蒼く染まるアリス
魔蒼魚の肉片を避けつつも、ヒビキは近づいてきた舟に軽やかに乗り込んだ。
「ただいま戻りました、アリス」
「おかえりなさい、ヒビキ!」
妹の生還を喜ぶ姉の姿に、ジャックとダニエルも笑顔になる。
激しい戦いであったが、終始してヒビキが圧倒していた。
ただ、一合交えた際に負傷したヒビキの腕に安否が募る。
「ヒビキさん、そちらの腕は……」
まったく意に介す様子すらなくヒビキは笑顔でアリスとはしゃいでいるが、見た目から明らかに大けがである。
「ああ、コレですか」
痛みすら感じていないようで、ヒビキは血にまみれた腕をさらす。
この時、よくよく見れば流れる血の量のわりに、舟には一滴たりとも落ちていないという事に気付いただろう。
だがそれに気付くほどの余裕のない騎士達は口々にたずねる。
「治療は……すぐに街に戻りますか? この度の大儀であれば、王宮付きの治癒士も……」
「いえ、結構です。私には……アリスがいますので」
騎士達の心遣いに微笑みで感謝を表しつつも辞退し、アリスに向き直る。
そうして早口で耳打ちする。
「大事なシーンですよ? 私たちは姉妹であるがゆえに一心同体で、私にかかる治癒の効果も神のごとく素晴らしいもの、と演出しますからね? あと、もうわかっていると思いますがこのケガは偽物ですからヒールの真似っこでも十分です。カッコよくでも、可愛くでも。アリスの思うままにどうぞ」
「なるほど、だいたい理解しました! まかせてください! 昔ヒビキが教えてくれた呪文ならバッチリです!」
小声で互いに打ち合わせる。
時間がないので細かい事は伝えられないが、要は他人にはパッとしない治癒術も、ヒビキに対してだけは効果抜群というものにしたい。
そういったヒビキの作戦がどれほど伝わっているかわからないが、アリスはヤル気まんまんと杖をかざした。
しかしヒビキが教えた呪文とは? 思い当たるフシもないので、首をかしげつつもアリスにまかせる事にした。
アリスが杖を掲げると、騎士達が感嘆する。
「おお」
まだ何もしていないのだが、今目の前で壮絶な戦いを勝利したヒビキ、その彼女が讃える姉の力とはどのようなものかと、期待が爆上がりなのである。
要するに雰囲気に流されているだけである。
騎士と言えども、いや、騎士ゆえに空気を読む力に長けているのか、わりと簡単に流されているようであった。
アリスの治癒の文言、呪文が始まる。
術の行使にあたっては、その結果を求める過程にある『呪文』というものがある。
それは必須ではないものの、術のイメージを具体化できるため、結果として導かれる術の威力や精度の底上げとなる。
だが、決まりなどはなく、こうこうしなければ術が発現しないというわけではない。
駆け出しなどが扱いやすいようにある程度の型、というものは存在するがそれも次第にそれぞれがより効果を発揮できるような文言に代わっていく。
ゆえに呪文とはそれぞれの個性がもっとも出るところでもあった。
詩を謳いあげるように唱える術者。
感情を爆発させるように叫ぶ術者。
あえて文言を少なくして逸る術者。
であれば、アリスはどのような術をどのようにして唱えるのだろうか。
ジャックとダニエルがアリスの杖から目をはなさず、耳をすませる。
「痛いの痛いの……」
そこまで聞いて、うっそでしょ、とヒビキは内心で焦る。
確かに幼いころにアリスにそれをした覚えはある。
治療するほどでもない、例えば廊下で転んだ時とか、本棚から取ろうとした本が頭に落ちてきた時とか……そういった時に確かにヒビキはアリスにそれをした。
アリスはそれを喜んでいた。ある意味で彼女にとっての癒しの原点なのかもしれないが。
「飛んでいけー!」
アリスがヒビキのケガに手をあてた後、飛んでいけーと彼方にそれを放り投げた。
ああ、仕草までもかつてヒビキがアリスにしてあげたもの寸分の違いもない。
「あ、あの……」
ジャックがうろたえる。
そりゃあ、あんなものを見せられたら仕方ない。ヒビキ自身もどうしたものかと思う。
「ヒビキさん、今のは?」
ダニエルも反応に困ったようにオロオロとしていた。
彼らにとってアリスの真剣な表情は決してふざけているようには見えないだろうし、そもそもアリス本人もふざけていない。
