商人たちの密談
男子禁制の聖域に向かった二人をテーブルを見送った二人は、どちらともなく酒の入ったグラスを無言で傾ける。
「……」
「……」
涼しい顔で酒を飲むディアジオと、怪訝な顔のまま酒を飲むマッカラン。
「そんな顔で見ないでくれ、スペイサイド」
「……ああ、正気でしたか、タリスカーさん」
「ディアでいいぞ。かたっくるしい言葉遣いも結構だ」
「本気ですか」
「ああ。この縁をつないでくくれたスペイサイドには感謝している」
「……それでは私の事もマックと」
どちらからともなく握手をする。
商人の癖や習性と言ってしまえばそれまでだが、ここに互いを友人として愛称で呼ぶという契約はなった。
「それではディア。お聞きしますが、本当にどうされたのですか?」
「何のことだ?」
「記憶を失ってでもいない限り、一時間前の貴方と今の貴方、明らかに変わりすぎでしょう? ご自覚ありませんか?」
「……そういじめないでくれ。しっかり覚えているさ。確かにさっきまでの私の在り様はありていにいって鼻つまみ者のそれだった」
だが、と空になったグラスに酒を注ぎ、二人が消えた先を見る。
「私はヒビキ嬢という目も覚めるほどの美人と、天使のごとき存在のアリス嬢と出会った」
「……ヒビキさんのお年は今だ少女とも言えますが、その?」
「変質者を見るような目もやめろ。私のその趣味はない」
どう見ても口説いていただろうという視線をディアジオに向けると、ディアジオは少しだけ目をそらした。
「正直、あの美貌に正気を失ったのは認める。が、それにしてもいずれ成長した姿を見据えてだ。繰り返すが私に幼女趣味はない」
「……まぁそういう事にしておきましょう。それにしてもアリスさんを天使と?」
ヒビキの美しさというのは、少女の可愛らしさとは違う。どこか泰然とした雰囲気に加え、精神的に成熟しているためか大人びて見えるのだ。目をくらまされるという感覚かもしれない。
マッカランにしてもヒビキと話していると大人を相手にしている感覚になっているし、今ではそれが当然とも思えるほどだ。
「マック。君はアリス嬢を見たとき、こう……何か体に電流というか、水に沈むというか、そういう感覚はなかったか?」
「いえ。美しい姉妹だなという認識はありましたが、そういった感覚というのは」
「そうか。私としては正気を失うほどの衝撃が走ったがな」
はたから見て、実際に正気を失っていただろうというツッコミはしないものの、マッカランはそのようでしたねと無難な相槌を打つ。
「確かに美しい。そして無邪気で快活な笑顔。だがそういった容姿だけではなく、こう、なんというか……呪術的という魔法的というか、そういったものと同質の何かに似た衝撃だった気もするのだが」
「私は商人ですからね。魔法使いとして活躍しているディアにしか感じられない感覚というのもあるのかもしれませんが……」
言外に何を言っているんだとマッカランが疑問を返す。
「魔物には魅了という能力を持つものがいるらしい」
ディアジオは真剣な顔で、とんでもないことを言い出す。
「……さすがにそれは失礼では?」
互いに命を拾った気絶仲間を魔物扱いされたマッカランが強い口調でそれを責める。
「いや失敬。うまい例えが思いつかなくてな。ともかくそういった不可思議な感覚だった。その結果、私の口から無意識に天使という言葉が出たわけだ」
「人ならざるものですか」
「アリス嬢に対して抱く感情は女性というより、神への信仰のようなものだと思う」
「それは、なんと、まぁ……?」
何を言い出すのかこいつはという顔でディアジオを見るマッカラン。
「神は言いすぎだな。つまりは跪き、祈りと奉仕をささげるような対象というべきか」
言い方は変わったが内容は変わっていないとマッカランは思うが、彼を一目でそこまで激変させて心酔させるというのも尋常ではない。
魅了という言葉を本人は例えで使ったが、あながち的外れでもないのでは、とマッカランが考え直す。
なんとなく空気が重くなったようで二人はそれぞれ沈黙を飲み込むようにグラスを傾けた。
「まぁ天上のごとき美しさというのは間違ってはいまい。マックのドレスの効果もあるのだろうが」
「さて、どうですかね。逆に彼女たちのおかげでドレスがよりよく見えていると思いますよ」
そうして仕切りなおしたかのように、商売をからめた話を始める。
「仕入れ値はどんなものだ?」
「それを言うと思いますか?」
「仕立ては西の酒場か?」
「南です。私は酒場依頼は好みませんから。ディアは西の街にもよく行くようですが?」
「職人との伝手というのは顔と足でつなぐものだからな。懇意な職人ができれば無理と融通も利く」
「私はその辺りはキッチリと字と数字で契約を交わす主義ですので」
「数字のでない貸し借りというのも悪くないぞ」
しだいに二人が自分の商売のやり方というものを話し込み始める。
どちらが良いというわけではなく、それぞれのやり方があるというだけの話だ。
ここで未熟な者同士であれば口論にもなるのだが、互いがそれぞれのやり方に参考になる部分はないかと前向きな話し合いは深く平和なものだ。
そんな会話が熱を帯び始めたころ、アリスとヒビキが戻ってくる。
「お待たせいたしました」
さっと二人が立ち上がり、ディアジオがアリスのイスを引く。
「ありがとうございます、ディスタチオさん」
「ディア、とお呼びいただければ」
自分の名を間違えられても一切の不満げな表情を出さず微笑むディアジオ。
アリスの自分に対する態度がさきほどよりもかなり軟化しているのに気づき、ディアジオはヒビキを見る。
ヒビキは自分のイスを引いたマッカランに礼を言いつつ、ディアジオを見て軽くうなずいた。
それを認めたディアジオは再び色々と考える。
アリスが考えを改めたのはヒビキの説得の為。
ではヒビキの方が上の立場だろうか? というのは的外れだ。
あくまでアリスのためになるから自分という者を使う。その為にアリスに何か言い含めたのだろうと。
ディアジオは思う。
アリスのそばにいる為には、ヒビキの機嫌や意図に沿う形が好ましいだろう。
それにヒビキへの好意ももちろんある。
マッカランには心外だというほどの態度で否定したが、いつからかやや年若い女性が好みになっているというのは自覚していた。
これは酔った上での自業自得とは言え女性冒険者にさんざん冷遇された為、大人の女性に対しての苦手意識が生まれており、それゆえに歪んでしまった恋愛観でもあるが、本人にそこまでの自覚はない。
よってディアジオの行動指針は決まった。
そしてヒビキの言葉を待つ。
「ディアジオ氏さえよければ、明日からでも私たちとご一緒していただけませんか?」
「喜んで」
即答して立ち上がったディアジオは胸に手を当て、アリスに深く頭を下げる。
そののちにヒビキにも頭を下げつつ様子を見るが、ヒビキは笑顔であった。基本的にアリスを上に先にという方針は間違っていないようだ。
こうしてアリスとヒビキのパーティーに一人目の仲間が加わった。
そして新しい仲間は口を開く。
「それではとても大切な事を二つ決めねばなりませんね?」
ディアジオの言葉にヒビキは首をかしげ、アリスも首をかしげかけて、ハッとした顔になった。




