儚く散った願望
立ち入りの禁じられた礼拝堂。
「ふぅ……ふぅ……はぁ……」
その隅に置かれた豪奢な造りの告解部屋の中で、ようやくシーバスは人心地をついた。
「ふうー……」
今朝もシーバスは命をつないだ。触れた首は頭とつながっている。
ガイラクス王の謁見の間から、生きて出てこられたのだ。
昨日と同じくシーバスは宣託を受けていないと伝えるだけの短い時間を、虚ろになった意識で朦朧と伝えた。
正気でいられるものか、いっそ気絶できればどれほど楽だろうか、と何度も思う。
いつものメイドの案内で始まる、生死のかかった短い旅路。
それが終わってから頂く朝食は、生きるという実感を味合わせてくれる。
そして夕食を頂くときに毎度思うのだ。これが最後の食事かもしれない、と。
「うぅう……うう……」
告解室で、ただ嗚咽を漏らす。
自分は何も悪い事をしてこなかったはずだ。
善い事をたくさんしたとは言い難いが、それでも子どもやお年寄りには親切にしてきた。毎日、食事の際には戦女神様に感謝してから頂いた。
「なのに、なんでよ、神様……」
ぐすぐすと鼻を鳴らして、それでも頼る者は誰もいないとわかっているがゆえに、また泣いて。
「神様……あの屋根裏部屋に返してください。暖かいベッドでなくてもいいから……」
お腹はいつも減っていたし、夜は凍えそうなほどの風が吹き込む部屋だったが。
明日の命も知れないような心の不安はなかったのだ。
「前みたいに……静かに暮らしたい……」
そんな悲哀と緊張の日々を過ごし、澱のように溜まった疲労があったのだろう。
「……すぅ」
いつもであれば、貴重な品々が置かれてしまった告解部屋で眠ってしまうという事などなかったが。
「……すぅ……すぅ」
涙の跡を頬に残したまま、シーバスは告解部屋の内壁にもたれかかるようにして眠りに落ちた。
***
朝から湖の主だかなんだかよくわからない発見報告書がらみの面倒事に巻き込まれてしまったが、うまい具合に処理をしたシーバス付きのメイドは城内を再び歩いている。
「王へのご報告には同伴できませんでしたけれど、今頃は礼拝堂の告解部屋ですよね」
シーバスの側にはべり、巫女が必要とする雑事をこなすのが今の彼女の仕事である。
「もっとも、シーバス様が何かを求める事などないんですけどね」
無欲、というより、与えられる事に恐れているような節すらある巫女であるが、それも彼女の生い立ちからすれば不思議ではない。
金の亡者だらけの中で虐げられ、あげく生贄のように差し出されたのだ。
母に思う所もあるだろう、国に思う事もあるだろう、王に思う事もあるだろう……神に思う事もあるだろう。
だというのに、宣託の巫女としての任を忠実にまっとうしようとしている。
年下であるが、そんなものは関係ない。人として尊敬に値する人物だ。
「いずれ成長されれば、あの愚物のような先代とは違って、健全な教会運営をされるのでしょうね」
大昔に活躍したという神託の巫女の血族、ノストラダ。
今までは過去の遺物のような存在だった教派が、今は王の武器の一つだ。
もしこれが先代であれば、一度の神託にどれほどの金銭を代償に求められたか。
「いえ、あの母親でないからこそ、神託が降りたのでしょうね」
何かを下げて、何かを上げる、という褒め方はあまり好きではないメイドではあるが、先代の母親には自分も被害を被っているだけあって容赦はない。
「僧侶憎ければ法衣も憎しとは言いますが、母親が憎いからといって、尊ぶべき娘を色眼鏡で見る愚者からは私がお守りしなくては」
とにかく母親のひどさというものは城内では広く知られているため、実際に巫女に会っていない者からは非難めいた言葉が飛び交っているのもメイドは把握している。
「けれど、時間の問題ですかね……」
