↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/167

第66話 返事の代わりに動く



 翌朝。


 アリシアは、目を覚ますとすぐに声を出した。


「右、支援」


 静かな部屋の中。


 まだ朝の鐘も鳴っていない時間に、少しだけ張った声が響く。


 当然、誰も動かなかった。


 窓辺にいるノアが、ゆっくりと振り返る。


「何をしているの」


「声の練習」


「寝起きに?」


「昨日、最初の声が届かなかったから」


 アリシアは寝台の上で体を起こした。


 胸元へ手を当てる。


 水音なし。


 痛みなし。


 冷えなし。


 夢の記憶もない。


 体調を確認した後、もう一度だけ息を吸った。


「右、支援」


 一度目より、少し前へ飛ばすように言う。


 叫ばない。


 部屋全体へ広げない。


 窓辺にいるノアへ向ける。


 ノアの耳がぴくりと動いた。


「今の方が届くわね」


「本当?」


「最初のは、部屋の真ん中に落ちた。今のは私まで来た」


「声が落ちる?」


「感覚の話よ」


 アリシアは喉へ手を当てた。


 昨日。


 最初の「右、支援」は、武器音に消えた。


 声が小さかった。


 息が浅かった。


 必要な人へ向けるより、周りに聞かれることを恐れていた。


 二度目は届いた。


 武器音が途切れた瞬間。


 メリルへ向けて。


 少しだけ大きく。


 今日の六人訓練では、もっと音が増える。


 レオンの剣。


 ミランダの土。


 シオンの風。


 リーネの水。


 ルシアンの声。


 魔導人形。


 足音。


 教官の指示。


 その中で、自分の言葉を届けなければならない。


「喉を使いすぎない」


 ノアが言う。


「うん」


「声は大きさだけではない。向き、間、息」


「分かってる」


「今覚えた顔ね」


「……うん」


 アリシアは寝台から降り、机へ向かった。


 練習帳を開く。


『朝、水音なし。胸の反応なし。夢なし』


『起床後、共有語の発声練習。「右、支援」。一度目は部屋の中央へ落ちた。二度目はノアへ届いた』


 書きながら、少しだけ笑う。


「部屋の中央へ落ちた、って書くの?」


「私が言ったんでしょう」


「記録として変じゃない?」


「あなたが分かればいい」


 アリシアは続ける。


『声は大きさだけではない。向き、間、息』


 それから。


 昨日、六人で修正した言葉を書く。


『支援』

 現在負荷が集中している場所+支援。


『開ける』

 作りたい通路+開ける。


『戻る』

 場所なしなら基準復帰点。

 場所ありなら臨時復帰点。


『緊急復帰』

 名前+戻れ。


 今日は、それを六人で使う。


 少人数ではない。


 全員。


 少し緊張する。


「怖い?」


 ノアが聞いた。


「少し」


「何が」


「私の声が届かないこと」


「昨日届いたでしょう」


「六人になると違う」


「そうね」


「それと……届いた後、みんなが違う動きをしたら」


 昨日の「中央、開ける」。


 アリシアとメリルが同じ場所へ入り、逆に道を狭くした。


 言葉が届いても、役割が揃っていなければ動けない。


 六人なら、さらに複雑になる。


「なら、今日見るべきものは二つ」


 ノアが言う。


「二つ?」


「言葉が届いたか。届いた後、意味通りに動けたか」


「うん」


「成功したかどうかだけ見ない」


「うん」


「誰が一番活躍したかも見ない」


「それは見ないよ」


「本当に?」


 五属性候補者。


 それぞれの得意な力。


 自分だけが目立たなかったら。


 少しは不安になるかもしれない。


 アリシアは目を伏せた。


「少しは、気にするかも」


「なら書きなさい」


 アリシアは正直に書く。


『六人訓練で、自分だけ役に立たなかったら怖い』


 文字にすると、胸が少し狭くなった。


「でも」


 アリシアは続ける。


『今日の目的は、誰が目立つかではない。言葉を共有し、全員が動けるかを見る』


 ノアが頷いた。


「よろしい」


「点数は?」


「九十九点」


「減点は?」


「寝起きに叫びかけた」


「叫んでない」


「隣室の迷惑を考えず、二回練習した」


「……ごめんなさい」


「今度から廊下や部屋の状況を確認してから」


「はい」


 アリシアは、少し恥ずかしくなって耳を澄ませた。


 幸い。


 隣室から怒る声は聞こえなかった。


 ◇


 廊下へ出ると、メリルが待っていた。


「おはよう、アリシアちゃん」


「おはよう、メリルさん」


 メリルは少し首を傾げた。


「朝、何か声聞こえた?」


 アリシアの足が止まる。


「……聞こえた?」


「はっきりじゃないけど、支援って」


 ノアが足元で鼻を鳴らした。


 アリシアの顔が熱くなる。


「声の練習してた」


「部屋で?」


「うん」


「頑張ってるね」


「迷惑だった?」


「私は大丈夫。でも、朝だから少しだけ小さくてもよかったかも」


「ごめんなさい」


「謝るほどじゃないよ」


 メリルは柔らかく笑った。


「でも、今の謝る声は小さい」


「今は大きくしなくていいから」


「うん」


 二人と一匹で歩き出す。


 朝の廊下には、まだ人が少なかった。


 窓から入る風は冷たい。


 雨上がりの土の匂いが、どこか遠くから流れてくる。


「今日は六人で試すんだよね」


 メリルが聞く。


「うん」


「私は通常訓練だから、見られないけど」


「終わったら話す」


「届いた声?」


「それも。届かなかった声も」


「うん」


 メリルは頷いた。


「昨日、最初は聞こえなかったけど、二回目はちゃんと聞こえたよ」


「うん」


「アリシアちゃんの声、届くよ」


 短い言葉。


 けれど。


 胸の奥へ、まっすぐ届いた。


