第17話 白い花の丘
最終話になります。
婚礼は、春の初めに行われた。
社の広場には、一族のすべての者が集まった。長老たちも、分家の者たちも。半年の謹慎を終えたカトリーネ様は、少し照れくさそうに、それでも「おめでとう」と言ってくれた。
ネルは朝から泣きっぱなしで、トビアスさんに三回もハンカチを渡されていた。料理長は、私が教えた薬草の焼き菓子を山のように焼いてくれた。
白狐さまも、どこからともなく現れて、焼き菓子をくわえて私の膝の上に丸くなった。
誓いの言葉は、狐火の輪の中で交わした。
百の狐火は、最初から最後まで、ずっと銀色のままだった。
婚礼から十日後、私とシオン様は、国境の村へ向かった。
渡し舟は、もう必要なかった。
セルト川には、真新しい石造りの橋が架かっていた。欄干には、九本の尾を持つ狐の紋章と、ウィンスロー子爵家の紋章が、並んで刻まれている。
「お父さま!」
橋のたもとで待っていた父は、もう杖をついていなかった。シオン様が送ってくれた獸人の国の医師のおかげで、膝の具合がずいぶん良くなったのだという。
「リディア。……それに、公爵様」
父が深々と頭を下げると、シオン様は慌てたように首を振った。
「顔を上げてください、子爵。礼を言わなければならないのは、俺のほうです」
シオン様は、父の前でまっすぐに背筋を伸ばした。
「母を……マリアンヌを、この村で受け入れてくださって、ありがとうございました」
父は、驚いたように目を見開いた。それから、ゆっくりと目元を和らげた。
「マリーさんは、よく息子さんの話をしていましたよ。名前は、決して言わなかったけれど。……銀色の髪の、それは賢くて優しい子だと」
シオン様の尻尾が、ぴたりと止まった。
私はそっと、その手を握った。
丘の上は、白い花で埋め尽くされていた。
月影草。夜になれば淡く光る、マリーさんの好きだった花。
小さな墓石には、新しく名前が刻み直されていた。
――マリアンヌ・アルジェント。
シオン様が、石工に頼んで刻ませたものだ。
私とシオン様は、並んで墓の前にしゃがみ込んだ。
シオン様は、両手で抱えてきた月影草の花束を、墓石の前にそっと置いた。銀色のリボンで束ねた、毎年の秋と同じ花束。
けれど今年は、木の陰からではなかった。
「……母上」
シオン様が、静かに口を開いた。
「十三年も、あなたを恨んでいました。すみません」
風が、白い花を揺らす。
「あなたが果たせなかった問いは、リディアが果たしてくれました。これからは、この家に嫌ぐ誰もが、最初から九つ目の試練の中身を知らされます。誰も脅されず、誰も追い出されない。……そういう家にします」
シオン様は、少しだけ言葉に詰まった。
それから、ほんの小さな声で付け加えた。
「……ただいま、母上」
私は、シオン様の隣で手を合わせた。
「マリーさん。十年かかったけど、ちゃんと伝えましたよ」
――あの子に、伝えて。
マリーさんが最期に伝えたかったこと。
手記に書かれていた言葉。あなたが生きていてくれれば、それでいい。あなたが花嫁を迎えるとき、その人が怯えなくて済むように。
全部、ちゃんと、届きました。
「それからね、マリーさん」
私は、隣のシオン様の顔をちらりと見上げた。
「シオン様は、マリーさんの言っていたとおりの人でした。賢くて、優しくて……それから、ちょっと過保護です」
「……おい」
「狐の姿で、窓を叩きに来たりするんです」
「リディア、それは母上に言わなくていい」
白銀の耳が、真っ赤になって伏せられる。
私は思わず笑い出してしまった。シオン様も、困ったように眉を下げて、それから、ふっと笑った。
マリーさんにそっくりな、あの笑い方で。
日が傾き始めた頃、私たちは丘を下りることにした。
「リディア」
坂道の途中で、シオン様が立ち止まった。
「来年の秋も、ここへ来よう。その次の秋も、ずっと」
「はい。月影草を、絶やさないように」
「……それから」
シオン様は、少しだけ視線をそらした。白銀の尻尾が、落ち着かないように揺れている。
「いつか、子どもができたら、その子も連れてこよう。母上に、孫の顔を見せたい」
頬が、一気に熱くなった。
「……はい」
小さく答えると、シオン様は嬉しそうに私の手を引いた。
大きな手は、もうひんやりとはしていなかった。
振り返ると、夕暮れの丘の上で、月影草がぼんやりと白く光り始めていた。
まるで、誰かが手を振って、私たちを見送ってくれているように。
(完)
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