辻 天馬
第34話 弟
あれから俺は、みんなが屯っている屋上へは行かなくなった。学校なんて行かなくてもいいと思っていたが、卒業くらいはしよう、と弟に言われた。あと2ヶ月の辛抱だ。
「ここにいたのか」
学校では、なるべくアイツらと顔を合わせないようにしていた。運動場の隅に、廃部になったハンドボール部の部室がある。そこの鍵を壊し、大半をここで過ごしていた。
「聞いたよ。ジュウイチから」
ヤマトがいつもと変わらぬ顔で部室に入ってきた。無視して、コンビニで買ったサンドイッチにかぶりついた。
「なんだよ。俺も仲間外れか?」
ヤマトはベンチの上に置いてあった籠を退けて、俺の隣に座った。仲間外れって、おかしいだろ。仲間外れは俺の方だ。
「なあ、無視すんなよ。小せえころから一緒だろ」
そうだ。こいつは小さい頃からそうだった。何も変わらない。俺がアホだから虐められていた小1の時も、小6で虐めてきた奴に仕返しして周りから遠避けられた時も、中学の時にクラスメイトの金が盗まれた罪を着せられた時も、ずっとヤマトは味方でいてくれた。そんなの、ヤマトだけだった。
「ジンだって、お前のこと心配してたぜ」
「余計なお世話なんだよ」
これはヤマトの嘘。ジンは俺のことなんて心配してたというのは嘘だ。厳密に言えば、ヤマトのお節介だ。そうやって取り繕って、丸く収めようとする。
窃盗の罪を着せられた時も、ヤマトはそうだった。『あれは先公たちが疑ってるだけで、クラスのみんなはお前が犯人だと思ってないよ』その言葉を信じて、クラスメイトに普通に声をかけると、そいつの目は疑いの目でしかなかった。まあ、その後俺はそいつをボコボコにしたけどな。あれは後でヤマトに怒られた。
ヤマトはいつも心配してくれる。だから、そういう嘘を吐かれても、何も腹を立てることはなかった。アイツだけは俺のことを見てくれている。
「あれだろ。舜くんのことだろ」
舜とは、弟のことだ。
「舜くん、バスケやってんだろ」
3つ歳下の舜は中学生で、バスケをやっている。地元の中学では強豪で、隣の県の高校に推薦が決まっている。
その高校は県で1番の進学校。毎年、東大や有名大学へ生徒を輩出している有名校だ。しかもその高校のバスケ部は、全国大会にも出場する強豪校。バスケ推薦もきていたのだが、舜は学業成績の方での推薦が来ていた。頭の出来が俺とはまったく違う。しかも、バスケは俺なんかよりも断然上手かった。
じゃあ、弟の才能に嫉妬しているのか、と思われるだろう。違う。誇りに思っている、自慢の弟だった。俺はアイツがバスケを続けているだけで、アイツが活躍する姿を見ているだけで充分だった。
アイツには、俺がバスケを教えた。小さい頃から俺のやることをなんでもマネしたがった。俺が中2の頃、無名だったウチのバスケ部が中国大会でベスト4になり、キャプテンだった俺は注目を浴びるようになった。でも、当時小5だった舜は、俺なんかよりもレベルが上だった。
『無名の神童』なんて周りにチヤホヤされるのは決して嫌なことじゃなかった。だけど心底喜べていない俺がいた。俺なんかよりも舜の方が、注目されるべき人間なのだ。
舜は中学に入ると、当たり前だがバスケ部に入部した。入部した当初から『無名の神童の弟』とすぐに注目を浴びた。いきなり1年から実力を発揮し、高校生の俺よりも活躍していた。俺自身はバスケを続けることが楽しくなくなった。俺は問題を起こしてバスケを辞めた。なんの未練もなかった。
俺なんかより、舜の方が続ける価値がある。べつに俺のために舜がバスケを続けているわけではない。舜に嫉妬しなかったと言えば嘘になるかもしれない。それよりも舜が脚光を浴びることの方が何より嬉しかった。なにより舜が誇らしかった。
