この弟は本当に姉思いで頭の良い素敵な弟です!
「お待たせしました、アリス。とても面白いものがいましたよ!」
笑顔のヒビキが水の上を走りながら舟の上のアリスを見つけると、手を振って自分の背後を見ろと言う。
この弟は一体何を言っているのだろうか。
確かにアリスはヒビキの戻りを待っていたが、あんな見た目からに危険が極まっている生物を連れての話ではない。
しかもヒビキの嬉しそうな顔。
満面の笑顔であり、かつ、アリスの為にがんばりました的な達成感も漂っている。
コレはだいたい年に二、三度くらい見る、ヒビキがアリスにサプライズプレゼントをする時の顔だった。
確かにこれまで様々なものをヒビキはプレゼントしてくれた。
アリスが姫であるように、その弟とされているヒビキの地位もとても高い。生い立ちというか成り立ちはともかく魔族の皇族の一員である。
ヒビキが望んで手に入らないものはないだろうし、それが国の姫様へのプレゼントであれば、何を望んでも誰が持ち主であろうと喜んでヒビキに差し出すだろう。
しかしヒビキはそういった事はしない。
自分で選び、自分で探し、時に自分で作り出す。
水晶塊から手ずから削りだした像だったり、どこの秘境に生えていたのかというような見た事もない美しい花だったり、磨き抜かれた玉をはめ込んだアクセサリだったり。
どれもこれも素敵な品を贈ってくれた。
だが。
今、目の前のコレはなんだろう。
自分の体よりもはるかに大きな巨体の蒼い魚。
凶悪に裂けた口にはビッシリと牙が並んでいる。
あろう事かその頭が二つもついているのだ。
控えめにいっても、まともに見たらちょっと漏れてしまうレベルの存在だ。
「ほら、御覧なさいアリス。まさかこんなモノが実在していようとは思いませんでしたよ!」
だと言うのに、この弟はコレをかつての素敵なブレゼントを贈ってくれた時のように引き連れてきた。
「この姿かたち、実に素晴らしいですよね! キメラだそうですが、まさに神の奇跡たる造形ですよ!」
魔人のくせに神を称賛し始めたヒビキは本当に自分の弟なのだろうか。
よく似た人とか、何かが化けているのではないかとアリスが疑いの目を向ける。
しかしそんなヒビキの怪訝な視線に気づくことなく、ヒビキは脇に抱えていた槍やら剣やらから一本を引き抜き、その凶悪な二つの顔に投げつける。
槍は見事に胴に突き刺さる、かと思いきや蒼い燐光が弾けて投げつけた槍は彼方へと反れていった。
「お魚が……魔力障壁!?」
アリスが驚く。
魔力の被膜をまとう事によって物理、魔力、どちらの攻撃も遮断、もしくは受け流す防御の一つだった。
つまり、この恐ろしい大魚が蒼く光っているのは、魔眼と同じく体内の魔力が漏れ出ている証だ。
「最初の一本目、油断していた時はサクっと刺さったんですがね。それ以降はさっきからあんな感じです」
トントントンと、湖面をステップしながらヒビキはアリスたちの船の横に立った。
「ヒ、ヒビキ嬢、あのバケモノは一体?」
さすがのディアジオも腰を抜かしたように、距離を少しおいた先の中空で漂いながらヒビキを警戒している巨大な肉食魚を見る。
「私はツインヘッドシャークと呼ぶことにしましたが……こちらの言葉ですと、魔蒼魚あたりが適当でしょうかね」
嬉しそうに話すヒビキにディアジオが唖然とする。
ベンネヴィスはそんな中でも船をこぐのをやめずに岸へと戻しつつも、ヒビキへ問いかける。
「お嬢ちゃんは一体何モンだ!?」
「駆け出しの冒険者ですよ。ちょっと訳アリの。しかし初めてのクエストであんな大物と出会えるなんてついてます。ねぇ、アリス?」
満面の笑顔でヒビキがアリスに話を振る。
ディアジオとベンネヴィスの視線がアリスに集中する。
「ちが、私は、ちが」
アリスは必死に自分はヒビキ側ではなく、そちら側ですと意思表示をするが口がうまく動かない。
なので釣り竿を持って主張する。
自分は釣りをしたいのであって、あんなバケモノのエサになりたい側ではないと。
「おやアリスもヤル気まんまんですね。ですが、さすがにアレをその釣り竿では釣れませんよ、ふふふ」
一言もそんな事は言っていないというアリスの無言の抗議にもヒビキは微笑ながら、アリスは釣りが気に入ったんですね? ととぼけた回答をよこしてくる。
