『星の蜜亭』での夕食
採取場の湖から街に戻った三人の馬車は、赤く染まり始めた空の下でまず『花の彩亭』へ向かった。
そこで御者を乗せ、手綱をかわったマッカランが馬車の中に乗り込む。
その後、南へと歩を進めていた。
「お二人は南街に行くのは初めて……ですよね?」
マッカランが微妙に自信なくたずねるのは、アリスが深夜に抜け出して街を徘徊していた事があるからだろう。
アリスとヒビキが無言でうなずき、何があるのかをたずねる。
「基本的に商業施設です。商人がもっとも多い区画化ですね。取引や商談なども多く行われる為、食堂や酒場も多くありますが冒険者や職人の方々がすくないため、さわがし、いえ、あまり賑やかではありませんが、おいしい料理も多いですよ」
ヒビキはそれを聞き、あらためて自分たちが着ている服を見る。
肌ざわりもよく着心地も良い。
「こちら、結構なお値段ですよね?」
「そう、ですね。それなりの品質のものに良い仕事。それなりのお値段になってしまいますね」
「つまり、これから向かうのも?」
「それなりのお店ですね」
ヒビキがアリスに笑顔を向ける。
「アリス。どうやら素敵なお店みたいですよ?」
「お料理楽しみです!」
美味しい料理の食べ歩きというものは、種族に関わらず女性は好きだよなとヒビキは思いながら、自分も人間の街で出される料理というものを楽しみにしながら馬車に揺られる時間を楽しんだ。
やがて中街とも東街とも違う喧噪の街、南街に馬車が踏み入る。
行きかう人々も若者よりやや中年男性が目立つ。
鍛えられた体躯、というよりは恰幅と品のよい中年紳士が特に多い。
さりとて、動きは緩慢であっても視線は鋭い者が多く、ヒビキからは商人達の緊張感というものをなんとなく感じ取っていた。
「皆、商人さんですか?」
「そうですね。ほとんどはそうでしょう。よそと違ってこの区画は日が暮れたら一杯やろうか、という街ではありませんから。朝夕関係なく、依頼や受領に走りまわっていますよ。私としてはあまり余裕なく駆け回るというのは流儀ではないので、休む時はきっちり休みをとりますが。美しいご姉妹と夕食などは最高の休息ですよ」
にこにこと紳士スマイルでマッカランがアリスとヒビキに言うものの、ヒビキが少し意地悪な顔をする。
「でも、今からの食事もお仕事ですよね」
「いやはや。なんとも。ですが、楽しみである事は本当ですよ」
「冗談です。私たちも楽しみにしていますから。食いしん坊の姉の舌に合うといいのですが……」
「ヒビキ! 私は食いしん坊ではありませんよ!」
「美味しいもの、好きですよね?」
「大好きです!」
馬車の中を笑顔で埋めた三人はそうして南街のバーレストラン『星の蜜』亭に到着した。
『星の蜜亭』にはドアマンがおり、店の前に横付けにされた馬車に駆け寄る。
最初にマッカランが顔を出し、顔見知りであるドアマンと互いに会釈する。
「スペイサイド様。ようこそ。ご予約承っております」
「ええ。今夜はご婦人を連れておりますのでよろしくお願いします」
「かしこまりました」
馬車のドアを開けたマッカランがまずヒビキの手をとり、馬車からおろす。
いまだ少女の年であり男装に近いとは言え、まぎれもなく将来の美貌を物語るヒビキの容姿にドアマンは息を飲む。
ヒビキはドアマンに対し軽く頭を下げる。再びマッカランが馬車に向かって手を差し出す。
アリスが顔をのぞかせた時、ドアマンはさらに目を見開いた。
やや似ている顔立ちは姉妹であろう。だがこれほどの美貌を持った若き姉妹がいて話題にならないはずがない。
「ここが今夜のお店ですね!」
口を閉じていれば深窓の令嬢といった感であったが、それを否定するかのような快活な笑顔はより一層魅力的に思える。
どこか陶然としていたドアマンを見つけたアリスが笑いかけ、「こんばんは!」と挨拶をするとドアマンはハッと意識を取り戻し、「いらっしゃいませ、お嬢様」と深く腰を折った。
ドアマンが先導するようにして『星の蜜亭』の黒く染められた木製のドアを開ける。
軽やかなベルの音とともに、店内の様相があらわになる。
「わぁ!」
先頭であるアリスが店内を見まわす。