 アリシアは少し目を伏せる。


「ありがとう」


「今日は言いすぎないようにね」


「何を?」


「『支援』って言えば誰かが動いてくれるからって、すぐ呼びすぎないように」


 アリシアは少し驚く。


 支援を呼べるようになることばかり考えていた。


 呼びすぎる可能性。


 確かにある。


 不安になるたび。


 少し押されるたび。


 すぐ「支援」と言えば。


 みんなの動きが崩れるかもしれない。


「条件を守る」


「うん。一人で維持できるけど、別の動きに移れない時」


「覚えてた?」


「昨日聞いたから」


 メリルは嬉しそうに笑う。


 共有した言葉を。


 実際に使わない人も覚えてくれている。


 そのことが、少し嬉しかった。


 ◇


 食堂へ入ると、いつもの席にはすでに五人が揃っていた。


 今日は全員、少し緊張しているように見える。


 レオンはパンを持っているが、まだ食べていない。


 ミランダはスープを前にしながら、右手を何度も握ったり開いたりしている。


 リーネは手帳を開いている。


 シオンは眠そうだが、いつもより姿勢が起きている。


 ルシアンは紅茶の表面を見つめていた。


「おはよう、アリシア」


 レオンが言う。


 声量はちょうどよかった。


 リーネが頷く。


「九十八点です」


「昨日の百点から下がった」


「今日は今日です」


 その言葉に。


 アリシアは少し笑った。


 自分が何度もノアから言われた言葉。


 レオンも同じように受け取っている。


「そうだな」


 レオンは素直に頷き、パンを一口食べた。


 アリシアは席につく。


「水音なし。胸の反応なし。夢なし。今日は六人の共有語訓練です」


 リーネが記録する。


「全員の体調も確認します」


 レオン。


「問題なし!」


 ミランダ。


「少し緊張。でも元気!」


 シオン。


「眠い。でもいつも通り」


 リーネ。


「問題ありません」


 ルシアン。


「軽い集中疲労はありますが、訓練可能です」


 アリシアはルシアンを見る。


「昨日の資料整理の疲れ?」


「はい。表示形式の比較を考えすぎました」


 彼も考えすぎる。


 アリシアだけではない。


「今日は調査の話をしない方がいいですね」


 アリシアが言う。


 ルシアンが少し微笑む。


「賛成です」


 リーネが手帳を閉じる。


「朝食中は共有語の最終確認のみ」


 シオンが言う。


「それも朝食中にやるんだ」


「声に出す確認だけです」


 リーネは一人ずつ見る。


「場所」


「右、左、中央」


 レオンが答える。


「要求語」


「支援、開ける、戻る」


 ミランダが答える。


「戻るの基本」


「場所なしなら基準復帰点」


 シオンが答える。


「臨時復帰」


「場所をつける」


 ルシアンが答える。


「緊急復帰」


「名前+戻れ」


 アリシアが答えた。


 リーネが頷く。


「支援の条件」


 少し沈黙。


 レオンが先に言った。


「一人で維持できても、別の動きができない時」


「良いです」


「今日は言う」


 レオンが付け加える。


 ミランダが笑う。


「私も言う!」


 シオンが言う。


「僕は、言われる前に気づけるようにする」


 ルシアンも続ける。


「私は後方から、誰が動けるかを検知します」


 リーネは言う。


「私は中央の流れを維持し、復帰点が塞がれた場合は臨時位置を指定します」


 全員の視線がアリシアへ向く。


 アリシアは少し緊張した。


「私は……空いた場所へ一時介入します。『支援』があれば、必要な場所へ。『開ける』なら、ルシアンさんの薄い側を聞いて補います。『戻る』時は、自分で声を出します」


「良い」


 リーネが頷く。


 ノアが椅子の上で言う。


「パン」


「あ」


 今日は、言われるまで忘れていた。


 アリシアはパンへ手を伸ばす。


 少し硬い。


 ゆっくり力を入れる。


 形は崩れない。


「九十二点」


「低い」


「朝食中に訓練へ入りすぎた」


「みんなも」


「人と比べない」


「はい」


 レオンが小声で言う。


「九十二点も高い」


 アリシアは少し笑った。


 ◇


 生活基礎の授業。


 セリア先生が黒板へ書いた言葉は。


『返事は、言葉だけではない』


 だった。


 アリシアはノートを開く。


 昨日。


 エレナ教官からも言われた。


 返事の代わりに動け。


 今日の六人訓練。


 共有語を聞いた時。


 返事をするより、動く。


 セリア先生は話し始めた。


「誰かが助けを求めた時、“分かった”と答えることは大切です」


 黒板へ書く。


『言葉の返事』


「ですが、状況によっては、返事より先に動く必要があります」


 その横へ。


『行動の返事』


「倒れそうな人がいる時。“大丈夫?”と聞き続けるより、支える。扉を開けてほしいと言われた時。“分かった”と言うだけでなく、扉を開ける」


 アリシアは強く頷いた。


「言葉だけの返事で終わると、相手へは届いていても、必要な助けは届かないことがあります」


 昨日。


 メリルが「聞こえた」と返した。


 でも、エレナ教官は。


 返事の代わりに動け。


 と言った。


「反対に、何も言わず動くことで、相手が不安になる場合もあります」


 アリシアのペンが止まる。


 行動だけでいいとは限らない。


「だから、どの場面で言葉が必要か。どの場面で行動が返事になるか。相手と共有しておくことが大切です」


 また。


 共有。


 短い言葉。


 意味。


 返し方。


 班練習では、三つの場面を考えた。


 一。


『荷物を持ってほしい』


 トマが言う。


「持てば返事になる」


 ミーナが言う。


「でも、無言で取ると驚くかも」


 メリルが言う。


「“持つね”って短く言う」