だが、あまり問題視をしていないのも事実だ。はっきりいえば杞憂だろうと自覚している。
実際に警護などで側に立つ機会の多い騎士、特に城内の近衛騎士などからは絶大な支持を受けている。
もともと信心深い者が多い騎士であり、神託の巫女ともなれば無条件でかしずくべき存在でもある。
さらにその巫女の謁見に臨む時の堂々とした態度や、逆に謁見後は城内の下働きの者にすら微笑みを浮かべて挨拶をかわすという女神のごとき所作に感慨を受けない者はいない。
人の噂に戸が立たないように、良い噂というものであっても時間はかかれどゆっくりと広がっていくだろう。
であれば、その広がるまでの間だけでも、自分ができる事をしてさしあげたいとメイドは思う。
もっとも、神託そのものもを先代のように、でっちあげで地位や金銭を得る為の手段と断ずる者もいる。
黒竜の出現の神託は、たまたま偶然の一致だったと。
メイドからすればどんなタイミングの偶然だ、という言いがかりだが、神託を受けた証拠など出しようがないのだから言わせておくしか仕方ない。
だだ、王の覚えもめでたい巫女を、悪しざまに言う蛮勇さだけは敬意を表している。
ともかくシーバスという存在は、今や国で知らぬ者はないというほどに大きなものだった。
「刺激を受ける毎日で、筆もはかどりますし。私はなんて果報者でしょうか」
そんなシーバスを主人公にした小説の方もなかなかに進みが良い。
先日試し刷りを出したらすぐに完売してしまい、苦情まで出たものを再販したばかりだ。
卸先の本屋では珍客が現れて対応に苦慮したという笑い話も、店長から愚痴のように聞かされた。
何でも、まさかの再販があるとは知らず、前回は機を逃して買えなかったのに、今回も持ち合わせがなかったという常連客のメイドが現物交換を申し出たらしい。
本というのはほどほどに高価で、その常連客のメイドは別のところで買い物をしてきた後だったらしい。
だからといって現物交換に差し出したのが、何かの卵というのだから書店の店長も困っただろう。
店長はさすがに断ったが、たまたま魔獣絡みの本を探しにきていた商人が『じゃ、アタシがその本の代金をもつから、その卵いただこうか?』と提案したらしい。
常連客のメイドは飛び跳ねるようにして喜び、本を大事に抱えると卵を女商人に残して去っていたそうだ。
作者としてはそこまで喜んでもらえると冥利に尽きる。
書店には迷惑をかけたが、店長も本好きには変人は多いが悪人はいないという思想の持主なので、笑って話してくれた。
「読者の期待の高さはやっぱりシーバス様をモデルとして描いた人物の魅力でしょうね」
儚くも、時に強く導いてくれる神託の巫女。
戦巫女を思わせる存在が、勇者やその仲間たちとともに救国の為に、魔人たちと戦うのだ。
受けないはずもなかろうと思う。
「では今日もシーバス様のお姿を拝見しつつ、作品の糧にさせて頂きましょう」
メイドは礼拝堂の扉を守る二人の騎士に会釈をする。
騎士達も鎧の胸に彫られた帝国のシンボルに拳を叩き合わせる礼、拳礼、で応えて礼拝堂の扉を開く。
中は無人。
ただ一つ、隅の告解部屋の一つだけ、その扉が閉まっている。
メイドはゆっきり歩を進め、近くの長椅子に腰かける。
そして机の中にしまっておいた筆記具を取り出して、作品の続きの取り掛かる。
「……」
ふと気づく。
「……シーバス様のお声が聞こえませんね」
いつものは押し殺したような嗚咽がわずかなりとも漏れてくるものだが。
立ち上がり、告解部屋の側で耳をすませる。
しかしなにも聞こえない。
「……シーバス様?」
不安を感じておさえた声で名を呼ぶが、それに反応もない。
「シーバス様?」
扉越しでもはっきりと聞こえるような声で、再び名を呼ぶ。
