その先にある景色
6月下旬。夏のような陽射しが、鳴尾浜球場の外野芝を照らしていた。
村瀬浩のバットから放たれる打球は、以前と明らかに“質”が違っていた。
ライナー性の鋭い当たり。引っ張りすぎず、左中間へと弧を描く二塁打。スピンが乗った、沈まず伸びていく打球──。
「浩、最近よう飛ばすなあ」
「一皮むけた感じやな」
チームメイトの言葉に、浩はただ「ありがとうございます」とだけ返した。
満足なんかしていない。まだまだ、先がある。
変化のきっかけは、打球角度への意識だった。
地面に叩きつけていた頃は、いくら初速が出ても単打止まり。
だが、打点を“前に・上に”置く意識と、回転軸を意識したスイングで、打球に「高さ」と「伸び」が生まれた。
“バレルゾーン”の概念──。
バットの軌道とボールの軌道が重なるゾーンでインパクトすれば、打球角度は自然と理想に近づく。
ただ力を込めて振るのではない。
「ヘッドの入れ方」と「体幹の角度」──。その最適解が、今の浩のスイングだった。
ある地方遠征の試合後、チームバスの車内で、浩はそっと携帯電話を開いた。
一軍の試合速報。
他球団のドラフト上位組が、続々とデビューを飾っていた。
(……あいつら、もう一軍か)
悔しさは、なかった。
ただ、自分の位置を確認するだけだった。
「俺は、俺のペースでやる」
独りごとのように呟いたその言葉には、かつての焦燥ではなく、確かな「積み上げ」の手応えがにじんでいた。
ある試合。浩は三打席連続で凡退していた。
「重心がぶれとるぞ。下半身で溜めきれてへん」
コーチが声をかける。
浩は唇を噛んだ。スイング自体は悪くない。だが、足場が不安定なビジター球場では、どうも感覚が狂う。
(やっぱり、“地面の使い方”や)
未来のノートに書き残していたフレーズ──
「打球の初速は、地面反力と骨盤回転の質に比例する」
足裏の接地感。後ろ脚の内側で“溜める”感覚。
試合の合間、浩はベンチ裏でそっとスパイクの紐を締め直した。
次の打席、カウント1-0。
ストレートを狙いすました。
腰を先に切り、体幹で振る──。
バットの芯にボールが乗った瞬間、左中間スタンドへ向けて打球が一直線に伸びていく。
「ナイスバッティング!」
ベンチから声が飛ぶ中、浩は静かにヘルメットを脱いだ。
初めての“完璧な一発”だった。
7月上旬。オールスター直前。
前半戦の最終カード、イースタンの強豪との三連戦。
初戦。浩は二塁打を2本放ち、チームの勝利に貢献。
翌日には、相手エースの150キロ超の真っ直ぐをレフト前に運んだ。
試合後、丘田監督がつぶやく。
「村瀬……そろそろ、かもしれんな」
浩には、その声は届かない。
だが、確実に何かが動き始めていた。
その夜。
寮の一室。静まり返った部屋で、浩は再びノートを開いた。
──「小柄でも、飛ばせる。仕組みを理解すれば」
──「フライは、ゴロより遠くへ飛ぶ。角度と初速を操れ」
──「未来の当たり前を、今の“武器”に」
(……全部、つながってる)
自分の体格、自分のタイミング、自分のスイング。
未来から借りた知識を、自分の中で「言葉」ではなく「武器」に変える。
それが、浩にとってのプロ野球だった。
次の試合は、オールスター明け。
その先には、一軍の姿が少しずつ見え始めている。
(あと少し、や)
ノートを閉じ、バットに手を添える。
指先に残る、打球の感触。
すべては、あの打席の延長線上にある。