 二。


『今は一人にしてほしい』


 アリシアは考える。


「その場を離れるのが返事。でも、“分かった”って言った方が安心するかも」


 三。


『右、支援』


 教材にはない。


 アリシアが自分で例として出した。


「戦闘中なら、返事をしないで動く」


 メリルが頷く。


「昨日、私“聞こえた”って言っちゃった」


「でも動いてくれた」


「うん。でも、今日は行動で返す」


 アリシアはノートへ書いた。


『支援への返事は、支援へ入ること』


『開けるへの返事は、道を作ること』


『戻るへの返事は、場所を空けること』


 セリア先生が近くを通り、その文字を見た。


「良いですね」


 アリシアは少し顔を赤くした。


「今日、訓練で使います」


「では、結果も記録してください」


「はい」


「届いたかどうかだけでなく、どんな返事が返ったか」


「はい」


 言葉の応答。


 行動の応答。


『在』の応答とは違う。


 意味を共有した。


 確かなもの。


 ◇


 戦闘基礎の演習室には、いつもより多くの教員がいた。


 エレナ教官。


 グラン先生。


 マリナ先生。


 そして。


 昨日の合同訓練を監督した教務主任。


 今日は正式な合同訓練ではない。


 共有語の試験。


 それでも、六人全員が同じ場所で動くため、監視体制は強化されていた。


 周囲には、通常授業の生徒たちもいる。


 演習室の端。


 安全線の外。


 見学を許された班が、少しざわつきながら六人を見ていた。


「あれが五属性候補?」


「黒猫の子もいる」


「六人でやるらしい」


「昨日、結界管理室に入ってたって……」


 小さな声。


 視線。


 アリシアの肩が少し固くなる。


 今日は共有語を試す。


 でも。


 見られている。


 失敗したら。


 声が届かなかったら。


 みんなの前で。


 胸が狭くなる。


「アリシア」


 ノアが足元で呼ぶ。


「何を見る」


「六人」


「周りは」


「今は見ない」


「よろしい」


 アリシアは、配置につく五人を見る。


 レオン。


 ミランダ。


 シオン。


 リーネ。


 ルシアン。


 見学者ではない。


 今日、言葉を届ける相手。


 エレナ教官が六人を呼ぶ。


「共有語を確認する」


 リーネが一覧を読み上げた。


 場所。


 支援。


 開ける。


 戻る。


 緊急復帰。


 既存検知語。


 全員が頷く。


「今日は魔導人形二体」


 エレナ教官が言う。


「目的は撃破ではない。白い円まで六人で進む」


 前回より人形は一体少ない。


 しかし。


「三分ごとに、一人へ個別制限をかける」


 演習室が少しざわつく。


 アリシアも息を止める。


「声を出せない。右腕を使えない。前へ出られない。結界支援を使えない。そうした条件を、教員側から札で示す」


 共有語を使えない者が出る。


 動けない者が出る。


 その時。


 他者が状態を見て。


 言葉を補う。


「本人が言えない場合、周囲が要求語を出せ」


「はい」


 六人の声が揃う。


「見学者の声は聞くな。訓練者の声だけ拾え」


「はい」


 アリシアは少しだけ安心した。


 見学者のざわめき。


 無視していい。


 今は。


 六人の声。


「始める前に、一度ずつ声を出せ」


 エレナ教官が言う。


 レオン。


「正面、支援!」


 演習室へ響く。


 少し大きい。


 だが、戦闘中なら必要な大きさ。


 ミランダ。


「右、開ける!」


 明るく、はっきり。


 シオン。


「左、戻る」


 静かだが届く。


 リーネ。


「中央、支援」


 短く、明瞭。


 ルシアン。


「右、薄い」


 遠くまで通る穏やかな声。


 そして。


 アリシア。


 見学者の視線が集まる。


 喉が少し固くなる。


 息を吸う。


 誰へ届ける。


 五人へ。


「右、支援!」


 声が演習室へ飛んだ。


 大きすぎない。


 小さすぎない。


 五人がこちらを見る。


 聞こえた。


 言葉による返事はない。


 でも。


 全員の視線が動いた。


 それが返事。


「良い」


 エレナ教官が言った。


 周囲の生徒たちが、少し驚いたようにざわつく。


「思ったより声出るんだ」


「いつも静かな子だよね」


 聞こえた。


 でも。


 アリシアは、五人だけを見る。


 ◇


 配置。


 レオンが正面。


 ミランダが右。


 シオンが左。


 リーネが中央後方。


 ルシアンが最後方。


 アリシアは基準復帰点。


 淡い印の上。


 以前、水の残響が出た場所とは違う演習室。


 それでも、復帰点に立つと胸が少し落ち着く。


 グラン先生が水晶板を確認。


 マリナ先生が結界を起動。


 魔導人形二体が前方へ立つ。


 エレナ教官の手が上がる。


「始め」


 人形が動く。


 正面の一体がレオンへ。


 もう一体が右へ。


 レオンが受ける。


 ミランダが土の固定陣を広げる。


 シオンが左から風を回す。


 リーネの水膜が足元へ薄く広がる。


 ルシアンが光を灯す。


「正面、強い。右、普通」


 短い検知。


 アリシアは復帰点から全体を見る。


 まだ入らない。


 正面。


 レオンが押している。


 右。


 ミランダが安定。


 左は空いている。


 空欄へ行きたくなる。


 でも、今は必要ない。


 待つ。


 最初の制限札が上がる。


 青札。


 対象。


 シオン。


 内容は。


『声なし』


 シオンが声を出せない。


 左の情報が減る。


 彼は風を動かしながら、左手を二度上げた。


 事前には決めていない合図。


 何を意味する。


 左が強い?


 支援?


 戻る?