だがやはり告解部屋から反応はない。
「……失礼します」
メイドは告解部屋の扉に手をかける。
ゆっくりと開く。
そこには静かに寝息を立てて眠っていたシーバスの姿があった。
「……ふふ、そうですね。連日の祈祷に、神託への心構え。さぞ、お疲れでしょう」
不安は霧消し、メイドがシーバスがなぜか使っていない畳まれたままの毛布を広げて、体にかけようとした時。
「え?」
唐突にシーバスの額の側に蒼い光が灯った。
「……え? なに、これ?」
よくよく見ると、光と思ったものは小さな小さな文字のようなもので、それが無数に重なって一つの灯りのように見えている。
それはやがてゆっくりとシーバスの額の中へと吸い込まれていき、波紋が広がるようにシーバスの額から顔、顔から首、首から体、手足へと何重のも輪のように広がって、やがて何もなかったようにおさまった。
「シ、シーバス様?」
何かが起きているが、何をどすればいいかもわからず見ているだけだったメイドは、シーバスの安否だけでもと眠ったままの顔に呼びかける。
やがて肩をゆすり、頬を強くなでるようにして、ようやくシーバスはわずかに目を開けた。
「シーバス様! 大丈夫ですか?」
声を荒げたメイドの言葉に反応したのか、門を守る近衛の一人が礼拝堂に入ってくる。もう一人は門を守ったまま、警笛らしきものを吹いて応援を呼んでいるようだ。
「シーバス様? 私がわかりますか?」
「……あれ? いくさめがみさま?……ああ、夢……」
それだけでメイドは察する。
宣託の巫女は、今まさに神託を受けたのだ。
さきほど自分が見た不可思議な光景は、まさにその瞬間だったのだと悟り、全身に痺れるような刺激が走る。
かつて神託を受けたという巫女は数あれど、神託を授かった瞬間を目撃した者などいただろうか?
「嗚呼、まさに今、私は、私の人生の中で最高潮を迎えています……」
これでまた作品の出来栄えがあがる。
「……ハッ! シーバス様? 痛みなどございませんか? 息など苦しくはございませんか?」
すぐに正気に戻ったメイドは駆けつけていた近衛騎士に薬師と治癒術師の手配を命じる
応援としてやってきたのは近衛騎士達と城内のメイドたちであった。
シーバスが力なく伏せっている姿に不安を隠せずメイドを見る。
「シーバス様のお部屋に運びます。お部屋は整えてありますね? 入浴もされるかもしれません。すぐに浴場の準備を整えてください」
騎士とメイドたちに素早く指示を出す。
まずシーバス自身の安否を優先させる。
国の命運を左右する神託であるかもしれない。本当はここでシーバスの頬を張ってでも、王の元へ報告に連れていくべきかもしれない。
だがメイドはそうはしなかった。
だからといって、遅延を少しでも削る努力は惜しまない。
「私は王の元へ参ります。この後、王はシーバス様のお部屋に向かわれるかもしれません。近衛はシーバス様のお部屋と扉の警護に。メイドたちはシーバス様を休ませたのち、可能な限り整えるように。お目覚めにならないようであれば、御髪だけでも整えておくように」
シーバスが謁見の間に行くのではなく、王がシーバスの部屋で待てばよいのだ、とメイドは判断した。
そしてあの王であれば、メイドの判断と処理を道理的かつ効率的と評価するだろう。
「また国が動きますね……」
黒龍という予兆がしめした魔人の襲来。
勇者の血筋を集めよという救済の助言。
そして新たな神託は何を示すのか。
「良い神託であればと願うばかりですが……」
じっとりと額に汗を浮かべて、苦しげにうめくシーバスの顔色はすぐれない。
まるで神託の内容を表しているようでもあった。
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