第34話 回帰
《回帰》
アルカディア・地下射場——
ライフルを構える俺——。
照準器の中の赤い点を数百メートル先の標的に合わせ、引き金を引いていく。
ズドドシュゥゥ————ン……ッ!! バスッ——!
遠くに見える人型のスチールターゲットは砂煙で覆われ、すでにその輪郭を朧気にさせていた。
「何やってるのよ! 撃ちなさい! 殺られるわよっ!!」
俺の横では、双眼鏡を持った鬼教官——ユミナが怒声を上げ、ミオナが心配そうに見守っている。
「くっ……! 当たれ——っ!!」
そう願いながら、ぼやけた輪郭に対して何度も引き金を引いていく。
アルカディア・ガードの本部、地下射場——。
まさかアルカディアの地下深くに、こんな広い射撃施設があるとは思ってもみなかった。
グレー色のコンクリートと、重厚な金属製の扉。
音も衝撃も一切閉鎖した射撃訓練だけの空間——。
本来は射撃マットで伏せ撃ちするための施設だが、ワークベンチを配置することで、遮蔽物を活用した射撃訓練も可能である。
俺はそのワークベンチにライフルを依託し、もう一度ゆっくりと引き金を引く。
「見えた——っ!」
砂煙が晴れ、黒い輪郭がくっきりと浮かび上がる。
だが——
カチンッ!!
ライフルがいつもと違う空虚な音を鳴らすと、弾が出なくなる。
マガジンにはまだ弾が残っているはずだ。
「あれ、出ない——……?」
「——……。」
ユミナもミオナもただ無言で、俺がどうするのか、その様子を見守っていた。
「えっとー、とりあえずここ引けば——いいんだっけ——?」
曖昧な知識の中、俺はライフルのチャージングハンドルを引こうと手を伸ばすが、すぐに側面に異常があることを認識する。
「なんだこれ——……?」
チャージングハンドルの付近で薬莢が挟まり、わずかに開いた状態で止まってしまっている。
どうすればいいのか分からない——。
だが、排莢し損ねたコイツが、悪さをしているのは間違いないだろう。
すると、見かねたユミナが、勢いよく俺の方へ歩み寄ってくる。
「ちょっと! 何やってるの?」
ユミナはライフルを確認すると、切替軸を強制的に安全位置に戻した。
「不完全閉鎖! 排莢不良よ! 引っ張ってボルトを閉鎖! すぐ隠れる!」
「あ、はい——!」
返事をするよりも速く、ユミナの手が俺の頭を下へ押し退ける。
単調な指示の中、俺は急いでライフルの遊底に挟まった薬莢を引っ張り、その場に投げ捨てる。
ガシャン、と遊底が前進し、再び俺はライフルを構える。
「射撃やめ。」
ユミナの号令で、俺は引き金にかけた指の力を抜く。
それは射撃中断を意味していた。
俺は少し息をつくと、肩の力を抜いて、再び安全装置を確かめる。
双眼鏡を覗き込んだユミナが、遠方の標的を静かに確認していく。
「見づらいわね——外しすぎよ。砂舞っちゃってるじゃない——」
「す、すみません——。」
だが、そんなことよりも、もっと先に説明しておくべきことがあるだろう。
なぜ戦闘員でもないこの俺が、軍用の地下射場でこんなことをしているのか——。
話は、デスサイズの検問所襲撃の後、俺たちが昼食を取りに行ったところまで遡る。
あの後、俺たちは互いの戦術行動についての話題で溢れ返っていた——というより、自然とそういう流れになっていた。
ユミナの突発的な行動は、サイチやサユキのような森閃流の正面突破型と相性がいい。
二人が正面を防ぎ止め、ユミナが側面攻撃や遊撃を行う——それは理想的な戦術隊形だった。
もちろん、それはミオナの現場指揮や直接支援があってこそ成り立つものである。
しかし、肝心の俺はその支援をしているだけで、前衛もできなければ、作戦指揮だってほとんどできない。
いわゆる無能兵士である。
——まぁ、俺を戦闘員に加算してもらっても困るけどな——。
そんなことを頭に過らせる俺だったが、戦場ではそうも言ってられない。
戦術行動が取れないことについては、ユミナやミオナを含むチームメンバーの全員から、自然と問題視されることとなる。
実際、デスサイズのような戦闘集団が押し寄せ、生命の危機に曝されたのだ。
護衛対象の俺が、自分の命すら守れないというのは致命的欠陥であり、ある意味では《常に爆弾を抱えた状態にある》ということだった。
戦闘員じゃないからライフルは持たない——これはもう、俺の我儘にしかならなかったのだ。
すると、一通り確認したユミナが、赤マーカーをつけた採点用紙を突き出す。
「身体4発、関節1発、頭部1発——。まぁ、いんじゃない。」
その紙には、着弾箇所が一発ずつマークされていた。
『まぁ、いんじゃない』——珍しく褒めるユミナの言葉に、俺はつい嬉しくなった。
「いい? 本当か——!?」
だが、ユミナは素っ気なく返すだけだった。
「相手を怒らせるには丁度いいわね。痛手を負った相手は今頃、血眼でアンタを睨みつけてる頃よ。」
「えぇ……。」
言い捨てるユミナだったが、本人の口角はわずかに上がっており、満足気味な様子だった。
俺が抱えるライフルから、ユミナが器用にマガジンを抜き取る。
ライフルの側面に手を当て、チャージングハンドルを引くと、ユミナは排出された弾丸を手でキャッチする。
そして、テーブルに置かれたマガジンさえも、外殻装備《TEXS》のポーチに収納した。