 分からない。


 ルシアンが後方から言う。


「左、強い」


 検知。


 アリシアは動く。


「左、支援」


 自分が周囲判断で宣言する。


 復帰点から左へ。


 木刀を低く置く。


 シオンの風が一度途切れる。


 アリシアが進路を塞ぐ。


 シオンは半歩下がり、風を作り直す。


 言葉は出せない。


 でも。


 風が戻る。


 アリシアは言う。


「戻る」


 基準復帰点へ。


 リーネが水膜を少し開く。


 ミランダが右を維持。


 レオンが正面を押さえる。


 道が空く。


 アリシアは戻った。


「続行」


 エレナ教官の声。


 見学者たちのざわめきが少し増える。


「今、誰が支援って言った?」


「黒髪の子」


「シオンは声出してなかったよな」


「周りが言うんだ」


 聞こえる。


 でも。


 今は次。


 シオンの声なし制限は解除。


 彼が短く言う。


「助かった」


 訓練中。


 返事は不要。


 でも。


 その一言は、アリシアへ届いた。


 ◇


 二つ目の制限札。


 赤札。


 対象。


 レオン。


『右腕使用不可』


 レオンの大剣型訓練剣は、両手で扱う。


 右腕を使えない。


 彼は左手だけで剣を支え、正面を維持しようとする。


 しかし、力が落ちる。


 人形の圧が増す。


 ルシアンが言う。


「正面、強い」


 レオンは歯を食いしばる。


 まだ「支援」を言わない。


 昨日の癖。


 アリシアは復帰点で見る。


 本人が声を出すか。


 待つ。


 一撃。


 レオンの足が下がる。


 まだ維持はできる。


 でも、別の動きは無理。


 支援条件。


 ミランダが先に言う。


「正面、支援!」


 アリシアとリーネが反応する。


 アリシアが正面左へ。


 リーネの水膜が正面足元を支える。


 ミランダは右を維持。


 シオンが風で人形の上体を少し流す。


 レオンが半歩下がる。


 しかし。


 彼は復帰宣言をしない。


 まだ正面へ残ろうとする。


 アリシアは横から見る。


 左腕だけ。


 剣が下がっている。


 危ない。


「レオンさん、戻れ!」


 自分でも驚くほど強い声が出た。


 緊急復帰。


 名前+戻れ。


 レオンの目が動く。


 一瞬。


 迷い。


 悔しさ。


 それでも。


「戻る!」


 答えた。


 基準復帰点ではない。


 レオンの臨時位置は中央後方。


 リーネが言う。


「中央、戻る!」


 ミランダが右を固定。


 シオンが左から風を入れ。


 アリシアが正面を止める。


 レオンが中央後方へ下がる。


 戻った。


 人形がアリシアへ圧を向ける。


 重い。


 まだ維持できる。


 でも別の動きはできない。


「正面、支援!」


 今度は自分から言う。


 ミランダが右から土壁を斜めに出す。


 シオンが風を重ねる。


 人形の圧が分散。


 アリシアは。


「戻る!」


 基準復帰点へ下がる。


 リーネが道を空ける。


 戻れた。


「止め!」


 エレナ教官の声。


 魔導人形が止まる。


 まだ訓練終了ではない。


 制限中断。


 確認。


 エレナ教官がレオンを見る。


「他者復帰指示」


「従った」


「感情」


 レオンは左手だけで剣を持ち、少し悔しそうに答える。


「戻りたくなかった」


「だが」


「戻ったら、みんなが正面を支えてくれた」


「次は」


「言われる前に戻る」


 エレナ教官は頷く。


 アリシアを見る。


「声量」


「届きました」


「レオン」


「聞こえた」


「命令に感じたか」


「少し」


 正直な答え。


 アリシアの胸が少し固くなる。


「嫌だった?」


 訓練中なのに、聞いてしまった。


 レオンは少し考える。


「嫌だった。でも、必要だった」


 アリシアは息を吐く。


 嫌。


 でも必要。


 両方。


 エレナ教官が言う。


「緊急復帰は、好かれるための言葉ではない」


「はい」


「ただし、乱用するな」


「はい」


「続行」


 ◇


 訓練再開。


 三つ目の制限札。


 黄札。


 対象。


 リーネ。


『水膜使用不可』


 中央の足場調整が消える。


 復帰路が不安定になる。


 リーネ自身は動ける。


 声も出せる。


「水膜なし。復帰路、狭い」


 自己状態を短く伝える。


 正式な要求語ではない。


 でも、既存の状態共有。


 ルシアンが言う。


「左、薄い。中央、不安定」


 人形二体が、正面と右から圧をかける。


 レオンは右腕が戻り、正面を押す。


 ミランダが右を支える。


 シオンが左を流す。


 アリシアは復帰点。


 しかし。


 中央の足場が不安定。


 基準復帰点へ戻る道が狭い。


 今、動くべきか。


 空いた場所は正面右。


 ミランダが押され始める。


 一人で維持はできる。


 でも、土の固定陣を動かせない。


 支援条件。


 ミランダが言う。


「右、支援!」


 アリシアは動く。


 右へ。


 木刀を入れる。


 相手の足を外へ流す。


 ミランダが固定陣を作り直す。


 アリシアは戻ろうとする。


 基準復帰点。


 中央が狭い。


 リーネの水膜がない。


 足場が滑りやすい。


「戻る」


 言いかけて。


 止まる。


 通常復帰は危ない。


 ルシアンの声。


「左、戻る」


 臨時復帰点。


 シオンが左の風を薄く開く。


 レオンが正面を押し。


 ミランダが右を固定。


 アリシアは左後方へ下がる。


 戻れた。


「続行」


 今度は。


 言葉が正しく届いた。


 場所。


 戻る。


 全員の動き。


 迷わなかった。


 アリシアの胸が熱くなる。


 でも。


 喜びすぎない。


 訓練は続いている。


 ◇


 制限解除。


 残り時間。


 白い円まであと少し。


 二体の人形が横並びになり、中央を塞ぐ。