そんな一人だけが和気あいあいとしている中で、魔蒼魚が己に突き刺さった刃の傷から滴る血で宙に赤い弧を描き、再びヒビキへと突っ込んできた。
「ひぃああああ!」
アリスの悲鳴を背にして、ヒビキがその大きく開いた二つの口へと槍と剣を投げつける。
魔蒼魚はその二つを鋭い牙で受けとけめると同時に組み砕いた。
そして、さらに蒼く輝き、高く飛翔する。
一瞬、フワリと滞空すると、向きを変えその凶悪な二つの口をヒビキへ向けて飛びかかってきた。
「……これは舟が危ないか?」
と、ヒビキも魔力を足裏から解放し、大きな水しぶきを上げて空中で魔蒼魚を迎え撃つ。
空中で鈍い音と、蒼い火花が散る。
空中で態勢を崩したのは魔蒼魚。
ヒビキは二回、三回と回転しながら華麗に舟の舳先へと着地する。
「やっぱり無理か」
手をさすりながらヒビキは魔蒼魚を見る。
二つの頭のうちの一つの鼻先を思い切りぶん殴ったものの、ただ力を入れただけの攻撃ではやはり通りが悪かった。
ただ、多少は効いたのか魔蒼魚は滞空をやめて、スルリと湖面へ潜っていった。
その際、四つの蒼く大きな目がヒビキを睨むように見えたのは気のせいではないだろう。
「……ヒビキ、あのお魚は……逃げて行ったのですか?」
希望を込めてたずねかけてくるアリスにヒビキは悲しい現実を伝える。
「いえ。潜り込んで下から来る気でしょう。このままでは舟が危ないですね」
「そ、そんな、ヒビキ、どうします?」
「こうします」
ヒビキは舟に乗り込むと、アリスをすいっと抱き上げる。お姫様抱っこというヤツだ。
「あ、でも、お二人が」
自分だけではという顔でヒビキを見つめるアリスに、ヒビキは笑顔で答える。
「お二人なら大丈夫ですよ」
「え、でも?」
「狙われているのは私で、これから狙われるのは私たちですから」
「え?」
舟から降り、素早く、かつ、さきほどよりも目立つように大きなしぶきをあげて舟から離れるヒビキ。
「え、え、え?」
いまさまに舟をカチ上げんとばかりに浮かび上がっていた蒼い魚影は途端に向きを変えた。
そして背ビレだけを出して、ヒビキとアリスへと向かってくる。
「ヒ、ヒビキ? 来てます、来てます!」
「ええ、来てますね。これでみんな安心ですよ」
「いや、えっと……」
あとアリスが我に返る。
あの魚は怖い。
それはもうとんでもなく怖かった。あんな見た目で怖がらないのはどこかおかしいだろう。
となるとこの弟もおかしいのだが、そんな弟の胸の中にいると不思議と自分も怖くなくなった。
それはそうだろう。
「ああ、そうですね。これでみんな安心です!」
ヒビキが自分を傷つけさせるはずないのだから。
「おや、怒らないのですか?」
「なぜですか?」
「珍しいキメラとはいえ、ちょっと怖がらせてしまうかもと思っていましたので」
「いえ、普通に怖かったです! でも今は怖くありませんよ?」
きゅっとヒビキの首に手をまわして、くすくすと笑うアリス。
「そうですか、それは良かった。では、世にも珍しいキメラの姿を特等席で楽しんでください」
「はい! 冒険譚でいえば盛り上がるシーンですね!」
アリスは先ほどの恐怖も忘れて、笑顔になり。
ヒビキもやりすぎたかな? という不安が霧散して笑顔を返した。
「ちなみにアリス。今後の展開を踏まえた、ちょっとした考えもありまして」
ヒビキはこのレアで凶悪なキメラを倒して手柄にすれば冒険者としての評価も上がり、もしかしたらあの勇者とパーティーを組めたりするかも、というプランを話す。
するとアリスの反応は著しく。
「さすがです! さすがヒビキは考えが深いですね! あのお魚を見てすぐにそんな作戦を立てていたなんて! お姉ちゃんは感激です!」
「ふふ、ありがとうございます」
ヒビキはさも当然と返事をする。
今ここであえて、いいえ、高度な柔軟性うんぬんかんぬんと、行き当たりばったりの最上級な作戦だったという事を話した所で誰も得をしないのだから。
ただ、勇者の話題ではしゃぐ大事な姉を見ると複雑な心境でもある。
もし勇者とパーティーを組むような事があれば、チクチクと嫌がらせもしてやろう。
そんな考えを抱きつつ、ヒビキはアリスを抱きかかえてまま、魔蒼魚へと走り出した。