流れ作業のような手順でライフルを安全化すると、ユミナは静かに出入り口の方へ足を進める。
「訓練は終了。ご飯よ。」
「あれ、もういいのか——?」
俺が尋ねるが、それ以上は何も返ってこなかった。
《射撃中》と書かれた赤ランプが消灯し、重厚な扉が軽々と開けられる。
ユミナはそのまま、射場を出ていった。
ふと壁がけの時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。
ミオナが俺のもとへ近づき、そっとハンドタオルを差し出す。
「お疲れ様でした。ライフルも預かっちゃいますね。」
「あ、うん。ありがとな。」
「いいえ。」
ハンドタオルを受け取ると、俺は首にかかった負い紐を外し、ライフルをミオナに手渡した。
《AXR-22》——通称:アルカディアン・ライフル。
.255口径の6.5x48mm ARCA弾を使用する、ガード向け汎用アサルトライフル。
西の森やヴァーダントラインのときなんかでは、だいぶお世話になった武器だった。
——ま、素人だから扱い切れなかったけどな——。
いつ使うかも分からない武器——。
しかし、今後の俺にとっては必要な訓練だったのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺たちは射場を後にしたのだった。
アルカディア・中心街——
武器を格納した俺たちは、アルカディアの賑やかな中心街を彷徨っていた。
人気の多い昼の街——俺はこの景色にもだいぶ慣れてきていた。
中央広場の噴水前を通り、商店街の方からいつもの焼き物の香りが漂ってくる。
「飯何にするかー。」
「そうですね……パフェとかどうでしょう——?」
「えー。今日はクレープの気分よ。」
聞いた俺がバカだったのか——早々に俺は、そう悟らざるを得なかった。
すでにこの香りのお陰で、俺の腹の虫は惣菜パンか串物を求めているというのに、相変わらずこの二人の頭の中は|《甘くて可愛いもの》ばかりである。
——腹の虫は、虫人に勝てないというわけか——。
そんなことを皮肉っていると、なにやら顔見知りの二人組が、ほやほやの串物を持ってこちらへ歩いてくる。
茶髪で大人しそうな女性と、黒いハチ型の女性——。
「あれ——どっかで——……?」
俺はついそんなことを口走る。
すると、前を歩いていたユミナが真っ先に、その二人と視線を交わす。
「あれ? もう出たの? 早かったわね。」
ユミナの一声で、一瞬で背筋を凍らせるハチ型の女性——。
それは、前に窃盗犯で捕まったはずのドロバチだった。
——ということは、隣にいるこの茶髪の女性は——!
俺の中で、一気に高揚感が膨れ上がった。
その女性は、とある事故をきっかけに昏睡状態に陥り、病院で入院していた《レイカ》だったのだ。
ドロバチの神経毒を治すため、俺たちはサイチたちの協力のもと、危険地帯である西の大森林へ足を踏み入れた。
森の魔女《マヤ》との交渉を何とか成立させた俺たちは無事、薬を手に入れ、病院側の医療研究チームにそれを提供したのだ。
その二人が、今まさに、俺たちの前で楽しそうに街を歩いていたのだった。
すると、ドロバチの女性が気まずそうに言う。
「あ、えっと——。前はすみませんでした。色々とお世話になってしまって——」
「いいのよ。罪償ったんだから、もうしないの。わかった?」
「しないって! あの時は金が必要で仕方なく——!」
そんな二人のやり取りで察したのか、レイカは少し慌てた様子で、俺たちの方へ頭を下げる。
「あ、えっと——! この度はありがとうございました。お陰様でこの通り、また綺麗な街を歩くことができます——。
本当に、ありがとうございました。」
「お礼なら、このニンゲンに言うといいわ。」
素っ気なく返すと、ユミナは俺の方へ歩み寄り、背中をポンっと叩いた。
そして、この場の全員の視線が、一気に俺へと集中する。
「え、俺——!? 俺はなんも——」
「はぁ? あんたが薬もらってきた張本人じゃない。責任もって、お礼受けなさいよ!」
別に悪いことをしたわけではない。
だがユミナの口調は、まるで責任を押し付けるような言い方だった。
俺は改めてレイカの方に向き直ると、軽く会釈をして前に歩み出た。
「あ、えっと——どうも——」
すると、レイカの長い触角とその後ろ髪が風に吹かれ、思わず俺は、病院で寝たきりだった彼女の姿を連想する。
茶色い髪をした、高身長で落ち着いた雰囲気の、綺麗な女性——。
助けたことを今更になって、俺は実感した。
「話は全部、マドカから聞きました。あなたが助けてくれた外交官、ユウジさんですよね。」
「はい。そうです——。」
ドロバチの方を見ると、どこか落ち着かない様子で立ち尽くしている。
恐らくマドカというのは、このドロバチの名前だろう。
レイカは一瞬だけマドカの方へ目を向けるが、すぐにまた話を続ける。
「機構の支援金の件だけでなく、自ら率先して行動してくれたんですよね。本当に、なんとお礼を申し上げていいか——」
「あー……。あのその、支援金の件は別で——」
そう言いかけた時だった。
背後にいたユミナの膝が、俺の膝裏めがけて、ぐっと押し込まれる。
——痛——……っ!?
