人生の迷走中に女神と出会った男、ディアジオ
大商会タリスカーの子息、ディアジオという名と生を受けて二十五年。
彼は優秀であり、純粋であり、温厚であり、敬虔であり、優しい男だった。
冒険者と商人という二足のわらじ生活も、どちらかを専門とするより複合職である方が需要に答えられるという商人よりの判断だった。
これは誰にでもできることではないし、その路線での商売はうまくいっていた。
自力で素材を採取するという事は採取地や鮮度などを客に説明でき、価格も卸しや仲介を挟まないため安価になる。
希少な素材であればタリスカー商会に卸し、得意客へ優先的に回すこともできる。
ただ商会長である父親は、唯一の跡取りが命を張るほどではなくとも、危険といえる場所にあまり踏み込んでほしくはないという思いはあったが、順調な息子の商売を一人の商人として邪魔するのもはばかられ、見守るのみとする。
順風満帆とまでは言わないが、多少のミスを大きな成果でカバーしつつ、ディアジオは成長していく。
彼はどこまでも優秀であり、敬虔であり、優しい男であった。
正当な評価を受け、冒険者としてのランクもあがり、商人としての才覚も父に認められた。
傲慢になるなというのが難しいかもしれない。
それでも彼はまっすぐに生きていた。
あの夜までは。
その晩、ディアジオは仲の良い商人たちと飲み明かしていた。若いだけあって時にはハメをはずす事もある。
そしてその晩は西街の酒場で三人の仲間と飲んでいた。どうしても商売の話になってしまうが、ささいなきっかけで口論となった。
冒険者と商人、どっちが女にモテるのか? である。
素面であれば本当にくだらない話であっても、酒が入るとくだらない話ほど熱が入るものだ。
三人の仲間は商人であり、自分たちがさほど女に縁があるわけでもないため、冒険者の方がモテるだろうとディアジオにたずねる。
ディアジオは冒険者は街では恰好よく見えるが、実際は泥や血にまみれて道中は体もロクに洗えない。女冒険者と一緒にロマンティクなクエストをパーティーでなどというのは夢物語だと熱弁した。
酔うと声も大きくなる。
普段であればディアジオが口にしないような事も、酔った勢いというのは話を盛ってしまうものだ。
ディアジオいわく、同行した女冒険者は街を出た直後は身だしなみもしっかりしているし、それが美人なら連れ立って歩くのも気分がいい。
だが長期クエストで十日もすれば、いつもはつるつるの場所に毛が生えたり、香水でごまかしきれない臭いが漂ったりするんだぞ、と友人たちに経験談として語る。
これがマズかった。
酒場というのは多くの冒険者でにぎわう場所でもある。
周りのテーブルでそんな話を耳にした冒険者たちが、そうだよなー、と共感しながら集まってきた。
いつしかディアジオのテーブルには十人ほどの男性冒険者が増えていた。隣同士のテーブルをくっつけ、愚痴大会のようになっている。
女冒険者への愚痴、陰口、とはたから見ればそうだろう。
だが実際は違う。大きく違う。
これは彼らの見栄の張り合いだった。
女冒険者の愚痴が言えるというのはイコールそれだけ女冒険者とクエストを共にしているイコール女にモテる、という男の単純で迂遠な見栄の張り合いなのだ。
ディアジオにそこまでの意識はなかったが、白熱するほど盛り上がる会話に相槌をうち、時には自分も大げさな物言いで女冒険者の愚痴を吐く。
繰り返すが酒場というものは冒険者が集まる場所である。
女冒険者ももちろん集まる場所である。
記憶をなくすほど飲んでいたディアジオはそんな夜の事に話した内容など気にすることなく、いつもの変わらない生活に戻り。
ある日、気づく。
最近女冒険者からの同行依頼や交渉といったものがないな、と。
女性の情報ネットワークというのは、現代日本においてすら光ケーブルすら凌駕する一面があるようにとにかく速い。
