだ、何も終わっちゃいない)
勝負はこれからだ。
浮かれている暇など、微塵もない。
──そして、相手は中嶋茂雄。
現役時代から意識し続けてきた存在だった。
実績も華もあった。東京ドームで輝く姿に、何度も悔しい思いをした。
今やその男は、ジャガーズとは対極にある球団──常勝・武蔵タイタンズの監督として君臨している。
人気、資金、地元の支持、選手層の厚み。
何もかもが整った「野球界の王者」。
入団希望者があとを絶たない夢のチーム。
──対するジャガーズは、どうだ?
連敗癖のついた泥臭い球団を、ゼロから築き直し、
ようやくここまで引き上げてきた。
強打の4番もいなければ、派手な補強もない。
その代わりにあるのは──地道に育てた選手、地道に積み上げた勝利、そして、何より誇りだ。
乃村は立ち上がり、デスクの引き出しを開けると、一枚のスコアカードを手に取った。
3年前、就任初戦──
0-8で完封負けを喫したあの試合。
三塁側のファンが、試合後も立ち尽くしていたあの姿を、彼は忘れていない。
「勝たな意味がない」
「結果を出さなきゃ、誰も報われない」
胃は痛い。
眠れない。
誰よりも不安だ。
けれど、それでも──
「必ず勝つ。俺のチームで勝つ。
育て上げた選手たちと、ここで頂点を獲るんや」
心の奥に、ゆっくりと熱が灯る。
明日からの3連戦。
乃村克也は、最後の一球まで、闘い抜く覚悟を決めていた。
「勝たねば、意味はない──そうだろ、中嶋」