ここに道化はいない。
皆がそれぞれの立場でやるべき事をやっている。
となれば、もう仕方ない。
ゴリ押しだ。
急場にしては割といい作戦をたてられたと思っていたヒビキだったが、アリスの呪文一つでここまで色々と壊れかけるとは思わなかった。
思わなかったが、ヒビキはあんな昔にアリスにした事を覚えてくれていたという事の方がうれしかった。
つまりヒビキに不満も文句もない。
あるのはこれからつじつまを合わせる、ちょっとした苦労だけだ。
「これが我が姉、我が片翼の力ですよ?」
子供をあやすような治癒の文言に騎士達の顔が次第と疑問を浮かべ始め、そのころ合いを狙うようにしてヒビキは負傷しているように見せかけている腕を二人に差し出した。
おびただしい流血で血に染まっていた白く細い腕は、いまや一筋に血すらない。
言うまでもなく傷跡らしき痕跡すらなかった。
「こ、これは!?」
驚愕するジャックに対して、ヒビキは笑った。
「痛いのが飛んでいったんですよ。アリスには畏まった呪文など必要ないんです。誰かを癒したいという思いがあればそれで充分なんですよ」
微笑む。ここぞとばかりに美少女スマイルで微笑む。
いい話でしょう? だから納得してくださいとばかりに微笑む。
美人の微笑みは九割の問題を解決し、美少女の笑顔は十割を解決する。
そして今、ヒビキはその無敵な力を有している。
「な、なるほど。確かにアリスさんのお優しい性格からすれば……むしろ、さきほどの文言こそふさわしいとすら思える」
さすが騎士である。女性の言葉を否定しない。
「しかしこれほどの治癒術をお持ちとは」
ダニエルが看過できない言葉を発した。否定するなら今だ。
「ダニエルさん。申し訳ありませんが、これほどの治癒効果を発揮するのは私に対してのみです」
「……なるほど。色々と合点がいきます」
言葉を尽くす事なく勝手に納得してくれたダニエル。
類を見ない術の威力は、姉妹のような、もしくは特別な関係だからこそ、という事に納得がいったのだろう。
「もちろんここまでとは言いませんが、アリスも腕の良いヒーラーである事には変わりません。いずれ私以外の方ともパーティーを組んで難敵に向かう事もあるでしょう……例えばアザァさんなどと一緒にね」
ここで軽い気持ち、軽い冗談のように装って勇者の名前を出しておく。
今回のこの件は確実に偉い人の所まで報告が行くだろう。
以前の段階ではあまり目立ちたくなかった為、騎士達には自分たちの力を秘匿するように約束したが、事ここに至っては逆の方向に舵をきったほうがいい。
アリスがお気に入りの顔がいい勇者とパーティーを組んで、そこそこの何かしらをぶっ飛ばして来れば、ハッピーバースディミッションは完了となるだろう。
だがあんなのでも勇者と呼ばれている以上、ポっと出の新人とパーティーを組むというのはありえないだろう。
もちろん今アリスが望んでやっている魔草採取という名の草むしりも悪くないが、メインディシュへの道筋もなるべく早く立てておきたい。
よって下ごしらえになりそうな所には顔も口も手も出しておくことにする。
もっとも駆け出し冒険者がどれほど力を見せつけても、勇者やら王様にすぐに話がいくわけがない。
ヒビキにとっては、本当に軽い気持ちで、そうなったら儲けもの、というぐらいの気持ちだった。
「ヒビキさん……」
一方でその言葉にジャックは内心で深く感謝する。
己の武を勇者とともにこの国の為に使う事を了承してくれたのだから。
彼女たちが己の国や素性を明かさないのは色々と理由があるのだろうが、それは些細な事ではない。
それにヒビキの口ぶりから以前交わした秘匿の約束も反故になっているようである。
秘密の厳守という気がかりは解消され、かつ、力強い味方ができた確信に心が喜ぶに振るう。
「その高貴なるご意思。必ず伝えておきます」
ジャックの笑顔にヒビキも笑う。
もっともヒビキの内心は騎士も冗談を返してくるのだな、というものだったが。
そして。
良い感じにおさまりかけていた事態は急展開した。
「あ、相棒!」
ダニエルの血相を変えた声にヒビキとジャックが振り返る。
そこには腕を抑えているダニエルと……長い髪が真っ青に蒼く染まったアリスの姿があった。