 正面。


 レオンが受ける。


 右。


 ミランダが固定。


 左。


 シオンが風を流す。


 リーネの水膜は復帰。


 ルシアンが検知。


「中央、厚い。右、薄い」


 目的地は白い円。


 右側に道を作る必要がある。


 誰が言う。


 レオンが叫ぶ。


「右、開ける!」


 言葉が届く。


 ミランダは右の足場を固定し、外側へ押し広げる。


 シオンは左から風を当て、人形を中央へ寄せないよう支える。


 リーネが右側の足元へ水膜を薄く敷く。


 ルシアンが言う。


「右、さらに薄い」


 アリシアは復帰点から右へ。


 空いた場所。


 木刀を低く入れ。


 人形の腕を外へ逸らす。


 道ができる。


 レオンが先に進む。


 ミランダ。


 シオン。


 リーネ。


 ルシアン。


 アリシア。


 白い円へ近づく。


 しかし。


 二体目の人形が、後方へ回り込む。


 ルシアンが狙われる。


 彼は前へ出られない位置。


 アリシアが戻るべきか。


 でも、自分は右の道を維持している。


 離れれば道が閉じる。


 ルシアンは言う。


「後方、支援」


 初めて。


 彼自身が支援を求めた。


 リーネが振り返る。


 シオンも。


 しかし、二人が同時に後方へ動けば左が崩れる。


 ルシアンは続ける。


「シオン、支援」


 名前をつけた。


 事前の基本語にはない。


 でも、意味は明確。


 シオンが風で後方の人形を流す。


 リーネは中央維持。


 アリシアは右を保つ。


 道が残る。


 レオンが白い円の手前から振り返る。


「中央、開ける!」


 今度は、残る五人の通路。


 ミランダが右を支える。


 シオンが後方から左へ戻る。


 リーネが水膜を整える。


 ルシアンが言う。


「中央、通れる」


 アリシアは右の人形を最後に流し。


「戻る!」


 基準復帰ではない。


 今の目的は白い円。


 言葉が少し違う。


 戻ると言ったら、後方へ戻ると受け取られるかもしれない。


 でも、今は白い円が全員の新しい復帰点。


 リーネがすぐに言う。


「前方、戻る!」


 六人の共通位置を更新する声。


 アリシアは前へ。


 白い円へ。


 全員が入る。


「止め!」


 エレナ教官の声。


 二体の魔導人形が停止した。


 演習室に。


 一瞬の静寂。


 その後。


 見学者たちから、小さなざわめきが広がった。


「全員入った」


「今の言葉だけで動いたの?」


「違う、動きも見てた」


「黒髪の子、かなり前出てた」


「でも、すぐ戻った」


 アリシアは息を切らしながら、白い円の中に立っていた。


 疲れている。


 喉も少し熱い。


 でも。


 六人いる。


 全員。


 白い円。


 成功。


 それだけではない。


 言葉が届いた。


 行動が返った。


 支援。


 開ける。


 戻る。


 すべて使えた。


 それでも。


 完璧ではなかった。


 シオンの無言合図は共有されていなかった。


 ルシアンは「シオン、支援」と新しい形を使った。


 最後は「戻る」の場所が変わった。


 直すものがある。


 だから。


 嬉しい。


 そして、次もある。


 ◇


 エレナ教官が六人の前へ来た。


「成功」


 短い言葉。


 レオンの顔が明るくなる。


 ミランダも笑う。


 しかし、エレナ教官は続ける。


「だが、共有語試験としては課題あり」


 全員の表情が引き締まる。


「シオン。声なし制限時の手信号」


「決めてなかった」


「その通り。アリシアとルシアンが視認と検知で補った。偶然に近い」


「はい」


「次までに無言時の最低合図を一つだけ決めろ」


「はい」


「レオン。支援と復帰」


「遅れた」


「他者指示には従った。良い。だが、昨日決めた条件を自分で使え」


「はい」


「アリシア。緊急復帰の声」


「届きました」


「必要だった。だが、相手の感情まで訓練中に確認するな」


 アリシアは少し顔を赤くした。


「はい」


「確認は訓練後」


「はい」


「リーネ。水膜なし時の臨時復帰指定」


「遅れました。ルシアンが先に左を指定しました」


「役割が重なった」


「はい」


「後方検知が指定するか、中央管理が指定するか、決めろ」


「はい」


「ルシアン。後方支援で名前をつけた」


「はい」


「意味は通じた。だが、既定外」


「はい」


「必要性はある。後で検討しろ」


「承知しました」


「ミランダ」


「はい!」


「今日は良い。支援宣言も早かった」


 ミランダの顔がぱっと明るくなる。


「ありがとうございます!」


「声は大きい」


「すみません!」


 さらに大きい。


 見学者から少し笑いが起きる。


 ミランダは顔を赤くした。


 エレナ教官は最後に全員を見る。


「今日、一番良かったこと」


 六人は少し考える。


 レオンが言う。


「全員で白い円に入った」


「それは結果だ」


 違う。


 ミランダが言う。


「支援って言えた」


「一つ」


 シオンが言う。


「言葉が届かなかった時、周りが補った」


「近い」


 リーネが言う。


「要求語へ言葉で返答せず、行動で応答したこと」


 エレナ教官が頷いた。


「それだ」


 アリシアの胸が温かくなる。


「『右、支援』に、右へ入る者がいた」


「『中央、開ける』に、道を作る者がいた」


「『戻る』に、場所を空ける者がいた」


「言葉が機能したのは、相手が動いたからだ」


 六人は静かに聞く。


「ただし、言葉に従うだけでは足りない。今日は状況を見て補えた。そこも良い」


 表示だけではなく。


 現実を見る。


 言葉。


 行動。


 判断。


 全部。


「今日の記録を整理しろ」


「はい!」


 六人の声が揃った。


 今度の返事は。


 言葉。


 そして、この後。


 行動へ続く。


 ◇


 訓練が終わると。


 見学していた生徒たちが少しざわつきながら解散を始めた。