声にもならない絶妙な痛み——。
恐らくユミナは、機構の代表者として、支援金の分のお礼まで含め、お礼を受けさせたいのだろう。
俺は言葉を選び直し、改めて口を開く。
「いえいえ。東蟲機構では、生命の安全が第一ですから——。あはは——。」
俺の口から出たのは、外交委員長——キミカの言葉だった。
何かで取り繕った言葉でも、何かで飾った言葉でもなく——。
ただ、俺の口は勝手に動いていた。
「そう——ですか?」
「はい。ほんとに、大したことではありませんので、お礼なんていいですから。
無事、またこうしてアルカディアの街で生活できているのでしたら、俺たち——じゃなくて、我々にとっても嬉しい限りです。」
俺の隣では、ミオナが満面の笑みでこちらに微笑みかけている。
その視線が、どこか気まずくて、どこか訴えかけているようにも感じる。
何かを成し遂げた時の代償は、想像以上に重かった。
もちろん、俺一人がどうこうしたという話ではない。
だが俺にとっては、その視線や態度が、あまりにも馴染みないものであることは確かだった。
そこへ、ユミナが俺の隣に歩み出る。
「あんた、いつまで見惚れてる気? いくら美人だからって、見つめすぎよ。逮捕しちゃうわよ。」
「え——?」
つい考え事をしていた俺は、気付くとレイカの顔をじっと見つめる形になってしまっていた。
レイカはすでに顔を赤らめ、その隣のマドカは、こちらに冷たい視線を送っている。
「あ、いや、そういうんじゃないから! 考え事をしてただけで——すみません!」
「いえ、大丈夫です——もしかして、脈ナシですか?」
再び、全員の視線が俺に集中する。
しかし今度は、あまりいい感じのものとは言えない。
「ユウジさん——……?」
背後で微笑むミオナだったが、気付くと、さっきまでの微笑みとは違う。
それはどこか殺気を帯びた、禍々しい微笑みへと変わっていた。
「あ、いや、脈はあるんですけど——じゃなくて、その——」
たじろぐ俺の様子に、レイカは思わず、口元に手を添えて笑う。
「ふふっ、冗談ですよ。三人とも、仲がいいんですね。」
「え——? あ、冗談ですか——。……なんだ——。」
その言葉に、俺は安堵の息をつく。
しかし同時に、少し期待を裏切られたような感覚に襲われる。
レイカの隣のマドカは、その様子に呆れたように肩をすくめた。
話が一段落つくと、レイカは改めて俺たちの方へ真剣な眼差しを向ける。
「では、私たちはこれで。改めて、本当にありがとうございました。」
頭を深々と下げるレイカ。
マドカもそれに続くように、少し照れくさそうに頭を下げる。
「あ、はい。また何かありましたら、協力しますので。」
俺たちも応えるように軽く頭を下げると、二人はまた、中心街の方へと歩いていくのだった。
楽しそうに歩く二人の後ろ姿——。
そんな中、ふとユミナが口を開く。
「あんた、ああいう落ち着いた雰囲気の女性がタイプなの?」
「ユウジさん、そうなんですか?」
ユミナの言葉に、ミオナまで変なノリに乗ってしまっている。
「いや、だから考え事してただけだって——。病院で寝てた人が街を歩いてたから、嬉しいだろ——?」
しかし、手を頭の後ろに組んだユミナは、興味なさそうに答える。
「ふーん? でも、あいつのカラダ、じろじろ見てたじゃない。」
「それはダメですね。——でも、タイプとかはユウジさんの好みなので、私は止めませんよ。」
からかうユミナと、認めてくるミオナの二連撃——。
「だから違うって——。はぁ……なんでそういう話になるんだよ……。」
否定してもなお、二人の解釈は勝手に進んでいく——。
俺たちは昼食を探しているだけだった。
だが気付けば、異様な尋問を受ける羽目になってしまっていた。
感謝されるのとはまた違う重さが、俺にのしかかってくる。
もはや俺には言い返す気力もなく、ただ深く、ため息をついたのだった——。