中学の頃からグレてはいたが、バスケをやっていただけマシだったのだろう。高校でバスケを辞めてから、バスケの柵がなく、エスカレートしていった。そんな俺を親は疎ましく思っていたが、舜だけは違った。
『兄ちゃん、なんでバスケ辞めんだよ』
俺がバスケを辞める時、舜は真剣に怒ってくれた。
『俺は兄ちゃんを目指して、バスケ続けてんだぞ』
『なに言ってんだよ。舜はもう俺なんか越してるよ』
『そんなことねえよ。兄ちゃん本気出してねえだけだろ。停学食らっただけで、辞める必要はないだろ』
『世話になった先公に迷惑かけれねえからな。それに、もう俺自体がバスケやる気ねえんだ』
俺にとってのバスケは柵でしかなかった。ヤマトやジン、ジュウイチとケイトと一緒に悪さしてるだけで充分楽しかった。その方が俺の性に合っていた。運動神経がちょっと良くて、たまたま少し背が高かっただけで始めたスポーツだ。たまたま上手くなって、たまたまチヤホヤされただけで、もう満足だった。
『お前は、バスケ辞めんなよ』
『当たり前だろ』
『俺は一生お前を応援する。だからお前はずぅーっと俺を応援させろ』
何を言っても聞かないと俺の気持ちを汲んでくれたのか、舜はコクンと頷いた。俺が拳を出すと、舜も拳をぶつけた。男と男の約束を交わした。
「舜くん、京都の強豪から推薦来てるんだろ」
ヤマトは幼馴染だから、舜のこともよく知っている。ヤマトもむかしから舜を応援してくれている。
「アイツは天才だからな。推薦してもらってるんじゃなくて、アイツが入学してあげる立場だな」
俺の弟に対する溺愛ぶりを知っているヤマトは、嬉しそうに微笑む俺に、微笑み返してくれた。
「アヤトも、バスケ続けたらいいのに。岩爺が紹介してくれるって言ってたんだろ」
ヤマトは俺のことはなんでも知っている。だから、そのセリフにも説得するニュアンスはない。最初から、俺が肯定するわけがないとわかって言っている。
「適当でいいじゃん。進路決まってないんだろ」
「決めてねえだけだ」
「同じじゃねえか」
じゃあ一緒に東京行こう、とは言ってくれなかった。ヤマトは自分の夢を追いかけて、東京へ行くんだ。覚悟を決めて出した答えなのだから、俺はそこへはついていけない。
俺は何に苛ついているのかわかった。
みんなが黙って進路を決めたこともムカついた。ジンがバスケを続けていたことにも腹が立った。けど、アイツらの自由だ。アイツらは町を出る。町を出ることが俺の選択肢の中になかった。町を出るのが怖かった。理由もなく、町を出ることを拒んでいた。外で暮らしている自分を想像することができなかった。
単に度胸がないだけ。アイツらには、町を出る度胸があった。それに嫉妬したのだと思う。ムカついたのは、町を出る度胸のない自分自身に対してだ。
「家、継ぐのか?」
「そりゃあ、無え」
「じゃあ、ヤクザになんのか?」
俺たちは町のチンピラのことを軽蔑していた。ああはなりたくねえ、と思っていたが、魚を触らないんじゃ漁師になんてなれない。必然と選択肢が狭まる。もうヤクザになるしかないのか。
「まあ、なんだっていいや。ヤクザでも、なんでもアヤトはアヤトだもんな」
ヤマトの言葉は投げ槍な言葉ではなかった。多分、本気でそう思ってくれてるんだろう。俺がヤクザになったって、むかしと変わらず接してくれる。
「ヤクザになったら、背中掘ってやるよ」
「タトゥーじゃ、ダメだろ」
俺はヤマトの言葉に少し救われた気分になった。コイツは、俺がどんなになってもダチでいてくれる。
俺にはもう何もないと思っていたが、俺にはヤマトと、弟の舜がいる。大切なもんがあるって、卒業間近になってやっと気づけた。