 何人かは、アリシアたちの方を何度も振り返っている。


 その中から。


 一人の女子生徒が近づいてきた。


 昨日、廊下で「おはよう」と声をかけてきた少女だった。


 彼女はアリシアの少し手前で立ち止まる。


「あの……」


 アリシアの肩が少し固くなる。


 メリルはいない。


 でも、五人とノアがいる。


「はい」


「さっきの……すごかったです」


 少女は言った。


「声、ちゃんと聞こえました」


 アリシアは目を見開いた。


 昨日までなら。


 見られた。


 噂された。


 怖い。


 そう思ったかもしれない。


 でも。


 今の言葉は。


 声が聞こえた。


 それだけ。


「ありがとうございます」


 アリシアは答えた。


 少女は少し安心したように笑う。


「いつも静かだから……あんな声出るんだって」


「あ……普段は、あまり出ません」


「でも、届いてました」


「はい」


 少女は会釈し、友人のところへ戻っていった。


 レオンが笑う。


「届いたって!」


 声が大きい。


 リーネが言う。


「八十二点です」


「今はいいだろ!」


 シオンが少し笑う。


 アリシアは、少女の背中を見つめた。


 自分の声。


 仲間だけではなく。


 演習室の端まで届いていた。


 少し恥ずかしい。


 でも。


 嬉しい。


 ◇


 昼食後。


 図書館の閲覧席。


 六人は、朝よりも少し疲れた顔で集まっていた。


 机の上には、訓練記録。


 共有語一覧。


 配置図。


 今日は『在』の資料は置かれていない。


 誰も持ってこなかった。


 今は、六人の言葉。


 リーネが手帳を開く。


「整理を開始します」


 シオンが言う。


「まず、無言時の合図」


「一つだけ」


 アリシアが付け加える。


 エレナ教官の指示。


 増やしすぎない。


「手を二回上げるのは?」


 ミランダが言う。


「今日、シオンさんがやってた」


 シオンが首を傾げる。


「あれは支援のつもりだった」


「私は、左が強いって意味かと思った」


 アリシアが言う。


「僕は、状態異常の通知だと思いました」


 ルシアンが言う。


 三人で違う。


 シオンが苦笑する。


「全然共有されてない」


 リーネが言う。


「無言時は、要求を分けず『注意を向けて』だけに限定します」


「手を上げる=見て?」


 レオンが聞く。


「はい。その後、周囲が状態を判断する」


 アリシアは頷く。


 声が出せない。


 その時。


 細かい意味を手で伝えようとすると増えすぎる。


「片手を一度、肩より上」


 ルシアンが提案する。


「二回だと動作中に難しい場合があります」


 全員で試す。


 片手を肩より上へ。


 一度。


 目立つ。


「これでいい」


 シオンが言う。


 リーネが記録する。


『無言時合図』

・片手を肩より上へ一度。

・意味=状態確認を求める。

・周囲が視認し、検知・支援判断。


 ◇


 次。


 臨時復帰位置の指定。


 リーネとルシアンの役割が重なった。


「私は中央管理なので、復帰路の足場と通行可否を見ます」


 リーネが言う。


「私は後方検知として、敵圧と薄い方向を見ます」


 ルシアンが続ける。


「どっちが決める?」


 ミランダが聞く。


 少し沈黙。


 どちらの情報も必要。


 アリシアは考える。


 ルシアンが、右か左かを言う。


 リーネが、本当に通れるかを確認する。


「ルシアンさんが候補を言って、リーネさんが決定する?」


「二段階では遅い」


 シオンが言う。


「戦闘中に、右が薄い、右通れる、って二回聞くことになる」


 レオンが言う。


「同時に言ったら?」


「重なる」


 リーネが答える。


 ルシアンは少し考え。


「復帰位置はリーネさんが決める。私は、危険方向だけ伝える」


「たとえば?」


 アリシアが聞く。


「『右、危険』。それを聞いたリーネさんが『左、戻る』」


「言葉が増える」


 シオンが言う。


「でも、既存の『強い』を使える」


 アリシアが言った。


「『右、強い』。リーネさんが『左、戻る』」


 新しい言葉ではない。


 今ある言葉。


 エレナ教官が言った。


 新しい言葉を増やすより、今あるものを揃えろ。


 リーネが頷く。


「その形にします」


『臨時復帰』

・ルシアンが危険側を「強い」で通知。

・リーネが反対側または安全路を「場所+戻る」で指定。

・緊急時は確認を待たず、リーネが直接指定。


 アリシアは少し安心した。


 戻る場所を。


 一人で選ばなくていい。


 ◇


 次。


 後方支援で、ルシアンが使った。


「シオン、支援」


 要求語に名前をつける形。


「必要だった」


 レオンが言う。


「全員が後ろへ行ったら前が崩れた」


 ミランダも頷く。


「でも、最初は名前なしって決めたよね」


「支援は場所だけで、動ける人が行く」


 アリシアが言う。


「でも後方は、誰でも行けるわけじゃなかった」


 シオンだけ。


 風で、前線を大きく崩さず後方を支援できた。


 ルシアンはそれを見て、名前をつけた。


「名前付き要求を認める?」


 リーネが聞く。


 シオンが言う。


「検知役だけでいいんじゃない?」


「なぜ」


「後方から全体を見て、誰が動けるか判断できるから」


 ルシアンが少しだけ迷った。


「責任が大きいですね」


「一人で決めるのが怖い?」


 アリシアが聞く。


 ルシアンは静かに頷いた。


「はい。僕が名前を呼んだことで、その人の持ち場が崩れる可能性があります」


 いつも落ち着いている。


 後方から全体を見る。


 でも。


 決めることは怖い。


 アリシアは、少し考えて言う。


「間違ったら、後で直す」


 ルシアンが顔を上げる。


「仮説みたいに」


 シオンが少し笑う。


「アリシアが言うようになったね」


「でも、戦闘中の間違いは怖い」


 ルシアンが言う。