暗く落とされた間接照明の店内には、各テーブルごとにキャンドルがともされている。
天井にはひときわ大きなシャンデリアがいくつもの火を湛えていた。
「きれいですね!」
「美しいでしょう。一流の職人が一年をかけて作ったものと聞いております。この店では月と呼ばれているシャンデリアですよ」
シャンデリアを月として、各テーブルのキャンドルが星を現しているらしい。
「なかなかに粋ですね」
ヒビキも落ち着いた雰囲気の店内を気に入り見回している。
客層はやはり落ち着いた年齢層が主で、アリスとヒビキほどに若い女性はいなかった。
そうして店内を見回すヒビキは気づく。
客の目、従業員の目、それらがすべてこちらに向いている事を。
正確にはアリスを見ていることを。
「……ふふ」
アリスはキョロキョロとせわしなく首をまわしているが、はしたない、落ち着かない、という印象はない。
所作そのものに品があるため、世間知らずのお嬢様が初めての場所で好奇心をあらわにしている、そんな可愛らしさであふれている。
「アリスさん、ヒビキさん、あちらのテーブルへどうぞ」
そんな状況にマッカランも気づいており、いつもよりも少し得意げな声で二人を予約したテーブルへ案内する。
いくつものテーブルの脇を抜け、そのたびにそこに座る客たちの視線を引き寄せながら、三人はテーブルについた。
「勝手ながらメニューは私の方で決めさせていただきました。こちらの店の看板料理ですので期待されてよろしいかと」
「楽しみですね、ヒビキ!」
「そうですね」
そうして料理を待つ間、三人は会話を楽しむ。
とは言え詮索するような話題は出さないマッカランではあるが、そこは商人らしく着ている服の感想などをわざとらしく尋ねる。
「ヒビキさん、ズボンの方はどうですか? 通気性などは良いものですが、肌触りなどは?」
「ええ、とても良いものですよマック。通気性もあり、動きやすくもあり、かと言って破れそうなどとという不安感もないしっかりとしたものです」
ヒビキも多少大きめの声で聴き耳を立てている周囲のテーブル客にアピールを手伝う。
「アリスさんはどうでしょうか?」
「はい? なんですか?」
テーブルに置かれた燭台の美しい細工を眺めていたアリスは不意に振られた話題に顔を上げる。
「今お召しのお洋服。サイズや着心地などいかがでしょう?」
「かわいいです!」
問われた内容と返事がかみあっていないが、満足しているという笑顔ではあり、これはこれで十分なアピールだった。
マッカランは周囲の客の様子をうかがい、目を細めると自然なしぐさで席をたった。
「失礼。知り合いがいまして。少し挨拶して参りますのでしばらく席を離れます」
「わかりました」
マッカランが席をたち二人のテーブルからやや離れた途端、何人かの客も立ち上がりマッカランを追いかけるようにして店の壁際で話し始めた。
小声でこちらまでその内容は聞こえないが、ずいぶんと興奮した様子で何事かを問いかけている客たち。
一方で二人のテーブルに向けられた視線は、さりげないものを装っているが、やはり刺さるものがある。
ヒビキがくるりとそちらを見ると客たちは視線を外すが、隣の一組だけは笑いかけてきた。
人のよさそうな老夫婦だった。
すでに食事を終えて、食後の飲み物を飲んでいた老夫婦の老婆はヒビキに「素敵なお洋服ね」と賛辞を贈る。
「ありがとうございます」
ヒビキが老婆に微笑み礼を述べる。
「スペイサイドさんはたまにこうして服の宣伝をされているけれど、貴方達も冒険者?」
「ええ。新米も新米ですが」
「貴方達のように幼い身で大変ね……せめて戦女神様の祝福があらん事を」
独特の動作でヒビキたちに祝福を願う老婆。その手の甲には深い傷があり、よく見れば夫の顔にもヒゲが増えていない傷跡がある。
この老夫婦もまた冒険者であったのだろうかとヒビキは考える。
「……大昔の話よ」
見透かしたように微笑む老婆は、夫がアリスに見惚れているのに気づくとその傷跡のある頬をつねった。
「んー? なんか店の中落ち着かない空気だなー?」
そうして料理を待つ中、新たな客がやってきた。