ディアジオは情勢からなんとなく侮蔑の目で見られているような雰囲気を感じつつも、なぜかそれまであまり相手にしてもらえなかった先輩冒険者達からは色々と面倒を見てもらえるようになり、様々なクエストに連れて行ってもらえるようになり多忙な日々を過ごしていた。
やがて彼は恋をする。
相手は女冒険者であり、ランクも同等。家格も釣り合いのとれている優しそうな女性だ。
治癒の術が使えるヒーラーと希少な魔法使いでもあり、ディアジオにとっては最高の女性だった。
ディアジオは最高の店を予約をし、最高の料理を注文し、最高の花束を用意した。
彼女は夕食に誘った時、快く了承してくれた。きっとうまくいくだろうとディアジオはテーブルで待った。
普段とは違う、着飾った彼女が現れ、ディアジオは立ち上がり彼女のためにイスを引く。
「ディアジオさん。今夜はお招きありがとうございます。どうでしょうか?」
「とてもおきれいですよ」
「肌荒れとかしていないか心配で……」
「珠の様な肌ではないですか」
「臭いも……香水がきつすぎないかと」
「とてもかぐわしい香りですよ」
女冒険者は笑う。
「けれどしばらくすると、珠の肌にも毛がはえますしー? 香水で隠し切れない悪臭を放つかもしれませんしー?」
態度を急変させた女冒険者は、かつての酒場で彼の吐いた暴言を聞いていた。
それまでの活動や態度からディアジオの事は良い男であったと知っていたし、実はほのかな恋心も抱いていた。
それだけにあの夜の暴言には失望したし怒りも沸いた。彼女にとっては初恋の失恋であったのだ。
「ディアジオさんには女冒険者はあいませんと思いますよー?」
「え? いや、そんな?」
わけもわからず意中の相手からにらまれ、しどろもどろになるディアジオ。
「それではこれで。二度と声をかけないでくださいね、息が酒臭いのでー?」
どうにもかつて自分が吐いた暴言を覚えていないと女冒険者が気づき、皮肉で酒臭いと言ったものの、ディアジオはやはり気づかない。
確かな事は初恋がよくわからないまま破れたという事だ。
それまで失敗らしきものはなく、挫折も知らず、うまくやってきた彼の人生にその失恋は非常に応えた。
具体的には三日ほど熱にうなされた。
熱が引いた夜。
「もう恋なんてしない。絶対にだ」
という決意を固め、それまで敬虔に通っていた教会にも戦女神という『女性』を祀っているので足を運ばなくなった。
そんな生活はやがて彼の性格をねじまげ、次第に女嫌いとなることで今の自分を肯定しようとする。
どこか甘かった性格もいい意味で鍛えられつつ、悪い意味ではさらにねじ曲がりつつ、結果、デイアジオは優秀な冒険者として力をつけていく。
得た力はますます彼を傲慢にするが、商人としての面から仕事はキッチリこなし、自業自得な過去からは女性に対して侮辱するような対応をする。
今の彼はそうして形作られていた。
そんな彼は今、アリスに跪いていた。
かつて失った信仰を取り戻したかのように。
「天使様……」
一目ぼれというのはすべてを過去にする。
ディアジオの事を知っているほかの客や従業員が何事かと遠巻きに見つめている。
店の視線はディアジオとアリス、二人のに集中していた。
そんな中でアリスはまったく動じることなく。
「天使様? ですか? 私が?」
きょとんとした顔でディアジオの呟きを繰り返す。
「おお、ミスリルの鈴のごときお声。やはり貴女は天使様では……」
ディアジオは口説いているのか讃えているのかよくわからにい態度のまま、アリスに手を差し伸べる。
「許されるのであれば、その御手に口づけをする栄誉を与えてはくださいませんか?」
ここで天使の手が差し出されれば、ディアジオはそれまでの過去を悔い、マッカラン以上の紳士になったかもしれない。
だが現実は非常である。
「えー……お顔があんまり私の好みではないので……」
天使は面食いであった。