「うん。だから、エレナ先生たちがいる時に練習する」


 リーネも頷く。


「名前付き要求は、検知役のみ。対象は拒否しない。ただし、移動不能なら即座に『無理』ではなく……」


 止まる。


「無理、は言いづらい」


 ミランダが言う。


 昨日の話。


 無理と言いたくない。


 失敗のように感じる。


 シオンが言う。


「『不可』は?」


「硬い」


 レオンが言う。


「でも短い」


 ルシアンが提案する。


「『動けない』」


「長いけど分かる」


 アリシアが言う。


 リーネは少し考え。


「今は『動けない』を使います。新しい一語へ縮める必要はありません」


『名前付き支援』

・ルシアンのみ使用可。

・名前+支援。

・対象は原則従う。

・移動不能時は「動けない」と返す。

・その場合、ルシアンが別の対象を指定。


 言葉が少し増えた。


 でも。


 必要な形。


 リーネが一覧を見て、言う。


「これ以上は増やしません」


 全員が頷いた。


 ◇


 最後。


 白い円の直前。


 アリシアが「戻る」と言い。


 リーネが「前方、戻る」と更新した。


「復帰点が移動した」


 アリシアが言う。


「白い円が、新しい復帰点になったから」


 ルシアンが頷く。


「目的地を復帰点として扱う判断でした」


 シオンが言う。


「でも、急に前方、戻るって言われたら混乱しない?」


 レオンが答える。


「俺は分かった」


 ミランダも。


「私も」


 アリシアは。


「少しだけ迷った。でも、みんなが白い円にいたから分かった」


 リーネが言う。


「状況依存が強い」


「言葉として正式に入れない方がいい?」


 アリシアが聞く。


「はい」


 リーネは答える。


「復帰点変更は教員指示、または事前に決めた条件のみ。今回のような即時変更は、成功しましたが例外です」


「偶然うまくいった?」


 レオンが聞く。


「状況判断としては良かった。しかし、共有語としては未整理」


 アリシアは練習帳へ書く。


『うまくいった動きでも、共有された意味とは限らない』


 昨日の言葉。


 当たった推測を、共有された意味だと思うな。


 また同じ場所へ戻る。


「次回は、白い円の手前で復帰点を前へ移す条件を、最初から決める」


 ルシアンが言う。


 リーネが頷く。


「残距離五歩以内。全員の進路が確保済み。中央管理が宣言」


「宣言は?」


「『復帰点、前』」


 短い。


 分かりやすい。


「新しい言葉……」


 シオンが言う。


 リーネは悩む。


 増やしすぎない。


 でも、必要。


 アリシアが言う。


「次の合同訓練で必要になってからでもいい」


「今回は例外として記録」


 ルシアンも賛成する。


「まだ基本語の練習段階です」


 リーネは少し迷った後。


 書くのを止めた。


「保留します」


 保留。


 決めない。


 それも選択。


 アリシアは少し嬉しかった。


 リーネも。


 すぐに全部を整えなくていいと、少しずつ覚えている。


 ◇


 整理が終わった頃。


 司書が閲覧席へ来た。


 今日は。


 一枚の薄い封筒を持っていた。


 アリシアの胸が少し鳴る。


『在』。


 照合結果。


 そう思いそうになる。


 司書は、アリシアの表情を見て言った。


「照合結果ではありません」


「あ……はい」


 少し残念。


 でも。


 すぐに戻る。


「今日の訓練記録の写しです」


 司書は封筒をリーネへ渡した。


「教員側の観測内容が入っています」


 リーネが受け取り、礼を言う。


 司書は六人を見る。


「共有語が実際に機能したと聞きました」


「課題も多かったです」


 アリシアが言う。


「課題が出るのは、機能したからです」


「機能したから?」


「使われなければ、どこで壊れるかも分かりません」


 昨日も聞いた。


 壊れる場所を見る。


「それと」


 司書が続ける。


「見学者の反応も記録されています」


 アリシアの肩が少し固くなる。


「私たち、何か言われますか」


「いいえ。むしろ逆です」


 司書は穏やかに言う。


「訓練中の六人が、属性や立場ではなく、互いの声へ反応していたことが印象に残った、という報告が複数あります」


 演習室の端。


 見ていた生徒たち。


 噂。


 視線。


 でも。


 見られていたのは。


 黒い力だけではない。


 六人の動き。


 声。


 支援。


 戻る。


「黒猫の子が声を出していた、という話も広がるでしょう」


 司書は続ける。


 アリシアは少し恥ずかしくなる。


「嫌ですか」


「少し」


「でも?」


「届いたって言ってくれた子がいました」


「それなら、その事実も一緒に持ってください」


「はい」


 見られる怖さ。


 声が届いた嬉しさ。


 両方。


 司書は最後に言う。


「『在』の照合は継続中です。早くても、明日以降」


「はい」


「待てますか」


 アリシアは少し考え。


「はい。今日は、六人の言葉を整理できました」


 司書は微笑んだ。


「良いです」


 ◇


 夕方。


 寮へ戻る道で、メリルが待っていた。


「どうだった?」


 アリシアは、最初に言った。


「届いた」


 メリルの顔が明るくなる。


「声?」


「うん。六人に」


「よかった」


「でも、言葉が届いても、意味がずれたところもあった」


 アリシアは、一つずつ話した。


 シオンの無言合図。


 レオンへの緊急復帰。


 リーネとルシアンの役割重複。


 ルシアンの名前付き支援。


 最後の復帰点変更。


 メリルは、ゆっくり聞いた。


「成功した?」


「白い円には全員入った」


「嬉しい?」


「うん。でも、それより……『支援』って言ったら、誰かが来たのが嬉しかった」


「アリシアちゃんが言った時?」


「うん。最初はシオンさんのところ。次はレオンさんの正面。私が言った時も、ミランダさんとシオンさんが来てくれた」


「返事してくれたんだね」


「言葉じゃなくて、動きで」


 今日の生活基礎。


 返事は言葉だけではない。


 メリルは笑った。


「それ、いいね」


「うん」


 アリシアは少し歩き。


 それから。


「知らない子に、声が届いてたって言われた」


「昨日のおはようの子?」


「うん」


「嬉しかった?」


「すごく」


 正直に言う。


 少し恥ずかしい。


 でも。


 隠さない。


「アリシアちゃんの声、前より大きくなったんじゃなくて、前より届くようになったのかも」


 メリルが言う。


「違うの?」


「大きい声は、どこにでも広がる。届く声は、相手へ行く」


 ノアと同じことを言う。


 アリシアは少し笑った。


「今日、みんな同じこと言う」


「大事なんだよ」


「うん」


 ◇


 夜。


 アリシアは練習帳を開いた。


 今日は。


 書くことがとても多かった。


『今日は、六人全員で共有語を使いました』


『魔導人形二体。白い円へ六人全員で到達。三分ごとに一人へ個別制限』


 シオン。


 声なし。


 レオン。


 右腕使用不可。


 リーネ。


 水膜使用不可。


 一つずつ書く。


『シオンさんが声を出せない時、片手を二回上げました。しかし意味は共有されていませんでした。私は支援、ルシアンさんは状態通知と受け取りました』


『修正:無言時は片手を肩より上へ一度。意味は“状態を見て”。細かい要求は含めない』


 次。


『レオンさんが右腕を使えず、正面が強くなりました。ミランダさんが「正面、支援」と言い、私とリーネさんが動きました』


『レオンさんは戻りたくなかった。でも、私が「レオンさん、戻れ」と言い、戻ってくれました』


『嫌だったけれど必要だった、と言いました』


 アリシアは少し手を止める。


 自分の声。


 強かった。


 命令のようだった。


 でも。


 必要だった。


『緊急復帰語は、好かれるための言葉ではない。必要だから使う。ただし乱用しない』


 次。


『リーネさんが水膜を使えない時、基準復帰路が狭くなりました。ルシアンさんが「左、戻る」と言い、私は左後方へ戻りました』


『修正:危険方向をルシアンさんが「強い」で伝え、リーネさんが臨時復帰位置を決定する』


 次。


『後方のルシアンさんが狙われた時、「後方、支援」の後、「シオン、支援」と名前をつけました。必要な人だけが動き、前線を崩しませんでした』


『修正:名前付き支援は後方検知役のみ使用。対象は原則従う。動けない時は「動けない」と返す』


 そして最後。


『「右、開ける」で白い円への道を作りました。私は右側を補助し、全員が進みました』


『最後、復帰点が白い円へ移ったように動きました。しかし、これは正式に共有された意味ではありません。うまくいった動きでも、共有語としては未整理。保留』


 書く。


 書く。


 今日の失敗。


 成功。


 修正。


 感情。


 全部。


『見学していた生徒から、声が聞こえたと言われました。嬉しかったです』


『見られるのはまだ怖い。でも、黒い力だけではなく、六人の声と動きを見てもらえた』


 ノアが机へ跳び乗る。


「今日は?」


 アリシアが聞く。


 ノアは、長い記録をゆっくり読んだ。


「百点」


 アリシアは少し笑った。


「今日は、自分でも少しそう思った」


 ノアが目を細める。


「調子に乗った?」


「違う。完璧だったって意味じゃなくて……今日できることを、やったと思う」


 ノアは少し黙った。


 そして。


「それならいいわ」


「減点なし?」


「なし」


「見学者を気にした」


「でも六人へ戻った」


「訓練中にレオンさんへ嫌だったか聞いた」


「後で直すと分かった」


「最後の復帰点は曖昧だった」


「曖昧だと記録し、正式語にしなかった」


「……うん」


「百点は、失敗がなかった点数じゃない」


「うん」


「失敗を隠さず、次へ使えた点数」


 アリシアの胸が温かくなる。


 何度目かの百点。


 でも。


 今日の百点。


 今日の理由。


「ありがとう」


「礼はいい」


「でも、言いたいから」


「知ってる」


 ノアは最後の余白を見る。


「最後に書くなら?」


 アリシアは考えた。


 朝。


 部屋で出した声。


 演習室で出した声。


 支援。


 戻れ。


 開ける。


 それらへ返ってきた動き。


 そして。


 知らない少女の言葉。


 届いていました。


 アリシアは、一行書いた。


『返事がなくても、誰かが動けば、言葉は届いている』


 ノアは頷く。


 アリシアは続ける。


『支援への返事は、隣に立つこと』


『開けるへの返事は、道を作ること』


『戻るへの返事は、私が帰れる場所を空けること』


 そして。


 少し考えて。


 最後の一行。


『今日、私の声に六人が動いてくれた。だから私も、六人の声へ動ける人になりたい』


 ノアは長く、その文字を見つめた。


「いいわね」


 アリシアは練習帳を閉じた。


 夜は静かだった。


 水音はしない。


『在』の照合結果も、まだない。


 知らないものからの返事は来ていない。


 でも。


 今日。


 アリシアは、多くの返事を受け取った。


 風。


 水。


 土。


 剣。


 光。


 空けられた道。


 支えられた場所。


 戻れる位置。


 言葉ではない返事。


 確かな応答。


 アリシアは灯りを消し、寝台へ入った。


 明日。


 また失敗するかもしれない。


 聞こえないかもしれない。


 意味がずれるかもしれない。


 それでも。


 一度届かなかった言葉は。


 なくなった言葉ではない。


 届け方を変えればいい。


 意味を揃えればいい。


 そして。


 言葉を聞いた誰かが動いてくれたなら。


自分も、その声へ動けばいい。


 六人の言葉は、まだ完成していない。


 けれど。


 今日。


 確かに動き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。